【左】中野耕司『NO PASARAN』(アクリル、F50) 

【右】近藤幸子『花を愛でられる日常』(水彩、46×64)


 以前、岡本太郎さんの『今日の芸術』を読んで感心したのは、子どもの絵と、プロによる絵とを、太郎さんが明確に区別していたこと。

 子どもが無邪気に描く絵を
「人の目を気にしていないのが、すばらしい」「好きに(=自由に)描いているのもすばらしい」ということで、太郎さんはホメちぎるのです。

 

 

青木健真『辺野古 異変』(油彩、120号) 

 

 ある時、絵画コンクールの審査員をやった時に、子どもたちがそうやって自由に描いているものだから…、太郎さんたら「これは、すばらしい!」「おっ、これもいいじゃないか」「いやいや…これもいいぞ」「これこれ…これだよ」…と1枚1枚に感動して、最後には「えぇい、どうして、こういうすばらしい絵にツマラナイ順位づけなんかしなければいけないんだ」「こんなコンクールを企画したヤツは誰だ?」「主催者、出て来いっ」って、怒り出してしまったのですよね…(いかにも太郎さんらしくて笑える)。

 だから、
『今日の芸術』を読むまでは、わたしは、太郎さんが「子どもの絵」を第一に考えていたと想像していたのです。

 

 

勝呂好二『ウクライナ』(油彩、P30)

  
 でも、ちがいました。

 太郎さんは、子どもの描く絵を「すばらしい」と言いますが、それがベストではないのです。わたしの言葉で言えば、太郎さんは子どもたちの描く絵と「プロの絵」とをまったく別に考えていたのです。

 「プロの絵」と言っても、いまも世の中にあふれている「自称:プロ」とはちがいます。太郎さんの言う「プロ」の画家というのは(わたしなりの言葉で言えば)、であり、2020年3月26日ブログ取り上げたように(注:下記リンク参照)、ピカソも、たしか…そんなことを言っていました。

 

 

高木理枝子『残したいもの、残したくないもの』(油彩、F15)


 だから、「プロ」と「自称:プロ」とは月とスッポンポン(「スッポンポン」←わたしの造語)ほどにちがいがあるのです。「自称:プロ」というのは、名刺に「画家 守良詩乃」みたいに肩書きを印刷し、「〇〇会」みたいな美術団体に所属し、その中でチヤホヤとされることでご機嫌になって、その団体の展覧会ではロビーで「〇〇先生~」と言われてご満悦。そして、みんなでツルんで美術談義をし、絵が高く売れると喜び、その一方で世の中で起きている出来事にほとんど無関心でいるような人たちのことです。

 

 

松山しんさく『ガザの子供たち』(日本画、58×76cm)

 

 わたしはピカソが好きなのですが、そのいちばんの理由はピカソが『ゲルニカ』を描いたことです。わたしがチャップリンを深く敬愛するのも、数々のコメディーもそうですが…1940年、まさにナチスの台頭期に…ヒトラーが見たら頭を抱えて赤面するようなコメディー映画の傑作『独裁者』を作ったからです(注)

(注)ほかにも、わたしは仲代達矢さんが大好きです、その理由のひとつは「ぼくが奥西勝さんの映画に出るということは、街頭でチラシを配るのと同じことだからです」と言って映画『約 束』への出演を快諾したからです。ちなみに映画『約束』の、若い時の奥西さんを演じたのが山本太郎さん…。映画を見ていて…いきなり太郎さん(←岡本太郎さんではなく…山本太郎さんね…)が出て来たので、わたしは椅子からズリ落ちそうになりました。
 

 そういう視点から考えてみると、日本には、絵画に限らず、スポーツの分野でも映画の分野でも…多くの分野で「自称:プロ」(=なんちゃってプロ)が多いですね…。

 

 

高浜滋子『花束』(油彩、30号)

 

 2016年9月13日ブログ で、わたしはエチオピア代表のフェイサ・リレサ(Feyisa Lilesa)選手が政府の姿勢に抗議するポーズをしてゴールしたことを紹介しました。

 そういう例は、世界では珍しくありません。1968年のメキシコ五輪では、男子200メートル短距離走で、優勝したトミー・スミス選手と3位のジョン・カーロス選手の二人は、黒人の貧困や差別問題を訴えるために、表彰台で黒い手袋をはめた片手を突き上げ、黒人差別に対して抗議したことがよく知られています。 
 
 最近では、わたしは、テニスの 
大坂なおみ選手 のことを取り上げましたし、その際には、アメリカのバスケットボール界のスーパースター、レブロン・ジェイムズのことにもふれました。

 

 

森田隆一『沈黙の譜』(油彩、163×92cm)

 

 日本では、バカみたいに(←ホント…ばっかみたい、サイテー)「政治」の話をすると、「政治の話はやめて」とか「あの人って政治的な人よね」と、そういう「政治」の話をしたがる人が、悪い意味で…特殊な人(=扱いにくい人)…のように思われるのです。

 
宇都宮健児さん は、以前の話の中で北欧スウェーデンの投票率が85パーセントもあって、10代の国会議員が出ていることも紹介されていました。そういう他国のありようを考えると、日本は(世界の水準から言って)まだまだ遅れていることを実感します。

 

 

笹間宏『厄禍の塔』(F100)

 

 で… どうして、そういう「政治的な話」をしているかと言うと、先日、都内に「九条美術展」を見に行ったからなのです(開催:2024年5月4日~10日)。今回で13回を数える「九条美術展」には、154名の「プロ」の絵描きさんが作品を発表していました。ちょっと個人的なことを書くと…この「154点」という出品数はとってもいいですね…。美術団体によっては、700点、800点という作品の多いところもあるのです…、そうすると、もう見て回るだけで疲れてしまって、会場を出る頃には、ヘロヘロ…(笑)、もう誰とも口をきく元気もなくなっていることがあるのです…。その点、100数十点というのは、とっても心地よい、1点1点、その作品と〈対話〉をしながら会場内を進むことが出来ます。

 

 

近藤あき子『殺すな!Don`t Kill!』

(インスタ、掛け軸状2.5×1.5m)


 きょうの写真はすべて、その九条美術展のものですが、紹介したのは11点に過ぎません、実際には、ほかにも143点のよい作品が展示されていました。また、パソコンのモニターやスマホ画面を通して見る作品と会場で見る原画とは、まるでちがいます。コロナ騒動のあと、わたしたちは「スマホの画面越し」に世の中を眺めることに慣れてしまったようですが、それはとても危険です。

 政治家も「テレビカメラ越し」「スマホの画面越し」に見るだけでは実像をとらえそこなうように、絵画も、まずはその絵の前に立って耳をすますようにしてみるといいと思います。

( お し ま い )


  

じんぶおさむ『!』(インスタ、100×150×200)

 

 

 〔 参 考 〕

  星  九条美術の会  星   

 

 


  バンクシー in ウクライナ      ( 2022年11月13日ブログ )
  『百鬼蛮行 ーわたしのゲルニカー』( 2022年06月10日ブログ )
  太 郎 さ ん 、怒 り 爆 発 !   ( 2020年3月26日ブログ