衰弱していく義母と迫る結婚式【天使になった義母⑨】 | 地球の裏側から愛を振りまく

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義理実家から引越して早一年が経った頃、義母の症状がまた悪くなり、同居することになった。




↓前回の記事 


初めからは右差し

【天使になった義母①】 





そんなことになるのではという覚悟はあったものの、こんなにすぐ症状が悪化するとは不安




私達はいよいよ別れの覚悟をした。




またゲルソン療法などのダイエットに戻したり、癌対策をすることも考えたのだが…。




その時の話↓




義母がそれを望んでいない様に思えた私達は、食事を変えたりせず、義母が食べられる物、食べたい物を作った。



私達が野菜やジュースを飲む時は飲んで貰ったりした。



この辺りの記憶が少し曖昧なのだが、この時点では食事療法などはしてなかったと思う。




ただただ、義母と共に時間を過ごした。




もう長くはないだろう。




家族皆がそう感じていた。





それでも、義父は自分の生活は変えなかった。




朝起きて、朝食を食べたら食器はそのまま(パンにベジマイトを塗って食べるだけだからたった一枚の小皿である)テーブルに置いて、庭でタバコを吸いながらコーヒーを飲む。




ここでちょっとオーストラリア豆知識コアラ


ベジマイトとは、オーストラリアやニュージーランドで食べられている発酵食品。かつて、イギリスからの移民が多いオーストラリアでは、イギリスの国民食であるマーマイトと呼ばれる発酵食品を輸入してたが、第一次世界大戦の混乱により、輸入が困難になった。



そこで、1922年に大手食品会社のフレッド・ウォーカー社によりマーマイトに似せて商品開発されたのがベジマイト。風味は異なるものの、同じ様にビール酵母を利用してつくられる発酵調味料である。オーストラリアでは、朝食のトーストに、日常的に食卓にのぼる国民食である。



因みに私はこちらのベジスプレッド派ラブラブ




知らぬまにこんな新商品も出てるグリーンハーツ


もしくはジャパニーズらしくミソマイト!

大豆だけじゃなく、蕎麦の実やひよこ豆など色んな豆で作る味噌マイト。サワドーブレッドにミソマイト塗ってアボカドスライスのせて食べたらめちゃ美味しいのだよだれ是非お試し下され音符



【こちら参考記事ダウン英語ですが写真付き】 



脱線しましたが記事に戻りますニコニコ






そして、コーヒーを飲む義父の横に義母は座ってひたすら義父の話を聞くのだ。




これが毎日のルーティンだった。




義父の話はメカニック?的な小難しい話ばかりで、正直よく分からないし面白くない…w




義母はそれでも熱心にうれしそうに話を聞いていた。




義母に「話聞いてて面白いの?」←失礼爆笑



と聞いたら。



「たまに聞いてないわよ。うふふ。」だって爆笑




きっと義母は義父と過ごすその時間を大切にしていたのだと思う。



夫婦イメージ画です




にしても、義母が病氣だと言うのにお皿はそのままだし、(義母の食事を作ったり家事をするわけでもなく)咳をしている義母の横でタバコを吸ったりして、当時の私はちょっとモヤモヤしたんだわ驚き




そして、相変わらずシェッド(作業場)に一日中こもっている。義兄が来ても同じ…また男達でおこもり爆笑




夫は時間を見つけてはベッドの横に座って話をしていた。




それでも、義兄も毎週顔を見に来ている。

それが彼の愛情の示し方なのだ。




今思えば彼らは義母の現状を見るのが、耐えられなかったのかもしれない。もしくは単なるマイペースか指差し




兄弟イメージ画です




私は当時義母が好き過ぎて、もし夫が死んだら義兄と結婚しても良いかなとまで思っていた爆笑(夫に言ったらドン引きw)




そうしたらずっと彼女の娘でいられるから。




ヤ、ヤバイ!ヤバすぎる思考爆笑




結婚しても良いかなって上からやしw

お兄さん彼女いるからね爆笑




義母が亡くなった今、絶対無理!!タイプちゃうしw 

ま、向こうも無理だろうけど爆笑




それに、義母なら例え夫と別れても、いつまでも私を娘として接してくれる。そんな人だ。




私は義母が寝るベッドに一緒に横になり、色んな話をした。今まで自分の母親にもこんなに氣を許して話した事はなかったのではないか。





彼女なら、私がどんな考えを持っていても受け入れてくれる。そんな氣持ちにさせてくれるのだ。




彼女のホロスコープには私と同じ月と海王星のオポジションがあって、私の月・海王星と見事にミスティックレクタンガルが形成されていた目




私はそんな彼女の在り方から沢山の学びを得た。




もちろん、病氣や体の事、生き方やパートナーシップなど、今一度考える機会も与えてくれた。








そして、日本で挙げる結婚式の話も嬉しそうに聞いてくれた。





元々は、長男が生まれてから日本で式を挙げる予定だったのだが義母の事もあり、予約していた日から一年延期していたのだ。



過去記事参照↓



そんな私達の状況を知っている義母は、私が結婚式をキャンセルしたり、延期をした方が良いのではないかと迷う事を案じてこう言った。



「お願いだからどんな状況になっても、予定通りに日本で結婚式を挙げてね。私のせいであなた達に迷惑をかけたくないの。分かるでしょう?」



きっと私が、罪悪感を持たぬ様に言ってくれたのだろうと思う。





義母が出席出来るようにと思って延期したのに…昨年なら来れていたじゃないか悲しい



いや、オーストラリアで挙げていれば義母も出席出来たじゃないか…と悔やまれた。



義母は「今まで何度も結婚式に出席したけど、我が子の結婚式に出席出来ないなんて。」と少し残念そうだった。ゴメンョぐすん


義兄は元パートナーとは子供はいるけど結婚はしなかった。



私は日本用に買ったドレス(義母のドレスはオーストラリアでなら借りるつもりだったんだけどね)を着てみせたり、結婚式の話をしたりガールズトークに花花を咲かせた。



そしていよいよ結婚式の2ヶ月半前になろうとしていた。


私は結婚式の1ヶ月ちょっと前には日本に戻りあらゆる準備をしなくてはならなかった。(それでもギリギリ)



その頃の義母は、痛みや咳が出ることもあり、床に伏せる日が多くなってきていた。



痛みを和らげる為に、背中をマッサージしたりアロマテラピーを使ったり思い付く限りの事はしたが、私達に出来ることには限りがあったのだった。



次回に続きます。


モリリン🥭