ここは退耕庵の中の茶室、作夢軒。


石田三成が緊迫した面持ちでワシに打ち明けた。

恵瓊殿、力を貸して欲しい、と。


石田三成は、徳川家康が上杉討伐の兵を出すその時を狙って、
徳川討伐の兵を挙げるという。


治部殿、事は容易ではありませぬぞ。

しかし、おぬしの義はわかり申した。

ワシとおぬしは昵懇の仲じゃ。

おぬしとともに事を起こそう。



安国寺恵瓊が作った茶室、作夢軒では宇喜多秀家、石田三成らと関ヶ原の戦いの
謀議を行なったと言われています。

四畳半の茶室には「忍び天井」や護衛の武士が控えるための「伏侍の間」が
付属していてこれも当時のままだといいます。


作夢軒ではこんなやり取りがあったのかと…


また想像しちゃったわー( ̄▽ ̄)


さて、朝イチで法性寺に行ったのですが、ちょうどツアーの団体さんが来ていて、時間がかかりそうだったので、先に退耕庵を訪れたのでした。


退耕庵は、東福寺の塔頭のひとつで、1346年に性海霊見和尚が創建し、
応仁の乱で荒廃した後、安芸の生まれで秀吉に大名にまで取り立てられた
安国寺恵瓊が再建しました。

幕末には鳥羽伏見の戦いの折に長州藩の屯所になったとのことで
戦死者が葬られ菩提所となっています…


という寺院ですが、なぜか小野小町ゆかりのお寺ということにもなっています。


お寺の中はすべて撮影禁止ですので、きれいなお庭の写真はありません。


客殿の左隅にガラスケースに入った小さな像がありました。

なんだろう?と、すすすと近寄ってみましたら、

痩せて腰が曲がり、胸が露わになった老婆の像でした。

もぅ、シワシワのペロリンです( ̄◇ ̄;)

小野小町百歳像と書いてあります。

絶世の美女と伝えられた小野小町もこうなってしまうという、
世の無情を表現したものなんでしょうか?

そして門を入った右側に、玉章(たまずさ)地蔵という、2メートル位の大きなお地蔵様がお座りになっていました。

小町が老後に愛欲の虚しさを、その愛欲の罪を滅する為に艶書を地蔵の体内に納めたと伝えられるラブレター地蔵です。


その玉章様を拝観していたら、おばちゃん達のグループが入って来ました。


あのさー、御朱印だけ貰いたいんだけどー、入っていい?

見てる時間がないのよ。


ボランティアの学生さんも困って、

奥で聞いてみて下さい。と返答をしました。


お参りしたからこその御朱印なんじゃないの?

図々しいなあ(; ̄ェ ̄)


歳をとれば、容姿は変わり果ててしまうけど、

言動や立ち振る舞いは美しくなきゃダメよ…


目の前の、白塗りで妖艶な玉章地蔵様がおっしゃっているような気がしました。


この後は東福寺の通天橋で雨に濡れた青モミジを鑑賞し、
六道珍皇寺へ向かいます。

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