8月に入ってから、宇都宮健児(うつのみやけんじ)さんの話を聞く機会がありました(ZOOMによるトークイベント)


 いくつかのキーワードに沿って、宇都宮さんが司会者の質問に答える…という形式で、わたしはその後半から聴いたのですが、とても興味深いものでした。

 わたしの備忘録
(←言い方が…古い)として、その要点を書いておきます。

↑でも、ホント…ためになる話、と言うか、ものごとを考える時のヒントが多かったです。


    〈自己責任〉
 わたしたちの社会では、いつのころからか…「自己責任」という言葉を使うようになりました。

 たとえば、趣味で登山に出かけて事故に遭った時。あるいは賭けごとが高じて生活が破綻してしまったとき。
 まぁ…登山や賭けごとの場合には「自己責任」的側面もあると思いますが、必ずしも「自己責任」とは言い切れないことが、社会では往々にしてあります。最近で言うと、社会の「インフラ」としての制度に欠陥があって、そのために経済的に困窮する人が出て来る中で、「世の中には、あなたとはちがって、成功している人もいるのだ」「あたなの今の生活は、言わば〈自己責任〉だ(から、わたしの知ったことではない)」というような意見も耳にするのです。わたしは、これは、誤りだと思います。宇都宮さんの、〈自己責任〉についての考え方は、次のようなものでした。


 「自己責任」という言葉を(2004年の)イラクでの日本人拉致事件以降、耳にする機会が多くなりました。たとえば、非正規で働いているのは、あなたの責任だ…みたいに〈自己責任〉論が語られます。

 けれども、国民一人ひとりの生活の保障は、国の責任なのです。

 「自己責任」という言葉がはやると、政治家が要らなくなる、「自己責任」というのは、政治家のやるべきことを見えなくさせ免責する言葉であり、政治家にとっては都合のいい言葉なのです。


 


 〈生存権について〉
 毎日50人以上が自殺して…50×365日で年間2万人以上の人たちが自らの命を絶つような国…。10代、20代、30代の人たちの「死因トップ」が〈自殺〉であるような国…。どう考えても、そういう国はまともじゃない…。異常…。
 わたしたちの憲法には「義務教育は、これを無償とする」(憲26条)という規定があるように、基本的なインフラ(住居費、水道、電気)なども無償にできないかと思っています。だって…「教育」だけ無償でも…自分の生活のインフラ部分が無償じゃないというのは、何か変じゃないですか。
 小中の授業料を無償にできるなら、家賃も無償か、自治体が半分負担するとかね…いろいろとやり方はあると思います。軍事費ばかりが右肩あがりのこの国のありかたは、どう考えても変です。
 宇都宮さんは、生存権について、次のように言います。


 憲法25条で言われている生存権は、「権利」なのですから、別に生活保護を受けるといったことは恥ずかしいことではありません。

 むしろ、政治家の側から「こういう制度があるから、どうぞ」と(積極的に)説明すべきなのです。

 本当は、大臣自らが、テレビコマーシャル等で、そういう制度を国が用意してあることを呼びかけても よいぐらいです。


 


 それから…、この「生活保護」という言葉が、実は問題です。

 「生活保護」というと、上の者が「世話をしてやる」「お恵みを与えてやる」といったニュアンスがあります。そうではなくて「生活保障」といった言葉に制度の名称を変えるべきです。


    〈行政の無自覚〉
 毎年、豪雨による堤防決壊等で全国に死者が出ていますが、わたしはずっと前から「堤防決壊」による被害については「国家賠償法によって補償せよ」と言っています。自宅の屋根の作りが粗悪で、雨漏りがした…というのは、それこそ“自己責任”かもしれませんが、堤防の作りが粗悪で、その地域に住む人たちの住まいが水浸しになったというような場合には、国土交通省は「不良堤防」を作った責任を明確にして、謝罪&補償すべきではないでしょうか。こういう〈行政の無自覚〉について、宇都宮さん…とってもいいことを言われていました。

