『無上の町Ⅲ』(P-6) | 光の天地 《新しい文明の創造に向けて》

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現代文明の危機的な状況に対して、新たな社会、新たな文明の創造の
必要性を問う。

【新しい文明のビジョン(小説編)(P-6)】
 
                                          『無上の町』(第3巻)
                                       真珠の飾りを着けた都の果てに
 
                                                 《連載第 6 回》
 
「えっ、ということは、この現在の町とは別に、全く新たな町をつくってしまうということですか?・・・・」
 土建会社社長の管野が、ハンカチで首の回りを拭いていた手を止めて、良介の方を見た。
「そういうことです。実験ポリス構想と名付けたのは、そういう意味合いを含んでいるということです」
「そりゃまた、遠大な構想ですなあ・・・・」
 商工会会長の笠間が、ニヤニヤしながらテーブルの資料に目を落とした。
「話は戻りますが、この農業に関して、新規就農で都会などからやって来る若者たちは、たぶん、農
業は全くの素人だと思います。新規就農するための就農準備校や、研修機関も沢山ありますが、研
修期間中は全く無収入になります。現状の制度だけでは、かなりの費用やリスクを負うことになりま
すので、そういった費用なども含めて、すべて町の負担で準備校や研修センター等の受け入れ体制
を整えることも、計画に盛り込んでいます」
「至れり尽くせりですな・・・・」
 笠間が皮肉っぽい口調で言った。
「とらえ方の問題だろうと思います。環境問題や食料問題などは、早急に解決しなければならない
喫緊の課題ですね。では、その費用を誰が負担するのかということになると、当然、国や地方自治
体のレベルになってくると思います。この新しい町づくりは、直接その問題を解決するためのプラン
ではありませんが、コンセプトの中にそういう意味合いが含まれていることは事実です」
「なるほど・・・・」
「となると、農業の形態は、やはり有機農業になるわけですかな。三沢先生もご出席されています
が・・・・いろいろとこの町の農家の人たちを、説得に回られておられるようで・・・・」
 小学校校長の篠原が、微笑みながら三沢の方を見た。
「新しく創造する町は、一応、有機農業を考えています。具体的な話は三沢先生の方から説明して
いただきますが、一口に有機農業と言っても様々な形態がありますから、有機農業と名前が付けば
何でもいいというわけではありません・・・・」
 と言いながら、良介が三沢の方に目配せをした。
「でも、この有機農業は全域というのは難しいのではないですか?・・・・ねえ、三沢先生・・・・」
「この有機農業については、いろいろと議論があろうかとは思います・・・・」
 この町の農業高校の教師で、青年団の一員でもある三沢が、こほんと咳払いをして話し始めた。
「最近、国や地方の方でも、有機農業の関心が高まってきていますが、この有機農業は日本の農業
全体の、わずか0.6%にしか過ぎません。私も今までに農家の方に話をお伺いしたり、自分でも畑を
耕していますが、有機農業は難しいことは難しいです。化学肥料や農薬を使用した農地で、有機農
業を始めても、有機の畑に改良するには、最低でも三年はかかると言われています。ただ、一度有
機農業で生きた土壌を作り上げてしまえば、むしろコストはかからないし、安全でおいしい作物がで
きるという大きなメリットが生まれてきます・・・・」
 ベージュのジャケットを着た三沢が、出席者の一人一人に目を移しながら、真剣な眼差しで語りか
けた。
「私はこの有機農業に、二つの視点があると思っています。経済合理性の面だけ見ると、化学肥料
や農薬を使った方が有機農業よりははるかに生産性は高いし、今この世界的な人口増加の中で、
食料を増産していかなければならないという観点に立てば、選択の余地のない現実であろうとは思
います。しかし、この問題は、農業を有機農業か化学肥料かというミクロの視点で議論すべきもの
でも、経済合理性の観点でとらえるべきものでもないだろうと。先ほど町長もおっしゃってましたが、
大規模農業での化学肥料や農薬の大量散布などが、広大な面積に渡る土壌劣化や農地の砂漠化
をもたらして、現在の食料危機につながっていったということですね。それともう一つの視点に、健康
問題があります。農薬による健康被害は古くから問題になっていましたが、化学肥料や農薬による
水質汚染が人体に悪影響を及ぼすことも、今までにも色々な方面から指摘されてきました。こうい
った問題は、国や地方の行政レベルでのマクロの視点に立って、早急に解決を図っていかなけれ
ばならない問題であり、有機農業というのは、その政策から必然的に導き出されてくる結論だろうと
