あなたの身近なひとが、コロナに感染したりしていますか?
いつ誰が発症するかわからない、身近なものになったコロナですが、一般化するということは、その現象に慣れるということでもあります。
慣れることは無意識の安心であり、それは自分の中から湧き出てくるものです。
「安心は自分のなかにあると気づけば、心に平安が訪れる」
実は、わたしたちはいま、心がコロナに侵されないように、抵抗力を身につけているのです。
わたしたちは、無意識に恐怖と折り合う方法を少しずつ身につけています。それはまさに、コロナの抗体を獲得するようなことです。
では今回は、最も抵抗力を高め、これこそコロナの抗体を獲得することではないかとわたしが思う方法をお話しします。
その方法とは・・・
元気を出すことです。
え?そんな単純な。
ただでさえ弱っているのに・・・と思いますか?
元気なだけでひとを元気づけられる
これからどうなってしまうのだろう・・・
数ヶ月前、わたしたちは不安に陥れられました。街が止まりました。経済も止まりました。
いま、わたしたちは折り合う方法を身につけ、街はまた動き出しました。
ですが、本当のダメージを受けているのは、いまかもしれません。そんないま、わたしたちを元気づけてくれるものがあるとしたら・・・
商売が立ちいかなくなることだってある。
街が動かなくなることだってある。
だからこそ、元気に商売をしているひとの姿が、それだけでわたしたちに元気をあたえてくれているのではないでしょうか。
自分を元気付けようとしてではなく、そのひとはただそのひとの場所で元気に働いている。
商売が立ちいかなくなることだって普通にあることを知ったからこそ、それはあたりまえじゃない。その姿に光を感じます。
平和なときは、しゃかりきに仕事しないほうがかっこいい、売り込まないのに売れちゃいました! と言ってるほうがスマートで、商魂たくましいとガツガツしていると敬遠されがち。
ですが、非常事態を経験したいま、元気に商売しているひとの姿をみると
「そうか、自分もまだまだやれる」と元気付けてもらった気になります。
社会が分断されたと言いますが、考えようです。
直接、出会えたり、自分のために何かしてくれているひとではなく、それぞれの場所で元気を出して働くひと、暮らしているひと、ソーシャルディスタンスのひとの存在から自分を元気にしてくれる影響を受けることは可能です。
個人的には、街のひとみんなが同士になった感覚があります。
自分と関係のない分野であっても、商売をがんばっているひとには、応援の気持ちが湧きますし、見えない連帯感を感じるのです。
さぁ、元気を出せと言われたら、無理だと感じるかもしれません。
ですが、ここでいう元気とはハイテンションに周りのひとを元気付けましょうということではなく
ただ、あなたの場所で懸命に生きる、
あなたの姿に、あなたの知らない誰かが元気付けられているのです。
そして、他人を元気付けられる自分になることは、回り回って自分の元気にもなり、それぞれのひとが自分の場所で元気を出すことで、元気の循環が起こり、何があってもくじけない社会、つまりみんなが集団免疫を獲得したような社会になるとわたしは思っています。
そのつながりを、何物も分断することはできません。
あなたも、まだ見ぬ誰かの元気になってみませんか?
そんな気力がない、というあなたはぜひ、朝起きたら窓を開けてください。
大雨が降ったり、地震や津波が来たり、自然はひとを惑わせることもありますが、すくなくともコロナが来たから太陽が出なくなる、なんてことはありません。
あなたが失業した日も、失恋した日も太陽は登り、朝が来ます。
それは、何があってもあなたはだいじょうぶということ。
自分の中から元気が出ない日は、すべてのひとに降り注ぐ太陽から元気をもらってくださいね。
周囲からの風当たりの正体とは?
次は、こんなお話をしますね。
また、読んでもらえたらうれしいです。