小さい頃に、父親に連れられて、知り合いのお宅にうかがったことがあります。
幼稚園か小学校に上(あ)がりたてだったかもしれません。
玄関口であいさつをして、まだ小さかったので立ったまま靴がぬけず、かまちみたいなところに座って靴をぬごうとしたら…「あっ、靴をはいたままでいいから」と言われてびっくりしました。
「この人は、ジョーク好きのおじさんなのかな」と思ったら、
何とわたしの父親も、革靴をはいたまま、その人の家に入っていくではありませんか…。
わたしも慌てて、そのあとに続きました。
あとで、アメリカ人の中には、(日本で暮らす場合でも、そうやって)寝室以外は「靴をはいたまま」生活する人がいると、父親から聞いて、わたしは子どもながら おどろきました。
日本人の家に招かれて、靴を履いたままあがり込み、床の間を見て…「あ~ら、奥さま…、すてきな掛け軸じゃありませんこと、ホ ホ ホ ホ ホ …」ってやったら、ゼッタイ その後の人間関係にヒビが入ります。ところが 逆に、アメリカ人の家では、「玄関で靴を脱ぐ人」っていうのは…“ふつう”ではないわけです。
なぜ、そのことを思い出したかと言うと、あるYoutubeの番組を見ていて、日本の若者がアメリカで床屋さんに連れて行ってもらうというのがあったのです。そこでは何と…客は鏡に背を向けて髪を切ってもらうのです(すべての理髪店がそうではないと思いますが)、しかも、そこで客は出されたビールを飲みながら、髪を切ってもらうことができる…、そして すべて出来上がったあとに「はい、できあがりましたぁ~、じゃじゃ~ん」みたいに、サプライズ的に、客は鏡のほうに椅子を回してもらうのです。
日本で、このやり方をお店がしたら…「何だ、何だ…?」となるのではないでしょうか。
いま 世の中で何が起きていることを どう考えるか、その材料として
わたしは新聞の読み比べをよくします、そして、新聞を読むのに疲れると(←世の中、晴れやかな気持ちになれるニュースが無いから)、人里を離れて 山の中で「自然」と向き合います。
まだ一輪しか咲いていなかったころ…。
ぼたんの咲いているそばの切り株…よく見ると〔右:拡大写真〕「かなへび」のような
生き物が見えますが、調べてみると、これは「とかげ」のようでした(以上、2020年4月17日)。
どうして「自然」と向き合うのか…と言うと、
自分の視点、着想、ものの見方などをもう一度 確かめるためです(注)。
(注) 「人間社会の悪習」に染まった「ものの見方」を、
洗い流すため、とでも言ったほうがいいかもしれません。
人間社会で、一見 当たりまえのことも、
自然界では かなり“異常”…ということが多いです。
服を着ていること、
シャンプーやリンスをすること、
美容室に行って髪を切ること、
社会の中に、細かな法律、条例…etc があり、曜日別に
「燃えるゴミ」と「不燃ごみ」の区別をしてごみを出すこと、
町中に自販機があること、
自然を汚染するような「核発電所」が僻地(へきち)に造られていること、
そこで、「核のゴミ」が発生していること…。
鉄のかたまり〔飛行機〕に乗って、人々が移動すること…。
そうやって視点を変えると、 わたしたちの暮らし方が、自然界の動物や草花と比べて…かなり“異常”、控えめに言って…相当 風変りであることが、よくわかります。その“おかしさ”を 実感するためもあって、わたしは「自然」の草や花を眺めるのです。
(2020年4月21日)
(以上3枚、2020年4月23日)
先月は、静かな森の中に、
人知れす ぼたんの花が咲いているのを見つけ、
その咲き方がとてもきれいだと思いました。
ぼたんの花をどう見るか…
ぼたんの花をどう撮るか…なんてことを考えながら、同時に
わたしは、今度 わが国の軍隊の中に
〈宇宙作戦隊〉 という新しい部隊ができることに、
クラクラ…と軽いめまい(戸惑い)を覚えていました。
これだけの コロナ騒動 の中、オリンピックなんてやる必要ないし…、
軍事組織を、宇宙にまで拡大して、どないすんねん…
という気持ちです。←みなさんも、ゼッタイ そういう気持ちじゃないですか?
〔 参 考 〕
Youtube :ビールを飲みながら散髪してもらうスタイル
◆ 同じ事実をどう書くか(2017年5月27日ブログ)
◆ 宇宙作戦隊、ついに始動!(2020年1月11日ブログ)