声明〈しょうみょう〉
いよいよ3月。奈良の二月堂のお水取りが始まり、春が近づく。
水取の夜、許可を得て二月堂内陣で、籠り僧の声明を身近に聞かせてもらった。狭い内陣の観音菩薩の前で、「南無観世音」から始まり、最後の走り行では「南無観」「南無観」と短まって、沓音高く走り行や五体投地が行われる。聞いている者も法悦にひたる。
海外の大教会のミサでは、ステンドグラスの窓から、七色の光が教会に挿し込み、大きなパイプオルガンで宗教音楽が奏でられ、非日常で荘厳宗教的な空間を創り出して、信徒の法悦を導き出す。マホメットのモスクでは声量のある信者のコーランによって、独特の宗教空間を創っている。仏教は漢訳されたお経を、漢音や呉音で読経して、宗教雰囲気を創っている。
シナから伝来された声明は、日本では発生が多様化した。
釈迦牟尼仏 しゃかむにぶつ 奈良時代の呉音
せいきゃぼちふ 平安時代の漢音
しきゃむにふ 禅宗の宋音
しきゃめうにふ 黄檗宗の明音
昔から読経の上手なお坊さんは皆から尊敬された。嵐山法輪寺の道命阿闍梨の法華経の読経は、「声は微妙にして幽玄, 聴く人随喜して賛美した」と言われた。「宇治拾遺物語」。現在私は京都宇多野の明光寺の芳賀和尚の読経が最高だと思っている。お経の内容は聞いていても分からないが、ただ声量豊かで、低音の寂のある読経は宗教音楽のリズムに合い、聞いていても法悦感に満たされる。
仏教は読経の内容を重視した近代的平易さの口語訳を取り入れようとはせず、何百年昔からの漢音か呉音の読経を継承している。死者は聞いていても解る筈がなく、生者に何を説いているのか分からない。ただ仕来たりによる読経にお布施を払っている。
大勢が合唱して読経する声明は、関西では東大寺・薬師寺・高野山・相国寺声明が有名である。中でもインド僧実忠和尚によって、奈良時代に二月堂に伝えられた観世懺法の東大寺二明は、西域的な雰囲気を伝えて、聴く人を恍惚の法悦に導いてくれる素晴らしい声明である。・・・・春が近づき、お水取りが始まる頃には、いつも私の脳裏によみがえってくる。もう一度聞きたいなあ・・・と。
堂内での韃靼の火 五体投地













