11月3日ブログで取り上げた 憲法学者、樋口陽一さんへのインタヴュー、
その中で
「憲法が、国民の生活に根付いているか」
という質問に、樋口さんは 「憲法が根づきつつある状況は失われてはいません」と発言していました。その点をとらえて わたしは「自分の意見とはちがう」と書きました。
わたしに言わせれば、憲法(の基本的な考え方)は、まだまだ わたしたちの生活の中に根づいていないのです。
そのわかりやすい例を きょうは取り上げます。
最近、色々なイベントで耳にする「天皇陛下、バンザ~イ」のかけ声がそれです。
「即位正殿の儀」(10月22日)の時にも、そして、天皇の即位を祝う「国民祭典」(11月9日)の時にも、「天皇陛下、バンザ~イ」のかけ声が聞かれたそうです。
10月22日におこなわれた「即位正殿の儀」で、
「天皇陛下、バンザ~イ」をする安倍総理大臣(ANNニュースより)
この…「天皇陛下、バンザ~イ」って、まったく「日本国憲法の基本的考え方」を理解していない人たちの酔狂(すいきょう)だと思います。
なぜか…と言えば、
11月4日ブログで述べたように、「天皇陛下」というのは、目の前にいる天皇個人に対する呼びかけであり、「天皇陛下、バンザ~イ」は、天皇個人に対する祝意だからです。
もし 天皇陛下が、オリンピックの100メートル走で世界新記録を出したのなら、その力走ぶりに「おめでとう/バンザイ」と言うのは理解できます。
あるいは、天皇誕生日に、「Happy Birthday!」の意味を込めて「バンザ~~イ」なら、ぎりぎり わかります。
でもね…、
今回のイベントは、別に「オリンピックの100メートル走」などとはちがって、天皇個人の努力やがんばりとはまったく関係ないのです。
前の天皇が「やめま~~~す」と言えば、〈ところてん〉式に、つまり自動的に、これまでの皇太子が、新しい天皇になるのです。
「10月31日」が終われば、自動的に「11月1日」になるのと同じです。
まぁ~~~、何て言うのでしょうか、天皇即位というのは…行政〔統治のしくみ〕上での、単なる手続きのひとつに過ぎません。ひとりの選挙当選者が選挙違反で逮捕されて、次点の人が自動的に「くりあげ当選」するみたいなものです。
それなのに…、
「天皇陛下(に対して)バンザ~~~イ」と唱和する人たちは、「天皇個人を祝福している」わけです。
だから、全然 わかっていないですよね…、この(日本国憲法下での)国の統治のしくみが…。
わたしに言わせれば、「祝う対象」を、そういう人たちは勘ちがいしているように思います。
本来ならば、
天皇も、主権者(国民)と同じ高さの場所に立って、出来れば、ラグビーみたいに、みんなでスクラムを組んで、「エイエイ、オ~~~」 じゃないですか…?
そして、
「これからも、あなたたち主権者とワタクシ象徴天皇とが
協力し合って、社会をよくして行こうぜ~」 という決意宣言を、天皇自らがすべきです。
まぁ、「同じ高さ」が無理なら、天皇が少し高い壇上に立ってもいいですよ…、でもね…、下に群れている者たちが「天皇陛下、バンザ~イ」と連呼するのは、かつての大日本帝国憲法のときと、まったく発想がかわっていないから、ダメ。
これからの時代は(天皇が壇上に、国民が下の場所でもいいですから)、天皇が…「令和の時代も、平和な時代を築いていこ~~~ぜ~~~」と、コブシを突き上げ、それに対して、わたしたち主権者が、「OK、ベイベ~~~」と応えるのが…日本国憲法下での、好ましいやりかたじゃないですか???
※別に「OK、ベイベ~~~」じゃなくてもいいですけど…。
もし、どうしても、「天皇陛下バンザ~イ」を入れたいのなら、まずは、天皇さんが「主権者のみなさん、バンザ~~~イ」と呼びかけて、それに応える形で「天皇陛下、バンザ~~~イ」なら、エールの交歓 ということで、ありかなぁとは思います。
下の場所から、多数の烏合(うごう)の衆みたいな人々が、狂乱状態で壇上の男女ふたりに「バンザ~~~イ」を連呼するって…、なんだか…とってもアブナイ感じがします。
そうそう…、あの澤木興道(1880~1965)さんが、特定の集団に属する人々の狂乱ぶり を、何と称していたか…、思い出しました。
「グループぼけ」
…う~~~ん、なかなか うまい言い方です…。
( お し ま い )
◆ 興 道 さ ん の 洞 察 力 ( 2018年1月29日ブログ )
◆ 宮サマを呼び捨てにしてよいのか?( 2019年9月7日ブログ )