『無上の町Ⅲ』(P-5) | 光の天地 《新しい文明の創造に向けて》

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現代文明の危機的な状況に対して、新たな社会、新たな文明の創造の
必要性を問う。

【新しい文明のビジョン(小説編)(P-5)】
 
                                         『無上の町』(第3巻)
                                       真珠の飾りを着けた都の果てに
 
                                                 《連載第 5 回》
 
                                                            3
 
「幸福はいいとしても、しかし、コンセプトとしてはちょっと漠然としすぎてやしませんかねえ・・・・」
 商店会会長の前島が、頭の髪の毛をわしづかみしながら窓の方に目をやった。
「私が思うには、この幸福というのはあまりにも欲望を根拠にしすぎているような気がしますね」
 小学校校長の篠原が、テーブルの上に肘をついて両手を組んだ。
「欲望ですか・・・・」
「ええ、感覚の欲望の充足のみを幸福ととらえているような・・・・私らの時代は何もなかったですか
ら、そういう幸福にはもともと縁がなかったのですが、今の時代は、社会が進歩して物質的には豊
かになって、それほど苦労をしなくても、何でも手に入れることができるようになっていますから、そ
の影響が大きいのかもしれませんが・・・・」
「テレビや映画、音楽、コンピューターなんかも、感覚的な欲望を刺激するものが、次から次へと開
発されているのは事実ですなあ、今の世の中・・・・」
「仕事も工場などは、ほとんどが機械化、ロボット化が進行していますし、会社でもパソコンや情報
機器が発達していますので、昔、人間が手作業で苦労してやっていた作業なんかも、大半は機械が
やってしまう。最近では、AIという人工知能が次々と開発されていますから、人間にとって最も重要
な考えることさえも、コンピューターがやってしまうことになります。こういった状況が進展していけば、
将来的には知らず知らずのうちに、人間がコンピューターの奴隷になってしまうというような事態に
もなりかねません」
「そういえば、私らの時代に、ロボットが人間を支配してしまうというようなSF漫画が流行りましたが、
まさか、それが現実のものになるなんて、考えてもみませんでしたな・・・・」
「世の中が発展するのは否定するわけにはいきませんが、機械やコンピューターが発達すれば、そ
の分だけ人間の活動範囲や考えることが減っていきます。今の若者はあらゆる分野で、主体的に
考えて行動する機会を奪われてしまっているような気がします・・・・」
「たしかにそうですな。考えて何かをやろうとする前に、見るもの、聞くもの、あらゆる情報があふれ
返っていますから、今の世の中。受身的にならざるをえないでしょうなあ・・・・」
「教育や文化、芸術などの分野においても、一人一人が自ら主体的になって行動できるような、そう
いう環境を作っていくことが重要ではないかと思っています。まとめて言えば、自然環境と『調和』し
た『農業を基盤とした町づくり』によって、町の『発展』を図り、各自が主体となって新しいものを『創造』
していく。その創造性にこそほんとうの喜びがあり、それが『個人の幸福』につながっていくというこ
とですね。そして、主体性を見失ってしまった現代社会の中で、自ら考えて、自らの意思で行動する
主体性を見出していくことが、『人間性の回復』につながっていくというのが、この町づくりの土台部
分に当たる基本的なコンセプトになっています。以上ですが、何か、ご質問等ありましたら・・・・」
 と言いながら、良介がファイルから目を上げて周囲を見回した。
「うーん、人間性はわかりますがね、そのために機械化を全部否定するんですか?・・・・農業の発展
もコンセプトになってますけど、今、稲作なんかは、田植えから収穫まで全部機械化されてますよね。
畑を耕運するのもトラクターを使ってますし・・・・」
 商店会会長の前島が、眼鏡を外して、テーブルの上の資料を覗き込むように目を近づけた。
「いえ、そういうことではありません。このコンセプトで最も重要なものの一つとして、『多様性』という
ことを上げています。これは今回のコンセプトには入っていませんが、総論的なコンセプトの中に上
げています。現代社会の中では、コンビニを例にとれば、全国どこへ行っても店の形態から品揃えま
で同じになっています。これは別にコンビニを非難するために言っているわけじゃなくて、企業環境
でも、都市環境でも、効率を重視するあまりすべてがパターン化してしまって、多様性が失われてし
まったということですね。人間は皆、個性がありますから、そういうパターン化された社会に適応し
ていくためには、自分の個性を押し殺していかなければなりません。機械化された社会には、自分
をロボット化していくしかないということにもなります。極端に言えば・・・・ですから、この人間性の回
