ただいま戻りました | Moratoriumer´

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今日も波に揺られて海を漂う。

ただいま。

無事に東北から戻ってきました。

伝えるべきなのはわかってるけど

一体何を伝えるべきなんだろうな。

あんまり考えると

何も伝えられなくなってしまうから

書きたいことを書いていこっと。

そもそも参加した動機は

とにかく自分の身体で感じたかったからだった。

もうメディアで知るのは

お腹いっぱいだったんだ。

メディアで知るだけじゃ

もう何も得られなくなってしまってた。

それが正直のところ

うちは嫌だったのかもしれない。

自分の身体で感じて気付いたことが

今までいくつもあったもんだから

いつしか自分で感じなきゃ

それが現実なのかわかんないと思うようになった。

感覚的なもの

それがうちにとって大事にしてきたものであり

大事にしていきたいものなんだろうと思う。

そんなわけで

今回はボランティアという形で

自分で現実を感じてこようとそういう経緯だった。

そして帰ってきた今

「自分の身体で感じた一番印象的だったものは?」

と問われれば

「それは人の優しさでした。」

と答えるでしょう。

悲しみや絶望ももちろんあったけど

それ以上に感じたものがあった。

それが気仙沼で出会った人の優しさや温かかさだった。

心の広さと言えばいいのかな。

思いやりの範囲と言えばいいのかな。

ボランティア精神なんていうかっこいいものは

うちの意識にはあまりないけど

もし心髄にあったとしても

そんなものは簡単に打ち砕かれてしまうほど

うちが出会った人は心の温かさを持っていた。

自分自身がしんどかったとき

自分に対してはできなかった思いやりを

まるでかわりにうちらにしてくれるような

そんな思いやりをひしひし感じた。

とにかくそれがうちは一番印象的だった。

「ありがとうございました。」

と何度も言われたけど

それ以上にうちは何度も

「手伝わせてくれてありがとう」

と思っていた。

テレビを見るだけじゃわからないもの

話を聞くだけじゃわからないものを

活動を通じてうちは感じることができたから。

実は何度も泣きそうになった。

茶色と灰色と広すぎる空の風景に鳥肌が立った。

Moratoriumer´-気仙沼

何度拭いても残る泥が憎かった。

背負うには小さすぎる背中を見るのが悲しかった。

笑顔の奥にある不安や悲しみや寂しさに心が震えた。

道路の両脇にある家の中にあるはずのもの

長靴で家の中を歩く姿

どこにでもある泥や水の跡

その風景に慣れていく自分も怖かった。

でも

それが自分の身体で感じられて良かった。

じゃなきゃうちは

いつしかこの地震を忘れ

人の痛みに気付かず

「そういえばそんな日もあったな。」

なんて淡泊な顔をして言っていたんだろう。

あるいは

「ひどい地震だったよね。」

なんて言って

メディアの言葉を借りながら話を合わせていたかもしれない。

信じられないような光景だって今は信じられる。

Moratoriumer´-船

これがうちが見た現実だったから。

Moratoriumer´-船