 先日も、都内で高齢の兄弟が所持金も無いままに亡くなるといった事例がありました。

 その兄弟は、いわゆる無年金者だったのですが、そういう人に対しても、いろいろな制度があるということを、行政は知らせないといけないのです。

 ところが、いまの行政には、そういう事例が起きた場合にも「人の命を救えなかったのは、失政である」という意識が無い、もっと政治家や行政というものが、人権を守る運動の先頭に立たないといけません。


    〈政治を変えていく方法〉
 「政治への無関心」というのは、いまの日本の深刻な問題です。いまの若い人は、どうかすると、スマホでゲームやラインをするだけで、目の前で起きている政治の問題にさして興味を持っていません。もちろん、若い世代にも関心のある人もいますが、しかし、日本では脱原発の集会などに行くと、圧倒的に「シルバー世代」が多いのです。本当に、これは、大問題なのです。宇都宮さんの話の中に、スウェーデンの投票率が出て来て…、その数字の高さに、わたしは思わず目を見張りました。


  


 政治を変えていくには、たとえば、区議会、都議会などを傍聴が出来るので、そういうところに行って(政治の実際について見聞きし)、そして身の回りの問題について陳情などをしていくことも、ひとつの方法です。

 それから、今回の都知事選ですが、およそ2人にひとりは

投票をしていない…、外国の、スウェーデンの投票率などは、高校生も含めて85%です(注)


(注)いつの選挙のことか、うまく聴き取れなかったのですが、どうやら2018年9月の

総選挙のことのようです。下のリンクに鐙麻樹さんのレポートを貼っておきますが、

スウェーデンの国民の政治意識の高さには、…ちょっとびっくりです。


 高校生の国会議員も誕生しています…(注)

 そういうふうに、

政治というものに対する関心が高いのです。


(注)2010年18歳で国会議員になったアントン・アベレさんのこと…かもしれない。


 日本では、もともと(政治を自分たちの手で変えていくことを)あきらめているか、政治とは「特別な人がやること」という意識があるのです。

 投票率というのは民主主義の成熟度を表わすものです。

 日本も(スウェーデンのように)政治への関心を高くしていくことが必要だと思います。

 
    〈子どもの頃の夢、将来への夢〉
 小学生の卒業アルバムなどに、人は「将来の夢」を書きますが、30、40年後に、そのまま当時の夢をかなえている人は少ないです。でも、考えてみると、子どもの頃の夢の通りに生きている人は、けっこう少ないのですが、むしろ自然なことかもしれません。 だって、おとなになれば、自然と視野も広がって来ますし、それまで意識しなかった自分の資質や才能に(大きくなってから)気づかされることもあるからです。
 70歳を過ぎた宇都宮さんには、まだまだ大きな夢があるそうです。


  


 子どもの頃は、本気でプロ野球選手になりたかったのです。

 立教大学の長嶋選手の契約金が、当時としてはとてつもない高額で、自分もプロ野球選手になれば、親孝行が出来ると思っていました。

 ところが、プロ野球選手になることがむずかしいとわかって、猛勉強して東大に入りました。

 東大の駒場寮にいたのですが、その寮には社会問題に関心のある人が多かったのです。そこで、わたしは、この国の部落問題など、さまざまな社会の問題について知るようになりました。

 わたしの家も、たしかに貧しかったのですが、でも…親から「泥棒をやって来い」と言われたこともないし、50代になって初めて字が書けた…というようなこともありません。

 けれども、世の中には(貧しさゆえに)親からそういうことを指示されたり、50代になって読み書きを学び、その年齢になって初めて自分の名前を書けるようになったりする人もいるのです。

 そういう事例を知るようになって、自分だけ貧しさから抜け出せれば問題は解決(おしまい)、自分が貧困でなくなったらそれでいいんだと考えることは、何となく気恥ずかしい…、そういう生き方は人間として卑怯な生き方ではないか、と思うようになり、いまのように貧困の問題等にかかわるようになりました。 


 


 座右の銘は…「真理は寒梅のごとし 敢えて風雪を侵おかして開く」を聞かれれば答えています。

 

 これは同志社大学の創立者、新島襄(1843~1890)の言葉です。


 将来の夢は、弁護士として…だけではなく、もっと広い意味での市民活動家になりたいですし、いまも、していることの何割かは、そういう市民活動家としてのものです。


   〈社会をどうやって変えていくか?〉
 わたしは、せっかちなので、ものごとはすぐに変えたいのです(涙)、それから…「正義は勝つ」ではなくて「正義は勝たなくてはいけない」という考え方ですから、原発をはじめ、世の中の不正を問う裁判などで、正義の側が負けることに我慢がならないのです。

