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Moratoriumer´

今日も波に揺られて海を漂う。

9月1日

下校途中の女子生徒を見て

「なんで女子はスカートなのだろう」

と思いながら向かったのは母校の中学校。

校舎の外には

まだ下校せず地べたに座る生徒と

その指導にあたる先生の姿があった。

「なんだか懐かしい光景だな」

と郷愁に浸る。
 


中学生の頃

私服では一切着用しなかったスカートを

「これを着なければ学校へは行けないんだ」

と自分に言い聞かせて抗うことをやめた。

「こういうものだ」

とただ飲み込むことしかできなかった。

思春期という多感な時期に

出会う身近な大人は先生だった。

尊敬や憧れなどを抱くことはなく

「なんでこんな大人しかいないんだろう」

と生意気にも不信感を胸に

「こんな大人になるもんか」

と中学を卒業した。

そんな母校に再び

LGBTQに関する職員研修の講師として

私は卒業以来初めて訪れたのでした。

母校というのはやはりちょっと特別で

当時の青い複雑な感情もありましたが

一時間の研修を終えたあとには

中学生の自分がようやく成仏したような

そんな不思議な感覚がありました。

あのとき声にできなかったけど

あのときは伝える気もないほど諦めていたけど

「こんな大人もいるんだ」と

「こんな学校もあるんだ」と

そう言えるように

今の自分ができることを

やっていきたいと改めて思いました。

このような機会を頂けたこと

このように地元でも活動できるようになったこと

それは自分の力だけではなく

多くの人の支えと理解と協力があってのことだと

感謝と感慨に浸りながら

「次は生徒向けだな」

と決意を新たにしたのでした。


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久々の登場・小5(実は小6)男子

突然児童館の事務所に現れ

挨拶代わりのこの話題。



「えま、結婚しないの?」

  「ん?んー結婚できないの。」

「“同性愛”だから?」

  「そう。自分は結婚したいの?」

「いや、したくない。」

  「なんで?」

「働きたくない。自分の分だけ働くのでいい。」

  「あー、なるほど。」

「結婚したら子ども産むんでしょ?」

  「ん?そうとも限らんよー。」

「えー。」



そう言って彼は事務所を後にした(笑)

彼とのこのやりとりを毎回楽しんでいる自分がいる。

知識もあるし

柔軟性もある。

しかも彼は私の話を通じて

自分のことを考えているような気がするのです。

結婚のこと

恋愛のこと

お金のこと

子どものこと

なんとなくそんな話題を私にしてくるのは

ただの興味だけではない気がするのです。

たぶんつづく。


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何年経っても

何度話をしてきても

未だに涙が出てくる

自分のカミングアウトの話。

命懸け

だったと気付くのは

いつもしばらく経ってからのこと。

目の前にいる人に伝えることに必死で

それが何をもたらし

そのあと何が起こるかなんて

考える余地もなかったのだと思う。

カミングアウトをする理由は

人それぞれ異なるし

そもそも

するかしないかというところから

話題になることもある。

自分の場合はといえば

どうしようもなく表現したくなって

自分らしく生きるために始めたのが

カミングアウトだった。

どんなに悲しいことや

どんなに苦しいことがあっても

自分らしく生きようと誓った

そんな自分の重みが

今もなお

声を詰まらせ

涙を落とすのかもしれない。

これが自分のカミングアウトの話。

ここからは偶然か必然か

居合わせたカミングアウトの話。

自分とは一味も二味も違った。

想いのこもった言葉が

揺れのない声でちゃんと響いていた。

まるで

幸せになるために

 

カミングアウトをしているようだった。

切迫感のない

でも緊張感のある

不思議な感じだった。

話し終えたあとに広がる

明るくて軽やかな空気は

まるで自分のカミングアウトとは異なった。

こんなカミングアウトもいいな

ってそう思った。


なんだか自分もハッピーになった。↓
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心臓の音が感じられない

そんな静かな心になることがある。

胸に手を当てて

あー生きてるんだって確認する。

胸に手を当て続けて

温めてみようと試みる。

みんな当たり前に生きているこの当たり前を

紡ぐ作業が必要な人も

この夜の中にはいるのだと気付く。

久々にまた自分というものに直面して

ちょっと重い話だけど

なんとなく言葉にしておきたいと思ったので

この場でひっそりと綴る。

ちょっと偏った自分に重心を置いたら

バランスは簡単に崩れるのだと知った。

自分がいかに極端で強固で

繊細だけど頑丈でもあって

とにかくややこしいのだと(笑)

自分の一片を切り取るんじゃなく

ちゃんとまるっと全部受け止めていこう

とここで仕切り直し。

練習練習。


まずはこの繰り返しかなー。↓
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「どうも。お久しぶりです。」

「あ、どうも!エマさんじゃないですか!」

初めての小学校に訪れたのに

馴染みのある声。

 

昨年は教頭先生だった方が

 

校長先生となっても変わらぬ様子で迎えてくれました。

和歌山に来たのは1年ぶりなのに

どうしてこうも温かく親しみやすいのでしょう。

昨年は

中学生と保護者向けの講演会を

でお世話になりました。

“ 多様性学べる場を ”

