病気は自分が選んでる?先天的な病気でも? | 藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba

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作家。著書29冊。相談30000件超。ananによる信頼できるカウンセラー20人の1人。NHKEテレハートネットTV出演。2023年4月「バズる!ハマる!売れる!集まる!WEB文章術 プロの仕掛け66」発売9日で増刷、7月18日枚方蔦屋書店で101人講演会開催

藤沢あゆみですドキドキ

「病気はあなたが選んでいる」
よくそんな言葉を聞かない?

そういう言葉を聞いたとき
わたしは正直なところ思いました。

確かに、気にやむことでかかってしまう病気とか
自分の不注意で起こしてしまう事故とかはそうだけど

自分にその意思もないときに
背負ってしまう先天的なものは
違くないですか?


はい。
わたしは先天滝なものを背負っていますが
自分が選んだとは思っていません。




というか

それ以外を選ばせてももらえなかった

というのが正直な感覚でしょうか。

なのでよくあるような

わたしがこの人生を選んできた!
なんてきれいごとだと思っています。


では、自分以外のなにかのせいか。

たとえば見えない世界の話として
前世の誰かが無念だったり辛い思いをして
その思いが何代かか先のひとに出るみたいな。

そうですね、あるのかもしれません。

で、思ったことはですね。

誰のせいでも同じということです。
それがわかったところで意味がない。


誰かのせいだったら黒エンジンから始まるので
恨みとか恨まないようにしなきゃという
エネルギーから始まるってなんだか
エネルギーの無駄だし

わたしには

誰のせいでもないけど
なんだかそうなっちゃった運命と思うのが
一番しっくりきます。


まぁその点ではちょっとツイてなかった。

しかしそれをどう生きるかは
自分にしか選べないし
また、選べる。


初期には、それがあっても困らない方法を色々考えました。
おかげでコミュニケーションの本もたくさん書きました。

先天的なものだとどうしても
自意識オーラを背負ってしまうので

知らないひとには交通事故にあったと話し
普通というオーラを身につけようとしました。

まぁいま思うとまだ気負ってるなー。
いまならさらにフラットに運命を捉えると思うけど


自意識なんて言葉も知らないとき
非言語で、そういうものを感じ
回避しようとしていたんです。

なんて、何もなかったらない発想でしょう?

だからおもしろいんですね。

これは
何か背負ったほうがいいということではなく
どんな運命からも得るものがあるんです。


だから誰のせいかは大して関係がないということ。

そうですね。
道がわからない場所に行くのに
タクシーに乗るとします。

それでも迷われる場合があります。

でもいいんです。
方向音痴の自分が探しまくって
クタクタに疲れるより

運転手さんに託して
残念ながら迷われて遅れた。

一見そっちのほうが損ですが

わたしは道を探すことに責任を負わない。
遅れたら運命と思っています。
そういう感覚かなー。


で、最近面白いことに
あまり迷われなくなったんです。


前はわたしも

わからないから乗ってるのに
タクシーの運転手なのに客に道を聞くな!
ナビのせいにしてくどくど説明するとか最悪!

とか思っていました。

そのときはよく迷われたんです。

ところが・・・

最近「間に合いましょうね」
というエネルギーを送るようにしてみたら
迷われることがほとんどなくなりました。


これは全てに通じることじゃないでしょうか。

わたしは病気を自分が選んだとは思ってないけど
ひとのせいにもしていなくて
あって無くせないものなので
あってもしあわせに生きようと思っています。
そうすると人生そうなっていくんです。


もしも先天的なものがあって

病気はあなたが選んできた

という言葉にざわざわするひとがいたら

選んだ、と思う必要はないと思います。


ただ、原因が自分じゃなくても
その人生を生きるのは自分しかいない。

病気込みでしあわせな人生にしようと思ったとき
病気を選んだかのように
しあわせが待っているのではないでしょうか。



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