(2014年5月5日、都内にて)


 大 林 宣 彦 (おおばやしのぶひこ)監督が、

 今月10日に亡くなりました(享年82歳)。


 上の写真は、2014年の5月、たしか…憲法集会か何かのイベントだったと思います。『この空の花 ―長岡花火物語(2012年4月公開)上映会でのトークだったかもしれません。

 この時は、まだ闘病をされておらず、矍鑠(かくしゃく)として…

 むしろ、イタリアかどこかの…「チョイワルおやじ」ふうです(注)


(注) 大林監督は2016年8月に肺がんがわかり、ステージ4の進行に対して、

当初医師から「余命6か月」(のちに「余命3か月」)の宣告を受けたのでした。

 

  

(ETV特集「青春は戦争の消耗品ではない」より、以下同じ)

 

 きのうの夜遅くに(25日24時30分~25時30分)ETV特集

 

「青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言」

 

を見ました。


 これはてっきり大林監督の遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の撮影風景かと思いましたが、あとで見たら、2017年12月公開の『花筐/HANAGATAMI(注)に密着したドキュメンタリー(2017年9月2日放送)の再放送だったようです。


(注)『花筐/HANAGATAMI』と、『この空の花―長岡花火物語』(2011)、

『野のなななのか』(2014)を合わせて「戦争三部作」とも言われます。

 

 
 

 その番組の中で、大林監督は、軍医として戦地に赴(おもむ)いた自分の父親を「人生すべて…人生ごと、戦争のために消耗品として扱われた」「精神の自由も無かった」と評し、映画の道に進むべきか悩んでいた時に、父親からかけられた言葉も紹介していました。


お父さん 「心に決めた道を進めるというのが、平和なんだ」

 

お父さん 「おまえは自分の決めた道を、進みなさい」


 戦争に行っていて、子どもの頃に父親と撮った写真も無い…と

 大林監督は回想していましたが、とってもいいお父さんですね…。

↑ 優 し そ う な お 父 さ ん で し た 。


 ぽってりフラワー


 それから、大林監督は、〈戦争〉というものに怯(おび)えなくてはいけないとカメラの前で語っていました。


 …わたし、この言葉がとっても心に残りました。


「〈戦争〉というものに

怯えなくてはいけない」


 そして、…考えました。

 もしかしたら…わたしたちは「戦争」というコトバそのものを、もしかしたら、使わない方がいいのではないか、と。なぜなら、「戦争」という、コンパクトで使いやすい二字熟語によって、その本質が隠されるから。

ゆめみる宝石 だから、少し手間であっても…、「戦争」のことを
 無差別の連続通り魔的殺戮(さつりく)と、きちんとそのように言ったほうがいい。
 
ゆめみる宝石 「戦争アクション映画」も、
 「無差別の連続通り魔的殺戮アクション映画」と、きちんと言い換える、

ゆめみる宝石 「戦争ゲーム」も、
 「無差別の連続通り魔的ゲーム」と言い換えて、


ゆめみる宝石 そういうものを子どもに買い与えている親御さんには、
  「あなたの家では、〈無差別の連続通り魔的殺戮ゲーム〉小さな子どもにやらせているのですか?」と聞くようにすればいいのです。

 

 ぽってりフラワー


 大林監督について、黒澤明監督との“約束”が、あるサイトに詳しく載っていました。黒澤監督が、どういうことを言ったのか、そのサイトから引用します。

 
星 「ある日突然、世界中の人間が手にしている銃を投げ捨てるんだ。すると皆、両手が空になる。しょうがないから目の前にいる敵と抱き合う。そうすると“なんだかこのほうがいいな”と言って、世界から戦争がなくなる、そんな夢の映画だよ。世界中の人がこの映画を見て“本当だ、このほうがいい”と抱き合ってごらん。10人に1人が、いずれ100人に20人に増えて、“ああ、このほうがいいや”と思う人がどんどん増えていくよ。そういう映画を20年も30年も上映してごらん。映画を見た世界中の人がそう思ってくれたらどうだ、大林くん、そういう力と美しさが映画にはあるんだよ」


星 「しかし、平和を確立するのは時間がかかる。愚かな人間は、戦争はすぐ始められるけれど、平和を確立するには、少なくとも400年はかかるだろう。俺があと400年生きて、映画を作り続ければ世界を平和にしてみせるんだが……俺はもう80歳だ。人生がもう足りない。ところで大林くん、きみはいくつだ?」


