社会が一休みせざるを得なくなった今、心がしんどいと意識していないひとでも、丁寧に生活 してみようと立ち止まってみるいい機会だとわたしは思っています。
気持ちが外へ外へ向いて、キラキラいつも元気じゃないとイケてないみたいな無理をする必要はないのですから、ここはしっかり心の栄養をたくわえましょう。
心がしんどいなら、それを受け入れ、じっくり向き合い、どんなことが自分の心を楽にしてくれるだろうと、試しまくってみればいい。
「お金がたくわえられなくとも心のたくわえをしよう」
心のたくわえは、お金をたくわえること以上に大きな安心につながります。
一見、お金がなければ、安心できない気がしますが、心の中が不安でいっぱいなら、どんなにお金があっても、お金があることが安心にはつながりません。
なぜなら、安心とは、これだけの条件が揃えば必ず担保されるというものではないからです。
では、どうしたら心の底から安心できるのか?
安心は自分のなかにあると気づけば、心に平安が訪れる
たとえば、マスクをすることについて考えてみましょう。
スーパーや電車の中で、マスクをつけていない知らないひとが、自分に近づいてきたら多くのひとは落ちつかないと感じ、自分が感染しないか心配になり、かつ、マスクをつけていないひとのことを、このひと感染しないかな?とちょっと心配するでしょう。
つまり、マスクをすることは、ひとを安心させてくれます。
ですが、猛暑の中、一瞬もマスクを取らないで歩いていたら、熱中症にならないかそちらの心配にもなったりします。
そこで、周りにひとがいないところでは、時々はマスクを外そうとか、他人がたくさん集まるところでは、相手に伝えるでもなく適切な距離を取ろうなど、臨機応変に、自分を自分で守る生活にわたしたちは馴染んできました。
わたしたちはいま、だいじょうぶだと思える方を、自主的に選んでいるのです。
だいじょうぶと思える度合いがひとによって違うので、時として論争が起こりますが、何が正しいのかまだわからないいま、大切なのは、自分の中に安心基準をしっかり持ち、それを信頼することです。
わたしたちは、自分を不安にさせるものを排除したいと思っています。
確固たる対応策が見つからないないなかで、言われ始めた「WITHコロナ」ということばに、多くのひとが、最初は抵抗感を持っていました。
ですがいま、すっかり定着しています。
共存するしかない状況にあるからです。
「乗り切る力」の趣旨は、まさに「WITHコロナ」。
何があってもだいじょうぶと思える生き方とは、コロナと共存する世界でも、だいじょうぶと思える生き方のことです。
それは、はっきり言えば、コロナを発症してもだいじょうぶと思える生き方の提案です。
本当の安心とは、何も起こらないから得られるのではなく、何が起こっても自分はだいじょうぶと思えた時に得られるのです。
わたし自身、自分がよく行くお店で店員さんがコロナを発症して、しばらく店が休みになるということが何件かありました。
あなたの知っているひとが、コロナに感染したりしていますか?
いつ誰が発症するかわからない、身近なものになってしまっているコロナですが、実は、わたしたちはいま、心がコロナに侵されないように、抵抗力を身につけているのです。
わたしたちは、無意識に恐怖と折り合う方法を少しずつ身につけています。それはまさに、コロナの抗体を獲得するようなことです。
誰もが口にしなくても、もしも自分が発症したらどうするかなんて状況は、シミレーションしてみたことがあるでしょう。
発症しないに越したことはないけど、発症してもだいじょうぶだと心の底から思えたなら、あなたの心に、そこはかともない平安が訪れるでしょう。
だいじょうぶ、あなたは日々、強くなっていますよ。
元気なだけでひとを元気づけられる
次は、こんなお話をしますね。
また、読んでもらえたらうれしいです。