樋口一葉の日記
今年の春の出足が遅く、四月になっても花冷えが続く。散策する気分にもなれず、お陰で読書して樋口一葉の日記を読み、驚いた。
彼女の父と母は、一旗揚げるべく甲州の田舎から江戸に出て、八丁堀同心の株を買い武士の席に着く。まもなく御一新になったが、父は小吏として役所勤めをする傍ら、当時の旧武士に流行していた金貸しも副業とする。
一葉は頭脳明晰な娘だったが、母の命により小学校高等科4年で退学、縫物などの手習いをするが、父は彼女の才能を惜しみ、15歳の一葉を、当時上流社会で有名だった、中島歌子の「萩の舎」に通わせた。歌では主席を取って才を褒められたが、貴族の同友たちに対し
屈辱に耐えた日々であった。
明治20年樋口家の跡取りだった長男の泉太郎が肺炎のため死去、続いて2年後には父も他界する。明治時代、一家の収入源の大黒柱である男の働き手を失うことは、年金や福祉制度の無い時代にとっては、直接生活に響く大打撃である。
母娘3人は家を売り、借家に移るが、次第に家計が苦しくなり、母は縫物で小金を稼ぎ、長女の一葉は質屋通いでその日を暮らすが、生活はますます苦しく、二人は知り合いに小銭の借金を頼み歩き、最後は借金して小さな文具店を開き、細々と生活する。
一葉は日記でその様子を克明に伝えているが、私が感心するのは、
①どん底の貧困生活でも、常に一葉の上層社会志向は変わらず、決して悲観したりせず、自らの心も自暴自棄になっていない。
②明治の江戸は、同郷者と絆は強く、お互い行き来し付き合いは頻繁で、樋口家にも多数縁者が出入りし、貧しくても、泊めたり、食事
まで一緒にしている。貧しいなりにお互いに助け合っている。今ではこういった交流は遠ざかって、明治が懐かしい。
③貧なる環境にあっても、一葉の向学心は強く、暇を見ては図書館にこもり、平安の古典から近世物までの古書を読み漁って、知識を
蓄えている。毎夜忙しくとも半紙に日記を書き続け、自分の思索した思想を書き綴っている。
④初めは売文風の小説を手掛けたが、後半は自分なりの独特の情緒ある世界を描いている。紫式部以来の才媛と称えられ、文語体な
がら、彼女の書く文章は素晴らし。い日本文学の頂点にある。
最近の世情を見ていると、テレビなどの影響で、一億下層社会志向が強い。日本古典を読む人はおろか、感性にやわらかい遊び・食べ物・文化ばかりを選び、苦労しても上層社会を目指そうとする若者が少ない。だから日本の先行きに悲観する。若者よ!大志を抱け!








