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モノを所有することの意味

最近徐々にものを捨ててる。

服も必要な分以外ほとんど捨てたし、説明書系などの無駄な書類や、思い出の品の大体は
処分するか、スキャンするかした。
プリンターも、いざというときはセブンのサービス使えばいいし来週捨てる予定。
本も大分捨てたが、iPad3がでたら完全に紙からデジタルに移行しようと思ってる。その
頃には日本の電子書籍市場も盛り上がっているだろうから、読みたいときにレンタルする
サービスもあるだろう。そのときに家の本棚の本は全部スキャンして処分しようと思ってる。

もともと収集癖があり、家具から本、思い出の品といったハードからニュースやWebサービ
ス、iPhoneアプリといったソフトに至るまで集めるタイプだった。だが最近こんな状況だと
、身動きが取りづらくてしょうがないと思った。


「所有することは、同時に縛られること」

失うものがたくさんあるやつが、ベンチャースピリットなんか持てるわけない。
いざというときに、失うものを計算してしまって、踏み込めないと思う。


結婚に関しても思う。このまえ友人が、「結婚とかも数年ごとに契約結ぶのってどうかな」
とつぶやいていたが、こんなこと言うと女性に大ヒンシュクかもだが、正直言うとそれも悪
くないなと思ったりする。


自分のスタイルとして、いくら歳を重ねても挑戦している人間でありたい。
少なくとも家のローンが残って子供もいるからと、言いたいことも言えず、やりたいことも
出来ずにリストラにビクビクしながら働いているサラーリーマンとかにはなっていたくない。
日本のエスタブリッシュメント層には辟易するし、エスタブリッシュメント層側には立ちたくはない。


時代の方向性としても、所有せずにシェアすることは進んでいる。
IT業界ではクラウドサービスが盛り上がり、車は購入せずにカーシェア、家を購入する若い世代は
徐々に少なくなってきている。
これは正しい方向性だと思うし、もっと盛り上げていっていいことだと思う。
車とか時計とか、そういう記号で自分で表現する時代は終わったし、それが何か人に幸せをもたら
したとは思わない。むしろ一部の人しかそれによる満足は得られず、縛られて苦しかった人は多い
はずだ。家や車も所有しなければもっと、自由に生きられる。


自由でいることは難しい。高度経済成長から今に至るまで、日本人は自由でいることにコスト
が高かったと思う。自分の意志を貫くことより、組織に守られているメリットのほうが大きかった
だろうから。


今は年功序列や終身雇用が崩れ、それが逆転しつつあると思う。
今後組織は自由に移動が可能なものになるだろうし、プロジェクトごとの組織というものも
近いうちに誕生するだろう。
不景気だし、少子化によって日本は経済的は縮小していく一歩だが、ふと視点を変えてみると、自
由に生きやすくなる時代はもうすぐそこに来ているのかもしれない。


モノを所有しないこと。
これによって拓けてくる世界は意外と楽しいんではなかろうか。



被災地は点ではなく線だった。そして今後の復興に向けて。



GW中に地元の岩手の被災地を回ったが、やはりメディアで見て感じていたこととは大き
な違いがあった。最初に宮古の惨状を見て言葉を失った。ニュースで見る映像や写真より
も、遥かに圧倒される。

しかし現地を回って何より感じたことは、被災地は点ではなく線であるということ。
三陸の海岸約100キロの沿岸を移動し、たくさんの街を見た。最初に見た宮古の惨状と
同じ光景が次々と目の前に現れた。

メディアで伝える情報は、どうしても個別の事象の切り貼りになる。リアス式海岸が続く三
陸沿岸部はほぼ壊滅状態なんだ、ということを実感した。
被災地は点じゃない。線で繋がっている。そして、一日かけて車で走っても、変わらぬ津波
の惨状が続く状況は、復興への長い道程を感じさせた。

街で瓦礫の撤去をしている方の地道な作業は、大量に破壊された建物と相まって絶望感を感
じた。ボランティアが足りているとか、そんなことは絶対ありえない。機械で行えないこと
も数多くあるし、これだけ広範囲な被害である。ただ宿泊施設の確保やボランティアの管理
などの体制が不十分であり、受け入れ態勢が出来ていないだけ。