と新聞に掲載されてからちょうど1ヵ月後

今年はワークショップ内の講演依頼を頂きました。

自分のあり方を考えるワークショップ。

性と向き合ってきたこれまでの話や

それを経て未来を描くこれからの話をしました。

振り返る過去のこと。

辿る自分の軌跡。

至る今。

改めて

自分の決意と

覚悟を確認する

よい機会になりました。

ずーっと自分らしさや性と向き合い

自分の生き方を模索し続け

社会を変えたいと

これまで取り組んできたこと

今取り組んでいるもろもろ。

自分にできることを

続けてきた十数年。

これからも

自分にできることを一つずつ。

自分だけではできないことを

多くの人に支えられながら

感謝しながら

これからも続けていきたいと思います。


みなさんに支えられて、生きています。↓
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明後日に行われる

学校関係のワークショップに向けて

只今準備中です。

「ワークショップできますか?」

と数ヵ月前に打診があり

どんなワークショップだろうという好奇心と

どんなこともやってみようという野心から

「できますよ。」

と一寸の迷いもない返答をしました。

内容としては

ワークショップの中の講演の依頼だったので

あらためて

自分の性と向き合う

よい機会となっています。

結論からいうと

やはり自分の場合は

男か女かという枠ではどうもはまりきらず

どちらかを否定するでもなく

むしろその枠を超えてどちらも肯定するような

そんな要素を持っているのだと思います。

幸いにも

見た目からなのか

性格からなのか

言動からなのか

周囲からもそれが“エマ”なのだ

と認識されているのが

自分自身をまるっと受け入れられている

大きな要因であることは確かです。

大学時代にとことん自分と向き合い至った

「男でも女でもある自分」

という一つの答えは

自分のどこも否定せずに済む

丁度良い言葉だったのかもしれません。

「エマはエマ」

と言ってくれる人たちの言葉が

またそれを支え

背中を押し

自分は自分でいいのだと

芯を強くしてくれました。

いくら自分が向き合っても

いくら自分で認めようとも

その自分が周りに映らなければ

透明人間同様で。

自分が自分であるために

私は多くの人に支えられているのだな

と感慨に浸っています。



明後日、和歌山までいってきます。↓
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あっという間に

もうすぐ夏休みです。

4月から児童館の館長として走り続け

7月になりましたが

相変わらず毎日走り抜けている日々です。

責任者という立場の変化は

プレッシャーを感じないと言えば

ちょっとウソになりますが

自分で責任が負えるため

逆に楽に感じることもあります。

自分の言動

自分の決断や覚悟に

自分なりに責任をもってきた人生なので

それが仕事においても

生かせていけたらなぁ

と思っています。

児童館では

相手が大人であろうと

子どもであろうと

赤ちゃんであろうと

私たち職員は一人間として

対等であろうと心掛けています。

それゆえに

安易に型にはめたり

力を行使したり

「普通は」とか

「そういうものだから」とかいう一点張りはしません。

それらを放棄するのはなかなか労力のいることで

私という人間を試されているような

生身の体で勝負するような

そんな現場です。

自分の弱さや強さ

癖や課題など

自分自身と向き合う出来事が起こったりもします。

毎日何十人もの

年齢も境遇も様々な人と出会うここで

この夏

色んな自分にも出会いたいと思います。


夏休みはまるで毎日が日曜日。↓
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「明るくなった」

「丸くなった」

そう言われるようになった。

マイノリティーであることは

同性愛であるということは

自分に覚悟と強さと誇りを与えてくれた。

それらを心に宿して

自分らしく生きていこうと

選んだ道や続けてきた活動がある。

でもどこか暗さや

鋭さがあったことは

自分でもわかっていたし

それを武器に武装していたのも事実だった。

そんな自分に

心配や危うさを感じながらも

見守ってきてくれた人たちがいる。

そんな人たちから

最近冒頭のような言葉を頂くようになった。

そんなにも自分は変わったのだなぁと

ただただ嬉しくなる。

今日も

「ただただ、幸せなんだよね。」

と口にしたら

「そんな言葉、聞けるなんて思ってなかった。」

と言ってくれる人がいた。

確かに

そんな言葉

心の底から口にしたことはなかったな。

自分でも自覚していなかった変化。

人と話をすることで

気づく自分がいる。

人と話をすることで

広がっていく幸せがある。

幸せをシェアできる人がいる喜びを

噛みしめている昨今です。


なんか毎日、生まれ変わってるみたいだ。↓
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「あのときはやばかったんだよねー(笑)」

なんて笑いながら言える今。

冗談なようで本気な話を

軽い感じで実は真面目に聴いてくれる人がいる今。

自分と向き合うという作業は

それなりの覚悟と時間が必要で

それでも向き合おうと決めて

そう思ったからには死ぬ気でやろうと

数ヵ月前に腹をくくった。

それぐらいの心持で臨んだ当初

まぢでやばいかもって思ったときでさえ

ギリギリまでやってやろうと思って

止めるつもりも

諦めるつもりもなく

意地でも這い上がってやろうって

そうやって正直なところ奮起していた。

絶対負けらんないって

そう思っていた。

その甲斐あってか

幸いにか

自分なりに自分と向き合い

自分なりに答えを見つけ

終結した。

これはほんの数ヵ月前の話。

そこからの変化は著しくて

あのとき自分と向き合って

本当に良かったと思っている。

恐さもあったし

しんどかったし

勇気もいったけど

だからこそ

今の自分があって

自分と向き合わない限り訪れなかったのだと思う。



自分は本当に幸せです。

そう思える今が

幸せです。

あのときの自分に

あのときの自分を知る人に伝えたくなって

今日はブログを書きました。


久々の投稿でした。↑
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