《北側壁面だけが鉄板張り》

 

山陽新幹線で福山駅を通過した人は 知らんとる間に 福山城に来たコトになると、城郭考古学者の千田センセが雑誌に書いていたっけ...。

JR福山駅が三の丸と埋め立てられた内堀の上を貫いとるんでね。

 

つまり福山城は 駅前旅館ならぬ 駅前城で、唐突に...へ~ぃ らっしゃい!..てな感じ。

長らくジジイの訪城の優先順位を下げていたのは この立地かも知れんなあ...の微妙。つまり良し悪しがないまぜ。

城下町を歩き 堀を渡り 大手門を潜り...てな徐々にワクワクする高揚感が削がれとるんで。

 

《ホテルの部屋から駅越しの本丸》

駅がある部分を赤線で示すと こんな感じ...

日本にはこのような城跡が多いと思うものの...やはり痛々しい。

戊辰戦争でほぼ焼失した長岡城などは典型例で、 焼け残りの建物も 各種救済費用捻出の為 売却された後に 本丸に駅が造られ..市街化が進み アララの城跡無残。

でも備後 福山城は日本百名城に選ばれとるし、他と比べたらまだ救われとる方やね~。

関ヶ原合戦後に安芸・備後の大名となった福島正則は 広島城の改修に”無断”のイチャモンをつけられ信州の小藩に移封の末 改易。

その後、安芸へは紀州から豊臣恩顧の浅野家、備後には家康の従兄弟の水野家が入封。

なので 西国鎮護という名目で 外様領地へ...ジワジワの境目の城なんやろね。

10万石では考えられんほど壮大な規模の巨城がデ~ン!

築城時には あの伏見城から 櫓が移されて...その名も伏見櫓。

筋鉄御門(すじがねごもん)も 戦火を潜り抜けて 現存してますからね。

いまや 共に国の重要文化財。

桝形虎口の石垣に このような印をみつけて ニンマリ。

石垣も二の丸・本丸は 築城当時のが多く残っとるし...

これが名城たる所以かな。

福山城主は 水野家三代の次に松平家一代、で阿部家十代へと続く。

江戸後期の国政を動かした 江戸幕府老中の阿部正弘(阿部家七代)の像が  裏鬼門の石垣の下から天守を仰いでましたがな。

本丸西側の鐘櫓も独特な趣ある~。

ジャ~ン!...福山城天守閣は 次のどれでしょう?

 

Wikiや 城びと によると

①現存天守

②木造復元天守:木造で史料に基づき忠実に復されたモノ。(掛川城や大洲城...等)

③外観復元天守:外観だけは忠実に復されたが内部は鉄筋コンクリート製。(名古屋城・大垣城・岡山城・和歌山城・熊本城...)

④復興天守:資料が少なく デザイン・位置・規模が違うかも知れんけど、たぶん こうだったんじゃないか劇場的な気合で造られたモノ。(大坂城・岡崎城・小倉城...等)

⑤模擬天守:実際の天守とは全く違うもの、又はもともと天守がなかったのに建てちゃったモノ。

⑥天守閣風建築物

答えは④やろね。パンフには復元天守の文字もなかったし、中はエレベーター付きの博物館仕様。

まあ、福山市民の団結と郷土愛の象徴やろから...これでいい~んです。

 

さあ、時計まわりに グルグル歩きましょ。

守備上、手薄な北側の壁面には往時のように鉄板張りが復元されて、外観の部分的復元とは 言えそうかな。

一階部分の窓の設えに違和感はあるものの 壮大な五重の天守閣がカッコええ~。

鬼門からは 初代の水野勝成(かつなり)の像が やはり天守をチラリ。

鏡櫓と月見櫓方面をカシャ。

2023年8月~24年2月までは 「カツナリ・デ・ナイト」のイベントが続く。

本丸で行われていた正月イベントがそれかな?

1月7日限定の福豆を もらえたし。

景品交換所になっていて...オヨヨの 月見櫓

そして博物館になっている天守の中に入れば...2022年にリニューアルされた展示は なかなかのモノ。

VRゴーグルをつけて電子刀で敵と戦うことができる関ヶ原古戦場記念館に似て

こちらでは 一番槍レースが 順番待ちの賑わい。

ジジイは火縄銃体験...辛うじて的を撃ち抜くことができてやれやれ。

最上階の天空の間からは 北東方向に神辺城跡方面も望めてナイス。

南南東には重要文化財群も

遊んどるうちにお日さまが雲隠れして 福山左義長(とんど)の飾りに 北風がビュービュー。

ホテルでチェックインして 後輩との待ち合わせ飲み屋(前回のブログで紹介した自由軒)へ行かねば...と

月見櫓下を回り込み

御湯殿の下~筋鉄御門~伏見櫓下へ トコトコ

美しい。

駅北口に来て振り返れば...

お~っ、絶景!

何やかんや言うても 駅前の風景としては日本一なのかも知れんぞ!

恐るべし....ムムッ。