江口の君
大阪の人でも江口がどこにあるか、知らない人が多いと思います。東成区東北、大阪市の隅っこです。
下の地図は中世の淀川筋を描いたものですが、淀川下流で一部が分水して北に流れ、茨木の安威川と合流して、西に流れて三国川、一名神崎川となりますが、その淀川の分岐点に江口があります。大昔4世紀ごろ応神天皇が大隅宮のおかれた場所で、今も大隅神社と近くに江口君堂があります。ここが中世淀川筋で一番賑わった遊女の里で、そのボスが江口の君と言われます。
遊女または売女の発生は紀元前ギリシャ神殿にたむろする巫女から始まったと言われています。シナでも始皇帝は遊女の腹から生まれたと言われ、日本では元京大教授滝川政次郎氏は、朝鮮の済州島の漂泊民、白丁族が日本に渡って来てからだと言われます。海上交通が頻繁となる中世には、瀬戸内の港町、下津井港や室の津、神崎、そして淀川に入り江口が一番栄えました。
京都から住吉神社詣りや、のちには熊野詣の貴紳たちも、伏見から船に乗り、大阪の渡辺で下船しますが、途中の江口は歓楽地として栄え、また遊女は小舟に乗って、淀川を行き来する船に近づき、客を招きました。その小舟が多数浮かんでいる絵も残っています。要は日本においては、港町が他国人を受け入れる関係で、遊女町が各地に栄え、のちには京都祇園や伊勢参りの精進落としに、古市遊郭が江戸時代一番賑わっています。ただ日本では単に売春に止まらず、吉野大夫などの文化人、また芸能を伴う独特の文化を遺しています。日本舞踊がその代表で京都祇園の都踊りも、元は伊勢古市の踊りが基になっています。
江口にはかの西行が一夜の宿を頼むが、江口の君に断られ、互いに歌を詠み交わし、のち江口の君は普賢菩薩となって現れるという
お能がある。また江口の遊女に生ませた貴人たちの子供も沢山いる。今は昔の話である。





















