2年半前
私は最愛の親友を亡くした。



それが大きな引き金になり
終活コンシェルジュになった。



それからというもの、今もなお

私なりにたくさん死とも向き合ってきた。




実際、母の死を目の当たりにして

こんなにもすんなりと
母の死を受け入れられている自分に驚いた。





『どんなに尽くしても後悔は必ず残るもの』

とは聴いていたけれど




母の死に対して私は

『一片の悔いなし!』

と言える。




親友の突然の死の方が
よっぽどショックで


もうどうにもその現実を
受け入れることができなかった。


今でもその現実に
頭がぐるぐるしてしまうことがたまにある。


時間では必ずしも解決しないこともある
という現実を知る。





『突然の予期せぬ死』と


『心構えの出来ている死』とでは


こうも違うものなのか。



身近な二人の死を経て思い知った。







『最期はポックリ逝からね~!』


という母本人の言葉通り


最期は割とあっけなく
苦しむこともなく
ポックリ逝った。


最期の最期まで思い通りに生き切った母。





母は最期に、

死に対して改めて考える機会と、
新たな使命を私に与えてくれた。






母とは過去、色々やりあったりもしたけれど

今となってはそれらもすべていい想い出。

今はもう感謝しかない。





母の死を

私は『祝福』とさえ感じている。


新たな旅たちの始まり…。


急逝したなら『祝福』だなんて
きっと思えなかっただろう。




今生きてるこの世界は
序章に過ぎないと私は思っている。



私は死をネガティブには捉えていなくて
むしろ前向きに捉えている。



ただ、それは死に方にもよる。



2年半前、突然旅立った親友に対して
祝福だなんていまだに到底思えない。



ただそれさえも、
残されたこちら側の勝手な想いであり


旅立った方は、
それまでの痛みや苦しみやしがらみから
すべて解放され、平等に楽になる。(と信じている)



どんな最期であれ
亡くなった時がその人の寿命。


そう想うことで自分が少し楽になる。





死とは、
長い線上の、誰もが必ず通る
ひとつの通過点に過ぎない。


死後魂は肉体から離れ
その先もずっと続いていると私は信じてる。




生きてる今

何がしたいのか
何ができるのか
何を遺したいのか
どう死にたいのか


有限な命であるからこそ

私はそこに
“美しさ”と“儚さ”と“価値”を感じる。











今は亡き母の認知症・病気・介護・危篤、
親愛なる親友の急な死をキッカケに死と向き合い、活動することになった背景を綴った記事の数々。












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すべて本気です👍