あるシャワーを浴びている時

突然ふと母のことを想い出した。





もしもこのまま(1年近く会えないまま)
母が逝ってしまったら…



なんて考えが突然ふと浮かんで


急にもうどうしようもなく
無性に母に会いたくなった。

(のちに考えたら、
 これは虫の知らせというやつだったのか?)




その数日後、

母が入院したと父から電話。




そしてそのまた数日後、


母が危ない。
もう意識もない。


今なら(コロナだけど特別に)会えるよ、と。





迷わず、すぐさま旦那と母の入院先へ駆けつけた。






ベッドに横たわる
久しぶりに会った母は
前より小さく見えた。




私の中で小さく覚悟を決めた。




これが本当に最期かもしれない

という想いで



レイキ流して
たくさん母に触れ


母の姿を目に焼き付けて

母の肌のぬくもりを

自分の肌の感覚に

忘れないようにと一生懸命刷り込んだ



氷のように冷たい両足に
レイキを流し始めたら

少しずつ、じんわり温かくなってきて


生命力と鼓動を

かなり弱っていながらも
しっかりと肌で感じた





“苦しまないでくれたらそれでいい”


“頑張らなくてもういいよ”



母の耳元で伝えた



意識のない母に

“また来るからね”って…

(次はもう会えないかも?
 という覚悟がその時あった)




意識がなくても
耳は聴こえてる
(母は人一倍耳が良かった)


母はきっと私たちが来たことを
ちゃんとわかってた




もしかしたら


これでお別れかもしれない


これが最後かもしれない



そんな想いで病院をあとにした。







その数時間後



母は静かに天国へと旅立った。


苦しまずに安らかに逝った、と。




それを聞いて


一瞬哀しみはあったけど


ただただ、安堵した。




苦しまなかったならよかった。


ただただ、もうそれだけでいい。




私の、母に対する最後の希望を
母は最後に叶えて逝った。





母は最期の最期まで

何の心配も、不安も、苦しみもなく、
本当に幸せだった✨





認知症になる前も

認知症になってからも




『お父さんと一緒になって本当に良かった!』


と、母はよく口癖のように言っていた。






私から見た母は


やりたいことをやり、言いたいことを言い

バカ正直で、真っ直ぐで、嘘がなくて

ちょっとトリッキーで天然な陽キャラ。





若い頃、宝塚の追っかけしてて
自分も夢見て、親にナイショで
オーディション受けて感動されそうになったり


いつも歌詞思い切り間違えてたり
勝手に歌詞作っては大声で唄ってたり


すぐ店員さんや見知らぬ人と仲良くなっちゃったり


子どもも孫も旦那も、呼ぶのがごちゃ混ぜなのに
(孫のこと、婿の名前呼んだり)
本人まったく気にしてないし
直すつもりもなかったり


『オーブン』のこと『オープン』とか、
色んな物の名前を間違えて覚えたまま
何度訂正しても更新できなかったり…




ほとんど笑い話しか出てこない。






途中から寝たきりにはなったけど



真実をも覆し

認知症のお陰で最期の最期まで
人生を謳歌し全うして逝った。



自分も、まわりをも納得させた上での死。




母の生き様は圧巻だった。



 

妄想の中で母は自由自在だったから
きっと最期はこんな姿になって
微笑みながら天国へ旅立った…。

と勝手に妄想✨







今は亡き母の認知症・病気・介護・危篤、
親愛なる親友の急な死をキッカケに死と向き合い、活動することになった背景を綴った記事の数々。












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