星 「そうか、50歳か。ならば俺より少しは先に行けるだろう。そしてきみが無理だったら、きみの子どもが、さらにはきみの孫たちが、少しずつ俺の先の映画を撮り続けてほしい。そして、いつか俺の400年先の映画を作ってほしい。そのときにはきっと、映画の力で世界から戦争がなくなるぞ。だから、俺たちの続きをやってね」


 そのサイトでは、大林監督の言葉も紹介されています。


花火 「これが“世界のクロサワ”から託された、遺言なんです。そして、本当に世界から戦争がなくなったら、映画もいらないんです。皆が健康になったら医師が失業するようにね。同じように、戦争がない世界が実現したら平和を願い、平和をつくれる映画というメディアもいらなくなる。だから僕は映画がなくなる日を夢見ながら、映画を撮り続けてきたのかもしれません」

 出典: https://note.com/savensatow/n/nc4bf54ad8794


 
 

 NHKの追悼番組紹介サイトに、大林監督の言葉「映画には力と美しさがある」が

 記されていますが、その言葉…もともとは黒澤監督の言葉だったのですね…。


 ぽってりフラワー


 四國五郎さんのことを、以前 このブログで書きました。


 その7回目のところで、「文学でも芸術でも、戦争と無関係のところで成り立つのか?」という五郎さんの問いを紹介しています( ⇒ コチラ )。

 映画でも、そうでしょう…、
 いいえ…、文学、絵画、映画、音楽、演劇…だけではなく、そもそも…

 「戦争と無関係のところで成り立つ人間存在」というものが、

 はたしてあり得るのか…と、わたしは考えるのです。

 
2016年9月5日ブログで、わたしはオリンピック選手のことを取り上げ、 
 メダルを首にかけてもらったオリンピック選手が、

 

義理チョコ 「このメダルは、辺野古の人たちに捧げます!」

ハートのプレゼント 「座り込みには行けませんが、ぼくの心は、

  高江のみなさんと共にあります」

本命チョコ 「沖縄のみなさん、見ていますか?」

 

 …などと言ってくれないか期待した、と書きました。


 それに続けて、こうも書いたのです。

 

 「世界的な大会でメダルを取るために、世の中との接触を絶って…ひたすらスポーツに専念する…、世の中のこと、いまの社会で何が起こっているか…さっぱりわからない…、そういう…『○○バカ』が増えてくることに、私は少しばかり危惧の念を持っています。それは、ある時代に科学者らが研究室にこもって、自分たちの社会的責任を忘れて、核兵器の開発に突っ走ったのと似た危うさを持っていると思うのです。私たちは、どのような職業を選ぶのであれ、それ以前に一個の人間であり、人間としての責務を忘れてはいけないのではないでしょうか――?」


 あそこに書いたこと、わたしは今でも真面目にそう思っています。

てへぺろ 「ぼくはオリンピック強化選手に選ばれたので、いまは金メダルを取ることしか考えていませんし、シリアで起きていることには関心がありません」

 こんなことを言う人間がいたら、「強化選手」枠から外して、戦争…じゃなかった、無差別の連続通り魔的殺戮について態度を決めさせてから、そのあとでスポーツをさせればいいのではないでしょうか…(注)


(注)いえいえ「させればよいのではないでしょうか」ではなくて、そのように「させないといけません」。だって、「オリンピック」ってもともとは「平和の祭典」なんでしょ?「平和の祭典」に出る人たちが「戦争に無関心」って…まったく意味がワカラナイ。


 ぽってりフラワー


 わたしが、チャップリンピカソのことを深く敬愛するのも、映画と絵画という異なるジャンルの2人ですが、どちらも戦争を憎み、それぞれの作品を通じて、戦争…じゃなかった「無差別の連続通り魔的殺戮」と対決し続けたからです。

 チャップリンは「喜劇王」などとも言われますが、「喜劇王」だから(わたしの中では)すごいのではないのです、チャップリンが、「喜劇」で「暴力:ファシズム」と対決したという、そのことが(わたしの中では)すごいことなのです。

 大林監督は、『 花 筐 / HANAGATAMI 』のあとに、さらにもう1本『海辺の映画館―キネマの玉手箱』を撮って、それが今月に公開予定でしたが、新型コロナウィルスの余波で公開が延期になっています。

 また時機を見て、映画館に足を運びたいです。


 〔 参 考 〕
  『海辺の映画館―キネマの玉手箱』 公式サイト

  

 ◆ 戦争って、気持ちいい!2020年1月15日ブログ