復ということは、人間の個性を殺さない、それぞれの個性を生かせるような、多様性のある社会を創
造するということで、機械化をすべて廃止するという意味ではありません。たとえ機械化を廃止して
も、パターン化した社会であれば同じことですから・・・・まだ言いたいことは沢山ありますが、管野さ
んのお𠮟りを受けそうなので、この辺でやめておきます」
「いや、なにも、私はそんなつもりでは・・・・」
「ええ、そうですわ。なにも遠慮なさることはありませんわ。そのための会議なのですから」
「そう言っていただけるとありがたいです。では、引き続きまして、各論の建物部分についての説明
に入らせていただきます・・・・」と言いながら、良介がペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「まず第一点目として、建物の敷地の部分ですね。具体的な場所をどこにするかということです」
「場所というと、この町ではないんですか?・・・・」
 管野が怪訝そうな顔で良介の顔を見た。
「先ほども一部申し上げましたが、この構想は既存の行政の枠組みの中では、制約が多くて困難だ
ろうと・・・・まあ、『実験ポリス構想』というのは仮称ですが、全く新たな空間に一つの町を創造しよう
という試みです・・・・」
「えっ、全く新たな空間にですか?・・・・」
 コーヒーを飲んでいた白石が、びっくりしたように良介の方を振り向いた。
「ええ・・・・候補地としては、閉鎖になった工場の跡地を考えています。すでに売却されて、新しい
工場の所有者は東京の会社になっているんですが、未だに操業の目処が立っていないということ
なので、色々と調査をしながら話し合いを進めているところです」
「それは初耳ですなあ・・・・噂には聞いていましたが、まさか町が買い取るとはねえ・・・・」
「でも、町長、買い取るといっても、予算の方はどうなるんですか?」
 前島がボールペンでテーブルの上をポンポンと叩きながら良介の方を見た。
「ちょっと待って下さい。これはまだ決定したわけではありません。向こうの会社の方から町に打診
がありまして、それで検討している段階です・・・・」
「そうでしたか・・・・でも、あの工場の敷地となると、かなりの広さになるんじゃないですか?」
 管野が腕組をしながら良介の方を見つめた。
「住宅地としては二百世帯ほどありますが、ほとんど長屋形式になっていますから、それほどでもあ
りません。それ以外にも、社員の福利厚生費の一環として、会社が約五十坪くらいの畑を社員に貸
し与えていた土地がありまして、こちらの方は農地の有効活用を図る目的で、公社の方で買い取っ
ています」
「そうですか、じゃあ、まあ、買い取ってもそれほどべらぼうな金額にはなりませんか・・・・」
「そりゃそうですよ、管野さん。住宅を取り壊して更地にする方が、かえってお金がかかるでしょう。
土地の値段といっても、こんな田舎町ではそんなにはならんでしょうから・・・・」
 篠原が斜め前に座っている管野の方を見やりながら頷いた。
「住宅は老朽化しているものも一部ありますが、工場が閉鎖してからそれほど時間が経っているわ
けではないので、十分使えると思います。農業を基盤とした町づくりのための、インフラというか基本
的な柱にはなろうかと思います。今の日本の農業は、この町でもそうですが、高齢化で担い手の減
少と共に、遊休農地が年々増加しています。最近では若者の新規就農の関心も高まり、県や自治
体でも積極的に移住を促進する姿勢は見られるようになりましたが、一番大きな問題は、この農地
と住宅の確保です。農地は県や自治体が所有しているわけではなく、あくまでも農家の所有です。
いくら農家が農業をやめたからといっても、その遊休農地の中には地主が不明な農地も沢山存在し
ています。若者が農業を新規就農するために移住してきても、自治体としても地主の許可がなけれ
ば農地を貸すことはできません。農業を基盤とした町づくりのためには、この農地と住宅の確保が何
よりも重要になってくるということですね」
「なるほどね。何となく見えてきたような感じがしますわね。大体のアウトラインが・・・・」
 婦人会会長の白石が、ハンドバッグからポケットティッシュを取り出して唇に当てた。
「人はどうするんですか?この町の住人だけでは無理ですよね・・・・」
 前島がテーブルの下で両手を組みながら、横顔のまま良介を見た。
「特に制限は設けてはいませんが、基本的には新規就農者や移住者を前提にしています」
「で、何人くらい予定しているのですか?その新しい町の住民は・・・・」
 管野が茶色のスリーピースの上着を脱ぎながら尋ねた。
「具体的な人数につきましては、また後ほど触れさせていただきます。この新しい町づくりというのは
既存の町を新しくするというのではなく、それとは別に、全く新しい町を創造するということですから、
その町の住民に上限とか、下限というものがあるわけではありません。しかし、新しい町として造る
上では、農業だけではなく、工業や商業などの機能も必要になってきますから、必要最低限の人員
を試算しなければならないとは考えています」
 
                       (以下次号)