レオナルドダヴィンチのメモ帳
1452年春、イタリアのフィレンツェから50キロほど離れた、トスカナ地方の丘陵の丘ヴィンチで、セル・ピエーロが、召使いの女に男の子を産ませた。洗礼名をとってレオナル・ド・ダヴィンチと名づけられた。いわば私生児で、子供時代はわずかな教育しか受けておらず、むしろ家畜の世話や、畑仕事を手伝わせられたり、村の子供たちと丘に登って、村の景色を眺めたりして遊んだ。
文字も自力で覚え、左利きであったが、芸術的な才能は幼い頃から認められていた。そこで父はフィレンツェのアンドレアの工房に入れた。彼はそこで職人としての基礎的な技術を学び、徒弟生活6年間を過ごし、その後も工房で働いた。
レオナルドの時代、正式な教育を受けた者は、ごく早いうちから抜き書き帳を付けるように教えられていた。
読んだ本から有益な文章を抜き書きして集め、
著者別ではなく、
主題ごとに纏める。
その一つには、日常的な会話、たとえば心・体・仕事・遊び・衣服・時間の割り振り・住まい・食べ物など、別の一つには成句・金言・ことわざなどを、もうひとつには様々な著作の難解な一節を、もうひとつには自分自身にとって価値あると思われることを書きつける。
ダヴィンチが死んだ時、推定30,000ページの手稿のメモ帳が遺されていて、その文章と素描は、およそ人間が考えられるすべての問いを題材にしていたという。現存するのは6,000ページ余りと言われる。 ――トビー・レスター ダ・ヴィンチ・ゴースト
レオナルドダヴィンチーあの天才の豊富な知識は、長年にわたる膨大で精力的な抜け書き帳に書き留められていた。人間はすべてを脳に纏めて記憶し続けることは難しい。当然忘れ、消え去って行くテーマもあるからで、その時抜き書き帳があれば助かる。私がここに引用出来たのも私が抜き書き帳に書いていたからである。
子供を持つ親たちに進言する。子供が高校生になった時、生涯自分の精神修養の糧と、趣味や、目指す職業、生活を豊かにしてくれる箴言を、書き止めるノートー抜き書き帳―を怠らずに書き続ける習慣を身に着けさせれば、将来膨大な知識を蓄え、ノーベル賞候補者になれなくても、社会に出て他に一歩抜き出た存在になること間違いないだろう。本人も意欲を持ち、続けさせることが出来れば・・・。