ただ現状復帰がこれほどまでに困難だと、いっそ海岸沿いは全ての住居を禁止したほうが良
いのではないかとさえ思う。三陸地震津波の教訓で巨大堤防を築いた田老町は、今回の津波
であっさり堤防は破壊されて街は壊滅。三陸は津波に定期的な被害をうけているにも関わらず、
今回も教訓は活かされなかった。あれほどの巨大堤防が意味をなさなかった意味を考える必
要があるかもしれない。

今後の復興において都市計画の部分などには関わることは難しいだろうが、自分に出来ること
はなんなのか。ボランティアもそのひとつだろうし、経済的な援助も必要だろう。

ただ今後の東北は震災が発生せずに現状維持だとしても、どんどん疲弊していくだけだった。
農家も漁村も食べていけなくなるだろうし、メーカーの工場もどんどんアジアの人件費の安い
国に移転していった。

そんな状況を考えているうちに、観光というのはまだ無限の可能性を秘めているのではないかと
思う。

かつての東北は観光資源の少なく、いわば観光の後進国ような地域であった。
ある側面から見ると、今まで出来なかった革新的なことに挑戦出来るチャンスかもしれない。
道中の車でずっと友人と話していたのだが、東北に新たな面白い祭りを作るのはどうだろうか。

これからはLCCの発展に伴い、移動コストが減り、どんどんアジアからの観光客が増える。
今までのターゲットが日本人であったのに対し、これからのターゲットは世界全域になる。
移動コストが減れば、どこにもないオリジナルな体験を提供出来るかが集客の勝負になっ
てくる。そこで新たなオリジナルな祭りを立ち上げ、それを中心新たな観光体験を作っ
ていけば、アジアからの観光客を取り込める可能性は十分にあると思う。

マニアックなものでもパイが大きくなれば、成り立つはずだし、小さな祭りでもが満遍なく
行えれば、宿泊施設などはメリットになる。一個大きな祭りがあるよりも、平均的に集客が
あったほうが機会損失が少ない。

もちろん放射能の風評被害の問題などで、海外からの観光客が激減しているが、2~3年も
すれば原発のことは忘れられるだろうと思う。人は良かれ悪かれ忘れる生き物だから。

かつては東北は保守的な地域で、新しいことにはなかなか挑戦出来ない風土があった。
僕も閉塞感ある東北に2度と戻る気もなかった。

今岩手の中尊寺が今世界遺産に加えられることがほぼ当確したという。

「平泉」世界遺産へ登録勧告、旅行客増に期待



観光のことをずっと考えていた矢先にこのニュース、何かの偶然だろうか。

すぐに出来ることはWeb制作や、Facebook,twitterなどのソーシャルメディアを使った集客
ぐらいになるかもしれないけれど、地元の人達密着して何か考えれたらなと思ったりする。

どういう形での地元の復興に関われるのか分からないが、今後色々模索していきたい。



友人の決断を応援する

今日は大学時代の同志に会ってきた。

彼は4月から公務員として働いている。


昨年の4月に大手の製薬会社の内定を貰ったようだが、やはり行政を変えて
いきたいと思い、志を持って公務員を選んだ。

だが実際に働いているうちに、その中で出来ることや環境などが自分の
思い描いていたものと違い、苦しんでいたようだった。

直接は会っていなくとも、メールなどから、とても苦しんでいる様子は伝わ
ってきた。


しかし、今日会った彼は驚くほどイキイキとしていた。

悩んだ末に働きながら、公認会計士の試験を受けることを決め、
そしてすでに予備校にも通っていた。

決めたあとの彼の表情は非常に晴れやかで、自信に満ちていた。

僕はほんとに嬉しかった。


「むしろ今の環境にいたからこそ、自分の進むべき道が分かった」

彼はそう言った。


人生遅いなんてことはない。

少し寄り道したっていい。

思い立った瞬間からマッハで行動すればいい。



思い描いていた道でなくても、
腐ることなく、また一からやり直すことを決めた
彼のその決断に拍手を送りたい。

僕も全力で応援しよう。


彼ならきっとやりきるだろう。


一度しかない人生、共に突き抜けようぜ!
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