京の隠れ散歩道 5 逢坂の関ー蝉丸神社と関寺趾
京阪電鉄京都三条から出る京津線に乗り換えて、逢坂の関を目指す。昔の山城と近江の国境、もと東海道の入り口である。東海道線の無かった明治初期まで、京に出入りする者は皆この関を通った。様々な歴史を刻んだ関だが、今は京阪京津線が走り、地下に東海道線の逢坂山トンネルが走っている。この関に元地主神に醍醐皇子蝉丸を合祀した蝉丸神社前に停留所がある。
この関近くに住んだ蝉丸の詠んだ有名な歌が、百人一首に選ばれている。なお紀貫之の歌も有名である。
これやこのゆくもかえるも別れては しるもしらぬも逢坂の関 蝉丸
逢坂の関の清水にかげみえて 今や引くらん望月の駒 紀貫之
醍醐天皇の第四皇子・蝉丸は生まれつき盲目で、天皇の命により逢坂山に捨てられ,前世の報いと諦めた蝉丸は、従者の建てた藁屋で琵琶 を生涯の友として生きている。そこへ生まれつき髪が逆さに生える奇病に、逆髪と呼ばれている姉三宮が訪れ、互いの宿命を嘆き合い、二人は悲しみの中で別れる。能の蝉丸は逢坂山を舞台に、 巷説に流布した二人の数奇な運命を歌い上げている。
この逆髪が京から逢坂の関まで来る道行の文章は、リズム感があって素晴らしい。
花の都を立ち出でて、憂き音に鳴くか賀茂川や、末白川を打ち渡り、粟田口にも着きしかば、今は誰をか松坂や、関の此方と思い
しに、後になるや音羽山の名残惜しの都や。松虫鈴虫蟋蟀-きりぎりすーの、鳴くや夕隠の山科の、里人もとか゜むなよ、狂女な
れど心は清滝川と知るべし。
私は神社の奥様のお許しを頂き、能舞台に上げてもらって蝉丸のお謡いを歌わせてもらった。懐かしい思い出である。
蝉丸神社 関の清水跡
能舞台
能 蝉丸 能 逆髪
蝉丸神社から大津寄りに少し歩くと、平安時代にたてられたという関寺の跡がある。14世紀関寺は、一遍上人の踊念仏の舞台となったが、今は廃寺となり跡形も無くなっている。ここが老後の小野小町が住んだところと言われ、小町の供養塔が立っている。能関寺小町は
三井寺の僧に誘われて、百歳の嫗の小野小町が舞を舞い、あと静かに庵に立ち帰るという曲だが、昔華やかなりし美女の小町が、老いてなお匂いを遺す舞は、能の中でも最高の秘曲とされていて、なかなか見ることのできないとされ、現在もこの能を舞う人がいないと言われている。
なおこの関寺近くに京の疎水の長良の取り入れ口があり、更に大津まで半時間ほど歩くと、琵琶湖からの疎水取り入れ口が見られる。
一日の散策に適当な、京の隠れた散歩道である。
関寺跡の小野小町の供養塔 能関寺小町 博多人形
琵琶湖より京都疎水の取り入れ口





