蘆刈の男
長らく京都の話が続いたので、大阪から二つ。
摂津国の難波にある夫婦が住んでいた。もともと身分は低くなかったが、だんだん家が逼塞し、暮らしも大変になったので、雇っていた下男下女も暇を出し、二人は細々と暮らしていた。それでも先行きの見えない暮らし向きなので、ついに女は「私が京に出て、宮仕えして稼ぎます」と、男に分かれて京に旅立った。そしてある貴族の家に雇われた。しかし別れた津の国の男が忘れられず、
ひとりしていかにせましとわびつれば そよとも前の萩ぞこたふる
と男を想い出し、便りも出したが男の行方が分からず、女は日々嘆き気にかけていた。
その中、貴族の北の方が身まかり、女は貴族に見込まれて正妻の座に就いた。しかし難波の男が気になって、難波にお祓いの有名な所があるので出かけたいと、夫が同行しようというのも断って、難波に出掛けた。勿論難波の男の所在と安否を尋ねる為であった。
難波に着き、従者に車を引かせて日長探すが見つからなかったが、夕べの頃に車の前を、刈り取った蘆を担いで通る男を見つけ、よく見ると汚い顔をしていたがわが男に似たりと、従者をして葦を買い取らせ、食べ物を与え、いろんな物も与えたりしたが、男は不思議に思い車の中をのぞくと、別れた妻が乗っていた。男は驚いて自分のみすぼらしい姿に恥じ逃げ去った。従者に後を追わせると、さる家の竈門の後ろに隠れていた。そして
君なくてあしかりけりとおもふにも いとど難波の浦は住むみうき
と歌ったので、女は着ていた衣を脱いで包み、文に歌を書いて送った。
あしからじとてこそ人のわからめ なにか難波の浦もむすみうき
これは架空の物語ではなく、実際あった夫婦の話を、口伝えに広がり、今から1000年以上前の『大和物語』に書かれたものである。
何とも二人の男女の生きざま、現在でもよくある話である。