私は思っています」
「三沢先生、大変貴重なお話、ありがとうございます」
 良介が笑いながら三沢の方に相づちを打った。
「ただ、有機農業に対する消費者の関心は高まってきてはいるのですが、実際に市場で受け入れら
れるのはほんのわずかというのが実態です。消費者はスーパーなどで野菜を買うときは、なるべく
形の整ったものを選びますし、価格の面でもまだ有機の方が高いですから、クリアしなければなら
ない問題はいっぱいあると思います」
「たしかに、スーパーでも特別に有機農産物のコーナーを設けているところを見かけますけど、値段
は結構高いですなあ・・・・」
「あら、そうでもないですよ。私はお野菜は直売所で買うことにしているのですけれど、有機も普通
の野菜も値段は変わりませんわよ。スーパーに比べても直売所の方がお安いですし・・・・」
「しかし、有機野菜は健康にいいというのは、みんなに認識されているかもしれませんが、化学肥料
が健康に悪影響を及ぼすというのは、あまり聞いたことがありませんなあ・・・・」
「そういう情報は、専門的なことでも、本を媒体として発信されているだけで、マスコミなどに取り上
げられることはほとんどないですから、周知されていないかもしれませんね・・・・」
「まあ、農薬問題くらいでしょうな、マスコミで騒がれるのは・・・・」
「有機は体にいいというのも、はっきりした科学的な根拠はないんじゃないですか?」
「栄養学的には、慣行農法より有機農業で栽培された野菜の方が、栄養価が高いということは証明
されています。しかし、私はこれはそれほど重要なことだとは思っていません・・・・」
「ほう、それはまた、どういうわけですか?三沢先生・・・・」
「科学的な根拠は、もちろん重要なことですけれど、実際に食べてみなければ効果があるかどうか
はわかりませんから・・・・」
「それは、そうですな・・・・でも、どんなにいいものを食べたからといって、そんなにすぐに効果が表れ
るものでもないでしょう・・・・」
「私は有機農業は、途中から始めたんですけれど、明らかに体質が変わったというのは、実感として
感じましたね・・・・もちろん、すぐにではないですけれど」
「三沢先生は、最初から有機だったんじゃないんですか?」
「農業の教育現場は、まだ慣行農法が主流なものですから・・・・」
「そうなんですか・・・・」
「体質が変わったといいますと?・・・・」
「風邪にかかりにくくなったとか、かかっても治りが早いんですね。農業をやっていると、すり傷とか
色々な外傷を受ける機会が多いんですが、それも有機野菜を食べるようになってから、自分でもび
っくりするほど治りが早いんですよ。有機農業の効力を身をもって感じましたね」
「そうですか・・・・じゃあ、有機じゃなく、スーパーで売っているような野菜はどうなんですか?あまり
大きな変化があるようには思われませんが・・・・」
「科学的に合成された物質というのは、中々分解しにくく、一旦、水や食料などを通して体の中に取
り込まれれば、そのまま体内に蓄積していくという性質を持っています。一例を上げれば、DDTは昔
殺虫剤として農薬などで使用していましたが、今でも南極大陸などで確認されています・・・・」
「でも、DDTはもう使用禁止になっていますよね・・・・」
「DDTといえば、篠原先生も学校でDDTを散布していたんじゃないですか?」
「ええ、あの時代は衛生状態が悪かったですから、ノミやシラミなどから伝染病が拡大する恐れがあ
って、その防除のために学校でもDDTを散布してましたね。その頃は私はまだ子供でしたが・・・・」
「今は日本や先進国では、このDDTは人体に悪影響を及ぼすということで禁止されていますが、ま
だ一部の国では製造されています」
「まだ認められている国があるんですか・・・・」
「このDDTが川や海に放出されれば、プランクトンに取り込まれて、それを餌とする魚の中に取り込
まれ、その魚を食べた人間の体内にも取り込まれて、次第に蓄積されていくことになります」
「でも、それはわずかですよね、三沢先生・・・・」
「いや、DDTに限らず、現在使用している化学肥料も、土壌から河川や海へと渡っていきますから、
実際にミミズや鳥の卵などのあらゆるところに、その化学物質が検出されています」
「それは、恐ろしいことですわねえ・・・・」
「じゃあ、知らず知らずのうちに、われわれの体の中にも取り込まれているということですか・・・」
「人間の生命を維持するために必要な栄養素に、タンパク質や炭水化物、脂質、ビタミンなどがある
ことは誰にも知られていますが、そのタンパク質の種類は約十万種あるといわれています。最近発
見されて注目されているポリフェノールも、五千種類くらいあるそうですね。生命科学の分野はミクロ
の世界で、その全貌を極めつくすには、膨大な年月を要する作業になると思います」
 
                       (以下次号)