庭木のこと
高度成長期、男は郊外に庭付きの家を持つことが夢だった。住宅ローンが整備されてない頃、一戸建ての住宅の入手は夢の夢だった。
その望みがかなえられると、こぞって庭木に凝り出した。築山に庭石を置き松や紅葉を植え、隣家との境界にカイズカイブキや目隠しの樹々も植えられた。その樹木は年々手入れをしないと荒れ家のようになってしまう。それに庭の雑草取りも一苦労で、老齢化が進むと庭の手入れのいらない、街中の便利なマンションに引き移ってしまう。もとの庭は荒れ放題。近所迷惑になる。
しかし庭の効用も大きい。朝起きて整備された庭は清々しく映る。我が家垣根は毎年の切り込みに凝りて、硬質ビニールの建仁寺垣に替えてからすっきりし、手入れも不要になり、庭の樹木も一掃して、今は囲い込んだ竹藪、白梅、柚子と目隠しに三本の常緑広葉樹だけで、庭は狭いながらも芝生を敷き詰めて手入れしている。
庭園を造る場合に、はじめは樹木や泉石の結構を競うて、ごたごたと大層に並びたてるが、段々歳が経ち、目が肥えてくると、それらの人為的な布置に飽きが来て、折角金に飽かして集めた磐石をとりのけ、泉水を埋め、築山を毀ち、結局無造作な、自然其のままの光景を賞美することになるということである. 伊庭貞剛 『幽翁』 住友別子銅山公害を収めた偉人
私が今までに見た中で印象に残るお庭は、黒澤明の別荘で、高台にあって眼下に連山の遠望を望む借景だけの庭であり、今や百歳になられる中曽根元首相の別邸は、百坪ほどの芝生の向こうに、アカマツなどの自然林があるだけで、人工的に植えられた樹木がない。自然そのままの景色であり、いかほどか老後の心を癒してくれる空間に思もえる。
各地市内の公園も、庭園業者の提出する図面を査定するだけで全国画一的過ぎる。芝生公園の傍らに、櫟・榛・楢・栗などの雑木林があれば、昆虫捕り、カブトムシ捕り、どんぐり・栗拾いなど、子供が喜ぶ都会の田舎をどうして造らないのだろうか。子供と自然の結びつきは、人間の成長には欠かせられない筈である。