きょう…わたしは都内某所で、ひきこもっておりましたが、夜にとびきり素敵なニュースを目にしました。きょうの話題は…考えようによっては、その「ひきこもり」についてです…笑。

(2022年11月13日。以下同じ)


 バンクシーさんが、ウクライナに出向いて、

 ロシア軍の砲撃を受けた建物などに、絵を描いていったそうです。

 …なんて、素晴らしいんダロ?

 そのニュースを聞き、そしてバンクシーさんの描いた絵を実際に見て、

 わたしは涙が流れました。


 

 

 以下のことは「音楽」にも「スポーツ」にも、

 広く「学問」全般についても言えることですが、

 たとえば、「絵」について言うならば、

 画家にも、大きく分けて2つのタイプがいると思います。

 ひとつは、ヒトの目をいっこうに気にすることなく、無邪気にかつ自由に絵を描くようなタイプ(=
幼稚園児型)と、もうひとつは、絵を通して、世の中とするどく対決するようなタイプ(=ピカソ型)。

 岡本太郎さん
(←もちろん…この人も、ピカソ以上に世の中と激しく対立する人…笑。この人の闘い方はハンパないっ)は、そういう(言わば、趣味の…、天真爛漫な子どもが描く)(注)と、ホンモノの絵とを明確に区別していました…(そういう点も、わたしが太郎さんを敬服している点です)。

 

(注)学校の授業中に、高校生が教科書に載っている(作家などの)顔写真に

鉛筆で口ひげを書き加えて戯画ふうにするのも、幼稚園児型作画の一例です。

 

 太郎さんは、「ヒトの目を気にせずに、自由に絵を描く幼稚園児」型の描き方を、すべての人に勧めて、それなりに(←ここがポイント)認めているのです。但し、それと、第一級の画家のあり方とはちがうよ…というわけです。
 
 もし…
「画家」を名乗るのであれば、絵を通して、社会の問題と鋭く対決するのでなければいけないし、その対決のありようが、その画家の評価を決定すると太郎さんは考えるのです(わたしも、太郎さんと同じことを思います)。


 


 ところが、特に、日本の場合、世の中で起きていることに無関心のまま…黙々と部屋にこもって、創作(=なんちゃって創作)を続けている、自称:画家さん(=作家さん)が大勢いるのです。

 「ヒトの目を気にせずに、自由に絵を描く…」と言えば、
聞こえはよいですが、要は、社会に適応できずに(自分の世界に)ひきこもって絵を描く自己満足的な“なんちゃって画家”なのです…、そういう人というのは…。

 

↑そういう人の本質は…「画家」ではなくて「ひきこもり」なのです。何も自室に引きこもらなくても、「自分のカラ」に引きこもっていれば…それは、精神的なひきこもりだと、わたしは思います。

 そういう点では、今回、バンクシーさんが戦火のウクライナに乗り込んで、その戦乱の地で絵を残していったことに、わたしは深い感銘を受けました。

 


 以前のブログで、わたしは J.バエズさんの、


 、人

で、

( 参考:2017年11月20日ブログ )


 という言葉を紹介しましたが、当然のことながら、

 あの言葉は「歌手」以外、画家をはじめ、

 すべての職種にも当てはまるのです。


 ひとりで “部屋(=自分の世界)” に引きこもって、1分間に何回ペン回しができるか…というようなことに執心しているのは、ある年齢を過ぎたら、ある意味で…社会不適応の、病的な人間のやることだと思います。

 ただ、困ったことに…そのペン回しが華麗であると、「まぁ~ステキ―」なんて具合に、その不適応人間に声援を送る人も出て来て、まわりの人間も、その当の本人もその…「目が自覚できないままに時間だけが過ぎていく…ということが起こりがちで、そこもまた困っってしまうわけですが…。


 ( お し ま い )

 

 

わたしが都内で見つけた…バンクシー(?)の絵

2020年8月8日ブログ より)



  羽生弓弦選手:4回転半への挑戦( 2022年2月15日ブログ )

 ◆ 感 動 的 な 〈9分18秒〉  ( 2022年3月19日ブログ )