ブログでコツコツ書いてきた「乗り切る力」
ひとつ、おもしろい動きがありました。
近いうちに、お伝えできると思います。
「元気なだけでひとを元気づけられる」
こんな話をしました。
ただ、あなたの場所で懸命に生きる、
あなたの姿に、あなたの知らない誰かが元気付けられているのです。
他人を元気付けられる自分になることは、回り回って自分の元気にもなり、それぞれのひとが自分の場所で元気を出すことで、元気の循環が起こり、何があってもくじけない社会、つまりみんなが集団免疫を獲得したような社会になるとわたしは思っています。
そのつながりを、何物も分断することはできません。
元気なことは、ひとに元気を与えます、
しかし、その逆も然り・・・
コロナにかかったひとが、後ろ指を指されてしまう現象が起こっています。
いまや、いつ誰が発症してもおかしくない状態なのにもかかわらず、学校や職場、地域でコロナにかかってしまうひとがいると、肩身がせまい思いをしたり、感染者が多い地域にいるだけで、迷惑がられてしまう。
いつ誰がかかってもおかしくないとしたら、かかってしまうかもしれないことを特別視しないで、かかったひとに優しくなれたらいいですよね。
周囲からの風当たりの正体とは?
医療現場やスーパーなど、最前線で働く街のひとへのインタビューで、コロナにかかると家族に迷惑をかけてしまうのが怖いと答えているひとがいました。
わたしが配信しているLINE公式アカウントのおなやみ相談にも、自分が感染して家族に感染させてしまうのが怖いというおなやみが届きます。
大変な現場で働きながら、ひとに迷惑をかけることを恐れて肩身がせまい思いをされているひとたちの姿に胸が締め付けられる思いになりました。
コロナに感染すると、感染経路がたどられます。
まるで犯人探しをしているようですが、感染経路をたどるとは、AさんからBさんにコロナがうつった場合、Aさんが、Bさんにうつすというひどい行動をしたのではなく、Aさんが持っていたウイルスが、Bさんに感染したというウイルスの動きを解明するためのものです。
そうです、ひととウイルスを分けて考えましょう。
人為的に、自らウイルスに感染して、憎い奴にうつそうと狙い定めても、そうそううつせるものではありません。
なかには、コロナに感染したひとが、まきちらしてやる!といって犯罪を起こすこともありますが、それは他でもなく怖いからです、ひとりで自分が感染したことを受け止められないからです。
ほとんどのひとは、ただただ恐れています。
その恐れが、他人への攻撃になっていることにも気付かずに。
コロナにかかったひとを責めずにはいられないひとは、明日は我が身かもしれないから、怖いのです。
いじめが起こる構図を思い出してみてください。誰かがいじめられていて、自分もいじめに加わらないと今度は自分がいじめられてしまう、あの感じです。
自分も怖いから、感染したひとを遠ざけて自分と分離させずにはいられないのです。
そしてやはり、みんなかからないように気を張っているから、かかってしまったひとが不注意な生活などしていようものなら、自分はこんなに気をつけているのにと責めずにはいられない。
ひとことで言えば、人々がコロナに慣れていないのです。
もしもこれが風邪ならば、風邪を引いたらマスクをして、人混みを避け、うちにいる、と、まさにSTAYHOMEをすればいいだけで、風邪を引いたひとを差別する、なんてことはないですよね。それは人々が風邪という病気に慣れているからです。
わたし自身、感染者の多い地域に住んでいて、実家にはしばらく帰れないし、遠方に移動することはしばらく難しいだろうと思っています。
自分の実家の地域のひとが、わたしが帰ってくることを歓迎しなくても、差別だとは思いません。それもやむなしと思います。
いまできることは、慣れることです。
慣れるとは、自分や周りの誰かがコロナにかかるかもしれない状況を特別なことだと思わないこと、そして、人々がこの状況を恐れて、風当たりが強くなってしまうのも、みんながこの状況に慣れていないから致し方ないなと受け入れることです。
差別されたというより、みんな怖がっているな。だって得体が知れないウイルスだから、と。
発症してしまったひとを犯罪者のように責め立てるひとを見たときは、ひとに向けられた攻撃を、責めるのはひとじゃなくてウイルスだよ、静かに矢印の向きを変えてみてくださいね。
いましかできないことを見つける
次は、こんなお話をしますね。
また、読んでもらえたらうれしいです。