《JR明石駅プラットフォームから》
関ケ原合戦直後、豊臣恩顧の大名は主に中国・四国・九州などに石高加増の上 外様として配置替え。でも、その勢力ぶり返しを恐れて親藩・譜代大名を徐々に西進させて楔を打ち込む。
家康の従兄弟 水野勝成が城主となり...譜代大名として西に睨みをきかせたのが福山城で、大阪の陣の7年後の1622年夏に竣工し「西国鎮衛」の城と呼ばれたんやね。
駅前城郭と言えば ここが筆頭かな。
威風堂々の福山城復興天守 | 人生の坂道へ再びGo! (ameblo.jp)
小笠原秀政の以降の系譜も譜代大名で、その子 小笠原忠真(ただざね)が1618年に入ったのが明石で、将軍 秀忠の命令で 築城したのが明石城。
1620年竣工で今や日本百名城にして駅前城郭No.2やと勝手に思う。
先週のコト。
神戸の異人館界隈を歩いたジジイは 元町から電車で明石へ。
ランチ時に明石駅南の魚の棚(うおんたな)商店街をぶらぶら。明石名物と言えば明石焼きだけやないですよ~ん。 蛸・鯛・アナゴも絶品。
結局 その日の気分は アナゴ尽くし...写真撮り忘れた程 美味かったっす。
エエ商店街や~ん。
山陽本線を潜って北上すれば...中堀。
広~い! いかにも西国抑えの城って感じで 巨大ですわ。
明石市立文化博物館にあったジオラマを撮り 名称を書き込んでみましたよ。
中堀に面して 現存する往時の武家屋敷門。
船上(ふなげ)城から移築された門やげな。
瓦のマークは 山の字かな? 誰の?
大手門方面へとことこ。
南西から...
そして南東からも カシャ。
入り口には 大洋漁業創始者の中部幾次郎さんの銅像。
今やニチロと合併してマルハニチロへと繋がり、お値段高めだけど超うまいサバの水煮缶、お世話になってますよ~ん。
北を向けば 大手門桝形
デカいですね~。
初代城主 小笠原忠真の母(登久姫)方の祖父母は 松平信康と徳姫(とくひめ:ごとく)。
つまり忠真の曽祖父は 家康と信長という英傑揃いやん。
築城の協力をしたのは本多忠政(忠勝の嫡男:姫路城主)で、その正室は徳姫の妹の熊姫(国姫)。その娘 亀姫が 忠真の兄 忠脩(ただなが)の正室となり 子 長次をなす。
で、忠脩が20歳で他界した後に 亀姫は弟 忠真の正室となり長次は養子に。
つまり亀姫にも 信長・家康・忠勝のゲノムが入り、夫婦共に英傑ゲノムカクテルとはスゲ~。
大手門跡を抜ければ 故障中で動かん とき打ち太鼓。
日本標準時子午線が通る 「時のまち明石」を標榜して「時のウィーク2024」の会場設営するなら...早う修理したって~!!
往時は ここに御屋敷を囲む内堀があったんやね。
まずは本丸の西南隅に聳える国の重文の...坤櫓(ひつじさるやぐら)を眺める。
京の伏見城から移築されたと伝わっとるげな。
均整がとれとる美形の現存三重櫓
そして本丸南東隅には 巽櫓(たつみやぐら)で、これも国の重文。
これは当時 明石川河口にあった船上城からの移築。
でも 最近の調査では 寛永8年(1631年)に焼失し、共に再建されたものやげな。
こちらは坤櫓と比べると 質実って感じかな。
城郭構造としては 連郭梯郭複合式平山城なので
これから小山を上り 横移動しては...うろうろ歩きまわるコトに。
続きは 後編で。
城は 城主にスポットライトを当てると 面白いねえ。
せっかくなので 信長・家康のゲノムが入り込んだ 蒲生氏郷(レオン)の子孫のお話もつけておきましょう。