仕事帰りに、本日オープンした東京スカイツリーソラマチに行ってみました。

押上駅から
photo:01




雨のせいか、思ったよりごった返しはしてませんでしたよ。

photo:02



靄がかかっているせいかツリー全体から
湯気がでているような感じです。


ほかほかだねー


ソラマチのビルは、ファッションや雑貨のショッピングモールです。

少し見ただけですか、戦国グッズを売っている店。

photo:03



食品サンプルの店

photo:04



さつま揚げのキーホルダーなどありました。

他にはディズニーのクマ?

photo:05



長蛇の列の店はスカイツリーグッズの店でした。

photo:06



まだ皆さん見学という感じで、売り上げ的にはイマイチなのか、店では呼び込みに懸命でした。

ツリー開業に伴って、押上駅から墨田区内へ循環バスが出ています。

料金は100円ですので行き先次第では利用してみたらいかがでしょうか。


墨田区もなかなかやるなー


photo:07



展望台にはしばらくは登れそうもないので、

次回は水族館へ行ってみようと思います。





iPhoneからの投稿
東福寺から市バスで清水道で下車しました。

六道珍皇寺
photo:01



六道珍皇寺には、去年の六月に境内で獄卒に似たおじいちゃんにお会いしたことが記憶に新しいところです。

今回は特別公開とのことで、薬師如来様のご開扉と、普段は小窓からしか拝観できない小野篁像や閻魔様の扉も開けられていました。


そして特別公開のレアな御朱印です。

夏の六道参りの時に戴ける、紺地の台紙の金泥御朱印ばかりでなく、
緑の台紙に書かれたものが5種類でワンセットになっていましたが、

この日は幸い…じゃなくて、

残念ながら在庫切れでした。

私の前の方が後日に送ってもらう手続きをしていました。

金額を小耳にはさみますと、しめて六千なにがし円…( ̄◇ ̄;)


私は精一杯、頑張って頑張って、紺地の四種類と
御朱印帳に薬師如来様の御朱印を戴きました。

photo:02




六道珍皇寺にある、小野篁の地獄への行きの井戸は有名ですが、
この度、帰りの井戸が見つかったということで、
この井戸の見学もできました。

狭い所ですので、10人位ずつ案内されるのですが、


この井戸を見た人達のリアクションのほうが面白かったです…


小野篁の帰りの井戸は、嵯峨の福生寺というお寺にあったといいます。

福生寺は残念ながら残っていませんが、清涼寺の西に位置する薬師寺に合併されて、本尊の生六道地蔵様もこの薬師寺にいらっしゃいます。


今回は京都十三仏巡りで清涼寺を訪れましたので薬師寺を探してみました。

薬師寺は清涼寺の本堂のほぼ隣にありました。

photo:03



門前には生の六道とあります。

photo:04




小野篁が冥土に行った時に、火焔のなかを歩き回り、我が身を犠牲にしてまで庶民を救おうとする生六道地蔵菩薩様に出会い感動し、この世に戻ってから早速、地蔵菩薩を彫り、冥土の出口の福生寺に安置したといいます。


福生寺があった場所が戦後に開墾されたときに七つの井戸が発見されたそうです。

六つは六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)からの出口なのでしょうが、
あとひとつは何処へつながる井戸だったんでしょうか?

そして、その井戸のひとつひとつに石のお地蔵様が立っていたそうです。

お地蔵様は見張り番で、たまに迷って出てきてしまう人をモグラたたきの如く、ポコンと叩いていたんでしょうか…

福生寺も井戸の跡も残っていませんが、清涼寺内の薬師寺で生六道地蔵の信仰は引き継がれています。


薬師寺は、観光寺院ではないので普段は拝観できませんが、
年に一回、夏の地蔵盆の日は誰でも拝観できるようです。

京都の地蔵盆はいつか訪れてみたいとは思いますが、なかなか叶いません。

近くにお住まいの方が羨ましいです。



iPhoneからの投稿
ここは退耕庵の中の茶室、作夢軒。


石田三成が緊迫した面持ちでワシに打ち明けた。

恵瓊殿、力を貸して欲しい、と。


石田三成は、徳川家康が上杉討伐の兵を出すその時を狙って、
徳川討伐の兵を挙げるという。


治部殿、事は容易ではありませぬぞ。

しかし、おぬしの義はわかり申した。

ワシとおぬしは昵懇の仲じゃ。

おぬしとともに事を起こそう。



安国寺恵瓊が作った茶室、作夢軒では宇喜多秀家、石田三成らと関ヶ原の戦いの
謀議を行なったと言われています。

四畳半の茶室には「忍び天井」や護衛の武士が控えるための「伏侍の間」が
付属していてこれも当時のままだといいます。


作夢軒ではこんなやり取りがあったのかと…


また想像しちゃったわー( ̄▽ ̄)


さて、朝イチで法性寺に行ったのですが、ちょうどツアーの団体さんが来ていて、時間がかかりそうだったので、先に退耕庵を訪れたのでした。


退耕庵は、東福寺の塔頭のひとつで、1346年に性海霊見和尚が創建し、
応仁の乱で荒廃した後、安芸の生まれで秀吉に大名にまで取り立てられた
安国寺恵瓊が再建しました。

幕末には鳥羽伏見の戦いの折に長州藩の屯所になったとのことで
戦死者が葬られ菩提所となっています…


という寺院ですが、なぜか小野小町ゆかりのお寺ということにもなっています。


お寺の中はすべて撮影禁止ですので、きれいなお庭の写真はありません。


客殿の左隅にガラスケースに入った小さな像がありました。

なんだろう?と、すすすと近寄ってみましたら、

痩せて腰が曲がり、胸が露わになった老婆の像でした。

もぅ、シワシワのペロリンです( ̄◇ ̄;)

小野小町百歳像と書いてあります。

絶世の美女と伝えられた小野小町もこうなってしまうという、
世の無情を表現したものなんでしょうか?

そして門を入った右側に、玉章(たまずさ)地蔵という、2メートル位の大きなお地蔵様がお座りになっていました。

小町が老後に愛欲の虚しさを、その愛欲の罪を滅する為に艶書を地蔵の体内に納めたと伝えられるラブレター地蔵です。


その玉章様を拝観していたら、おばちゃん達のグループが入って来ました。


あのさー、御朱印だけ貰いたいんだけどー、入っていい?

見てる時間がないのよ。


ボランティアの学生さんも困って、

奥で聞いてみて下さい。と返答をしました。


お参りしたからこその御朱印なんじゃないの?

図々しいなあ(; ̄ェ ̄)


歳をとれば、容姿は変わり果ててしまうけど、

言動や立ち振る舞いは美しくなきゃダメよ…


目の前の、白塗りで妖艶な玉章地蔵様がおっしゃっているような気がしました。


この後は東福寺の通天橋で雨に濡れた青モミジを鑑賞し、
六道珍皇寺へ向かいます。

photo:01




photo:02




photo:03






iPhoneからの投稿