朝ドラに尾張の伊藤圭介の孫が登場、「雄しべ」「雌しべ」「花粉」うらら | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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鶴舞公園図書館前の伊藤圭介像、

いらぬ開発して、この銅像は(・・?

 

伊藤 圭介は、幕末から明治期に活躍した理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」びっくりマークという言葉を作った事でも知られる。尾張国名古屋出身。名は舜民、清民。 字は戴堯、圭介。号は錦窠。

 

植物園に記念室

 

 

 伊藤圭介の遺品は、圭介の孫にあたる伊藤秀雄(岐阜高等農林学校教授)氏のご子息伊藤宏氏より1951年(昭和26年)に寄贈されました。それらの遺品は、伊藤圭介の研究の第一人者である吉川芳秋氏のご尽力により1968年(昭和43年)『伊藤圭介翁遺品調査・鑑定報告書』としてまとめられました。その後も、圭介の子孫の方々などから多数の貴重な遺品の寄贈を受け、また吉川氏の蔵書の提供も受けて、伊藤圭介資料が充実しました。

 

 伊藤圭介は、江戸時代から明治初めにかけて日本を代表する植物学者として、多くの業績を残しました。

 みなさんが知っている「おしべ」、「めしべ」、「花粉(かふん)」という言葉は、圭介が名づけたもので、圭介が27歳のときに書いた『泰西本草名疏(たいせいほんぞうめいそ)』という本の中で初めて使われています。

 圭介は、江戸時代の終わりごろ1803(享和(きょうわ)3)年に、医者であった父・西山玄道と母・たきの次男として名古屋の呉服町(現在の名古屋市中区丸の内)に生まれました。幼い頃から父や先生に学び、植物学者として有名になりました。

 名古屋で活躍したあと、明治になると新政府からお願いされ、東京の小石川植物園で植物の研究を行い、当時日本に来た外国人の植物研究家の間で圭介は人気になりました。86歳のときには日本で最初の理学博士になっています。

 植物の中には伊藤圭介の業績をたたえて、ケイスケ(keiske)の名前が付いた植物がたくさんあります。