昨日は実はmixiの方でも日記を書いた。
より具体的でより日記に近いものを。
ブログでは具体性は省いた。
個人的な内容を書くのを少しためらったから。
でも一晩おいてやぱこういう日記も載せたいと思った。
だから抜粋したものを載せます。
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『ただいま戻りました』 2011年05月03日14:02
ただいま。
東北から無事に帰ってきました。
何を書こうか。
とりあえず・・・まずは一言。
行って良かった。
本当に。
マスメディアの切り取られた一部を見るのと
自分の目と耳と鼻と色んな器官を使って感じるのと
やっぱり違ったよ。
というのは風景や状況のよくある話。
ここではボランティアの内部の話をしようか。
マスメディアも感じられない部分をね。
1クール20名を5回
総勢100名が奈良市災害支援ボランティアに参加。
うちは2クールの一人として参加した。
そして20名をさらに4グループに分けて
その日ごとにニーズ票というのが配られ
そのお宅に各グループが支援しに行くという構成。
活動日は3日間。
1日目。
食器洗いと家の内部の清掃。
泥とサビで食器は汚れ
家の中にはうちの胸のあたりまで水の跡。
泥はとってもとってもまた出てきた。
作業中少しだけ腐敗臭。
2日目。
前日とは違うお宅で水の跡消しと窓や網戸の清掃。
それとおばあちゃんとのコミュニケーション。
3日目。
1日目のお宅で床のぞうきんがけと窓のレールの泥の除去。
「住めるように」という依頼主の言葉を目標に
ひたすら磨きひたすら泥をとる。
この3日間の作業については以上。
ここからは人の話。
1日目と3日目のお宅は家族で暮らす大きな家。
寡黙なおじいちゃんと
おちゃめなおばあちゃん。
お昼にはコーヒーやお菓子を頂き
作業中も
「休みながらやってください」と何度も口にする。
作業の開始時は表情の硬かった
おじいちゃんとおばあちゃん。
作業終了時は笑顔で
「ありがとうございます。」
となまりの混じった優しい声で言ってくれた。
うちらの返す言葉も
「ありがとうございました。」だった。
2日目は一人暮らしのおばあちゃん。
作業を始める前にはお茶をすすめ
作業道具は全部準備してあり
お昼には豚汁や漬物やお菓子や色々をごちそうになり
帰るときにはお土産をどっさり。
うちらが見えなくなるまで家の前で見送ってくれた。
作業中にも
「ぼつぼつやってください。」
「身体が大事ですから。」
とうちらの身体を気遣ってくれる。
おばあちゃんはきっと強がっていたけど
ずっと人を求めてたんだと思う。
昼食の間中
お椀を手にしながらもずっとずっと話し続けた。
地震のことや家族のこと。
おばあちゃんに聞いた。
「いつも一人でご飯食べてるの?」
「そおだよぉ。」
「寂しくない?」
「寂しいっ。」
って
笑顔で言った。
寂しさが滲み出てた。
「うちの家はいいほおだぁ。だから愚痴なんか言っちゃいけん。」
一人で背負うには小さ過ぎる背中だった。
気仙沼はある高架下をくぐると風景が変わる。
家や店の前を車が走る街中が一変して
焼けた家や車を始め全てが崩れ焦げていた。
茶色と灰色ばかりだった。
未だに焦げた臭いもした。
その一角の手前でも
フェンスは不格好に倒され
木には泥や物が引っ掛かり
道路には色々なものが積み上げられていた。
家の中を長靴で歩き
タンスの中には泥がたまり
隅の隅まで泥が詰まっていた。
でも
ものすごく人が温かかったんだ。
うちが現地に行って何を一番感じたのかと聞かれたら
人の温かさだった。
もちろん悲しみや絶望も感じたけど
それでもみんな温かかった。
うちはきっと思い出すんだろう。
漬物や豚汁や栄養ドリンクや
鰹節いっぱいのおひたしを見るたびに
あのおばあちゃんのことを。
ボランティアで現地に行って
現地の人と出会って良かった。
他人事にならなくて良かった。
これでもう東北のことを忘れる心配はなくなった。
これから何をしていけるのかは
今は帰ってきたばかりでまだわからないけど。
自分の人生の歴史に残る5日間だったことは間違いないね。
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奈良に帰ってきたら
必要以上に引きずることはよそうと思ってた。
でも
そんな簡単に切り替えられるほどの出来事ではなかった。
無力感とか虚無感とかそういう感覚はない。
食器を洗っただけかもしれないけど
「おばあちゃん一人でやらなくて良かった」
って思ったし
床やトイレやお風呂を掃除しただけかもしれないけど
「おじいちゃんやおばあちゃんだけでやらずに
自分たちがやれて良かった」
って思ったし
たった一食だったけど
「おばあちゃんと一緒にご飯を食べれて良かった」
って思ったから。
それに何より
「ありがとう」って言われて
それで良かったんじゃないかって思うから。
うちが今日も一日
出会ったおじいちゃんやおばあちゃんを想っているのは
きっと誰かと出会ったときに刺激を受けたときのように
ものすごい衝撃があったからなんだろう。
こんなときうちは
いつもとことんそれらを感じて
気が済むまで考えてきたから
無理に引き離そうとはせず
今回もじっくりとどっぷりと
自分にしっくりとくるまで浸かってもいいかな
って思った。
うちの場合の話。
だってうちはきっと
それがしたくて迷わず参加を希望したから。
長期的な支援が必要。
そして人手が必要。
「これくらいでいいですよ」
「ちょっとずつやっていきますから」
という言葉は
長い長い復興の中の
ほんの一瞬に自分が入っているということを
気付かせてくれた。
ゆっくりと
でも着実に
現地の人々は動き続けてきたんだろう。
そしてこれからも。
出会ったときに「今でも泣けてきちゃって」と言った
おばあちゃんの潤んだ瞳が忘れられない。
作業中に無言で働き続ける
おじいちゃんの頼もしい背中が忘れられない。
別れるときに何か感じて欲しくて握手した
おばあちゃんの握り返してくれたあの手が忘れられない。
気仙沼に戻りたいな・・・
ってふと思った。
ボランティアの人のためにと作ってくれていた豚汁。
しょうゆ味とみそ味の大鍋2つを空にしようと
持参していたパンをカバンの中に閉まったまま
気付けば5杯食べてたあの日が少し懐かしい。