 先日の、大林監督に関するブログでは「戦争をなくすのに400年かかる」という黒澤明監督の言葉を紹介しましたが(→ コチラ )、「ものごとを変える」ことについての宇都宮さんの見解にも、わたしは学ぶところがありました。 

 
ものごとというのは、すぐには変わりません。

 わたしが関わってきたサラ金問題も、はじめは、個別に相談を受けていたのですが…、もうどこの事務所も手いっぱいで「これは個別に対応していてはだめだ」「法律そのもの、制度そのものを変えなければ…」ということで、2006年12月に、法律(注:貸金業規制法)が改正されることになりました。

 これだって…30年かかったのです。

 たったひとつの法律を変えるのにも、これだけの時間がかかるのです。

 都政に関する取り組みも、2012年から始めていますが、ものごとを変えるには時間がかかります、だから、何かをやろうとする時には、そのことを、あらかじめ肝に銘じて取りかかることが必要です。

 「ものごとを変えていく」ということを もっと広い目で見ると、1945年から75年にわたって、わたしたちは「自民党政治」を崩せていないのです。

 だから、そういう政治のしくみを変えていくには、小さなことに一喜一憂せずに腹を据えた取り組みが必要だし、みんなで、あきらめずに、目の前の大きな岩を砕き続けなければいけないのです。


ぽってりフラワー


 以上が、わたしの聴いた後半部分の要旨です。

 個人的には、宇都宮さんが話された中で、

 自分だけ貧困から抜け出せればいいのだという考え方は、

 「人間として卑怯だ」というところ…、

 

 宇都宮さんは、はっきりと〈人間して卑怯な生き方だ〉ということを言われました。

 この「卑怯」というコトバ、「貧困」について語られる場面で 唐突に宇都宮さんの口から出て来て わたしは少し面食らいました。でも、「貧困」問題について、そういう心意気で取り組んで来られたのか…と思うと、わたしは とっても胸が熱くなりました。

 宇都宮さんと言えば、これまでは「わたしたちは微力だけれども、無力ではない」にシビれていたのですが、きょうは「自分だけ貧困から抜け出せればいいのだという考え方は、人間として卑怯な生き方だ」も、ウツノミヤ語録としてつけ加えたいと思います。

 わたしも…宇都宮さんと同じようなことを考えるし、
 そのことは過去のブログにも書きました( ⇒ コチラ )。 


  ふんわり風船星 たとえば、わたし自身が、たまたま大学まで行ける境遇に生まれ落ちたこと、

ふんわり風船ハート たとえば、よその誰かが、たまたまそういう境遇に生まれ落ちなかったこと、


 このちがいは、わたしと、よその誰か…といった個人の力をはるかに超えているのです。

 だから、わたしは、シリアの人たちの問題、香港の学生たちの問題、沖縄の人たちの問題…、そういうわたしたちが直面している問題を、自分なりに共有したいのです。

 それから、

 小さいことに一喜一憂せずに腹を据えて、大きな岩を砕き続ける…という、宇都宮さんなりの覚悟(の言葉)、わたしはそれを聞いて中国の故事…「愚行山を動かす」を思い出しました。

 いやぁ~~~、宇都宮さん…素敵だな。


 やっぱりね…、たとえばサラ金問題で命を懸けて闘って来ただけに、覚悟がちがいます。わたしも、小さなことにくよくよしたりせず、宇都宮さんのように腹をすえて日々を生きていきたいと思いました。


( お し ま い )


 〔参考〕
 星 宇都宮けんじ 略歴
 星 「都政を変えよう 中野の会」
 星 鯨エマさんのブログ
 
 滝汗 投票は家族行事(鐙麻樹さんのレポート)

 

 ◆ J A Z Z の 味 わ い ( 2020年6月20日ブログ )

  ヒッチハイクのお兄さん   ( 2020年1月21日ブログ )

  池内了さんの決意    ( 2018年3月20日ブログ )