戦争が好きな人は居ますか?
ほとんどの人間が戦争は嫌だと思うはずです。
悲惨だし残酷だし、得るものよりも失うリスクの方が遥かに高く全くメリットがありません。
では戦争が起きる原因は知っていますか?
戦争は嫌いだし望まないけれど、戦争がなぜ起きてしまうのかは考えることって少ないのではないかと思います。
多くの人間が平和な世界を望むのに、戦争が終わらないのはなぜでしょうか。
その原因が、実はあなた自身の中にあるとしたら何を思いますか?
自分と関係ないと思っていた世界の現状とあなたが実は関係していたら、何を改善し何を望むでしょうか。
課題に対する原因を見つけるとき、その課題の大前提を疑うことで原因を導くことができます。
ですから、世界の限界はそれを認識するあなたの限界でもあるのです。
人類は人間の時間軸で、500万年間の歴史を紡いできたわけですが、その500万年間の内で戦争、争い、紛争のない平和な時はありませんでした。
常に、集団と集団がぶつかり合い、多くの血を流して、文化、文明を失ってきた人類の歴史は、戦争の歴史といっても過言ではありません。
二つ以上の集団がぶつかり合い、武力で一つになろうとする行為を戦争と言ってきましたが、人間はなぜここまで戦争が好きなのでしょうか?
今の世界を見渡してみても、国を支える基盤である、政治、経済、教育、宗教、は戦争をするための道具になってしまっています。
もっと言えば、「国」という概念自体がそもそも「戦争の単位」であるといえます。
今もっとも代表的な衝突はアメリカと中国であり、自由主義陣営と共産主義陣営の衝突だと思いますが。
なぜ、方向性を誤ってしまうのか。それは集団がバカだからなのでしょうか?
もう少し視野を狭くして国家関係から人間関係へと視点を移してみましょう。
人間一人一人を見てみると、気づきや感動の溢れ、スッキリわくわくな関係性で毎瞬を楽しんでいるというよりは、人間不信、目先の未来不安、人間関係の不満、ストレスを抱えている人がとても多いです。
特に人間関係は大変で会社では、立場の違い、役職の違いの壁を超えることは難しいし、異性関係であれば価値観の違いを超えれずに、互いに互いをジャッジすることで関係が壊れることはよくあると思います。
国同士の関係も大変ですが、個人も大変です。
なぜわかり合うことができず、協力し合うこともできないのか。その原因はなんでしょうか?
国に問題があるからでしょうか。相手に問題があるからでしょうか。それとも自分自身に問題があるからでしょうか?
その、答えを解く鍵は全ての大前提にあると思います。
全ての大前提は、人間の脳を基準としていることではないでしょうか?
人間は脳を使って、考えたり行動したり創造したりしています。
そして、当然ながらその脳を取り外したり、取り替えたりしたことがありません。
でも、もしその脳に限界があったとしても、そのことを理解したり、実感することは難しいと思います。
なぜなら人間の脳以外の脳を体感したことがないし、脳がない世界を認識したことがないからです。
人間の脳が世界全体を正しく認識できていないという事実は有名な話で、例えば視覚であれば、可視光線の限られた範囲しか認識できません。x線や紫外線などは見ることができないです。そのほかの感覚も同様ですよね。犬ほど鼻は効きませんよね?
だからつまり全ての動物の頂点に立つ人間様でも世界全体は認識できないということになり、むしろ部分感に固定されていることになります。
だから、目に見える表面上の相手の言動を見て、怒ったり、腹を立てたりして、相手を否定したくなったり最悪の場合殺してしまうこともあるのです。
表面的に見える言動の裏にある、相手の本当の思いや感情を認識することがとても難しいのです。
また、脳は境界線を引くことで、自分も他をはっきりと分けて認識するので、分けたもの同士での争いも起きやすいです。
自分と他人、集団と集団、国と国、本来は境界線のない一つとして捉えることができることも、分離して認識するクセがあります。
だから、日々多様な問題が自身の身に降りかかってしまうのです。
しかし、すべてが悪いわけではなくて、部分感と分離意識によって人間は、ここまで文明を発達させてくることができました。
車や飛行機で自由に移動でき、スマホで世界中の情報に触れられるし、病気もすぐに治るようになってきました。
そして、今、AIやIOTなどの技術が発達し、シンギュラリティを迎えようとし、人間のアイデンティティが問われています。
だからこそ、私たち人間は部分感に固定された脳に対して問題意識を持ち、全体を認識でき、本来の自分と出会うことへの探究をしていかなければならないのではないでしょうか。
このブログが、少しでも多くの人の思考を広げるきっかけになればと思います。