先日、都内でちょっと醜悪な建物を見学(?)しました。

 正確には、別に「見学」というたいそうなものではなくて、たまたま通りかかったので「チラ見した」程度です。

 どうして、その建物が「醜悪」なのか…と言えば、それはその建物の「使われ方」にあります。

 だから、正確には、

うずまき 
デザイン(意匠)が醜悪な建物…ということではなく、
うずまき 
使われ方が醜悪だった建物…と言うべきでした。

 歴史的な建物というのは、その手の醜悪さはつきものです。
 例えば、アウシュビッツ収容所などがそうですね。

 あとは、わたしがよく引き合いに出すのが、
「国宝」の迎賓館。
 あれなんかも、わたしは
「できそこないのラブホテル」と呼んでいるのですが、ああいうものを建てて、それで、さも自分たちは(西洋には負けない)近代国家なのだ…ということをまわりに示そうという貧相な下心が見え見えで(注)、そのさもしい根性がまったくなさけないと、わたしは思います。

 

(注)これは前にどこかで書いたことですが、アフリカのどこかの国に、日本の総理大臣が訪問したら、密林の奥地に「法隆寺」ふうの木造建築(=宿泊施設)がこしらえてあって、ホスト側のアフリカの人たちが「ドヤ顔」してたら、怖いですよね。西洋人を受け入れる(=泊めさせてあげる)のなら、縁側のついた日本家屋で、蚊帳を吊って「オモテナシ」をするべきではないでしょうか?

 冒頭の建物もそう。

 建物そのものは、凝ったデザインも見られて、純粋に建築学的には、まぁそれなりなのでしょう。

 でも、そういう建物を建てて、そこに「宮家」を住まわせて、「宮様たちは特別な人たちなのだ」という雰囲気を醸し出したいというそのイヤらしい発想に、わたしは
吐き気を覚えるのです。

 

 

 冒頭の洋館には、すこし離れた場所に茶室もあります…。

 

 世の中の、その手の人たちは、ある種の願望として」をようです。

 この世界、全宇宙の中で、わたし自身がいちばん高貴だ…なんてことは思わずに(注:太郎さんなら、そう思うはず)、自分以外の、自分はその足元にも及ばない…という高貴な方々を(勝手に頭の中で)こしらえて、そして、ハダカになれば、わたしと何も変わらない(「皇室」と呼ばれる)人たちに小旗を(今でも)振るのです。

 その「皇室」と呼ばれる人々のトップに立つのが…、例の「天皇」さん(笑)。

 でも、言っておきますけど、「天皇」さんと、わたしとでは性別はちがうかもしれませんが、あとはほとんど変わりませんよ(笑)。

 もし「天皇」さんを敬うなら、わたしのことだって敬いなさいよ…って話です。

 

  

 茶室の前には池もあります…。 


 まぁ、いいや…。←いいんかい?

 いいんです、「天皇」さんのことは、これまでにもブログで取り上げていますから、わたしが「天皇」さんを担ぎ出して色々と画策する人たちのことを、猛烈に嫌いであることは、そういう過去のブログを読めばわかりますから(笑)。

 そうではなくてね…、そのヘンテコでグロテスクな建物を見たあとに、わたしはさらにグロテスクなものを見てしまったのです。

 きょうの本題は、その話…。ゲッソリあせるあせるあせるあせる

 そのグロテスクなものをまずは、見せましょう…。
 どうぞ、目を凝らして、よ~く見て下さい。

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

 

 見えましたか…。
 見にくいとアレなので、もっとアップにしてみましょうか…。

 

 以上、2024年4月13日。都内にて。

 

 も~最悪ですね、グロテスクの極み。

 ここまで醜悪でなくても、この手の目をそむけたくなるようなモノは、わたしたちの身の回りにあふれています。

 わたしが、この手の花壇を醜悪だと思うのは、この花壇を作った人は、こうやって花々を植えれば、きれいに見えるだろう…と(安直に)考えているから。

 いかにも安っぽく、しかも、野に咲く花々をこんなふうに息苦しく植えて…、お花さんに申し訳なくないのか…ってわたしなら、思ってしまいます。

 お花が美しいと思うなら、もっとほんとうの「花の美しさ」に気づいて、それを多くの人に教えてあげて欲しい、わたしに言わせると、それがほんとうの華道家(?)だと思うのです(だから、わたしはチョキン、チョキンとお花を切り落として「まぁ~、きれいに活けられました」なんて言うのは、ニセモノに映ります)。


真顔「じゃあ、詩乃ちゃんは、美しいお花を…

知っているの?知っているなら、見せてよ」


 たぶん、こういう声はあるでしょうね…。

 ふふふ…、だから、きょうは、その「美を見せますよ。それは、それは美しくて、わたしは道端にしゃがんで(=ウ〇コ座り)、そのお花さんとおしゃべりをしてしまいました。

 みなさんもよく知っている花ですが、よくよく見ると、美しいのです。

 わたしは、そのお花さんを眺めていて、岡本太郎さんが「『美しい』と『きれい』とはちがうんだ」と言っていたことの意味がよくわかりました。

 その花は、「美しい」けど…「きれい」なのとはちがう…。
 わたしも「きれい」でなくてもいいけど「美しい」人になりたいです。


 ( お し ま い )


   

 

 

 

  2024年4月15日、千葉県内にて。



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