知り合いのジャーナリストさんが…「詩乃ちゃんが、ゼッタイ読みたい本だと思うよ」と言って、を差し入れてくれました。

 
これこれ~!!! 笑い泣きあせるあせるあせるあせるあせる
 

 この本、買おうと思っていました…(差し入れ、Thanksです ラブラブ )。

 経済評論家の森永卓郎さんは、昨年12月にすい臓がんのステージ4を宣告され、現在も闘病中ですが、そんな中でこの
『 書いてはいけない 』(三五館シンシャ)を書き上げたのでした(注)

 

(注)ついでに言うと、森永さんは『書いてはいけない』「あとがき」で、この本は自分にとっての「遺書」のようなものだと書いています。きょうのブログタイトルは、そこから採らせてもらいました。闘病の中での著書執筆、たいへんなことです。それだけに、わたしも、森永さんが執念で追及している日航機事件について、真実が明らかになるよう少しでもブログで取り上げたいと思っています。


 そして同書P118~167(第3章)で、あの…日航機事件(1985年)のことが取り上げられているのです。

 

 「日航機事件」のことを知りたい人は、小田周二さんの『524人の命乞い』がとてもわかりやすく書かれていますので、是非こちらをお読みください(貸し出し可能です)。2020年8月1日ブログより


 森永さんはメディア関係の仕事(例:テレビのコメンテーター)をするようになって25年以上になるそうですが、その森永さんが同書「まえがき」でこう書いています。

 
「その経験のなかで、メディアでは、けっして触れてはいけない『タブー』が3つ存在した。


(1)ジ
(2)財
(3)日123便


 この3つに関しては、関係者の多くが知っているにもかかわらず、本当のことを言ったら、瞬時にメディアに出られなくなるというオキテが存在する。それだけではなく、世間から非難の猛攻撃を受ける。下手をすると、逮捕され、裁判でも負ける。
 だから、賢い人はそうした話題には最初から触れない。知らぬ存ぜぬを貫くことだけがメディアに出続けるために必要なことだからだ」


 そのように内実を話す通り、森永さんは自分自身も日航機事件関連の書籍の書評を大手メディアに書こうとするたびに、直前になって担当者から連絡が入り、掲載が取りやめになる不思議について明かしています。左矢印ポーン はてなマーク はてなマーク はてなマーク

 
 

 青山透子さんの書いた『JAL裁判』。この裁判は、現在、最高裁に上告がされていますが、『書いてはいけない』の中で、森永さんはこの裁判にも言及しています。森永さんの言うことは簡単明快で、世の中の、日航機墜落にまつわる疑問の数々は、123便のフライトレコーダーとボイスレコーダーをきちんとすべて公開すれば済むことだというのです。まさに、その通り、あとは相模湾に沈んでいる123便の尾翼も引き上げて検証してもらえませんか?( 2023年6月2日ブログより ) 

 日航機事件そのものについては、すでにわたしも知っていることが大半でしたが(同書では、ご遺族である小田周二さんの『524人の命乞い』『永遠に許されざる者』についても引用がされています)、森永さん自身が直接、
あの時に群馬県に派遣された自衛隊員から、群馬県に到着した後も「墜落地点が不明」ということで「待機命令」を受けていたことを聞いたことや(P165)、実在する人物かどうかすら疑われることもあった青山透子さんに森永さんが会った時の印象等も書かれています(注)

 

(注)…でもね…、そもそも「墜落場所が不明」だとしたら、自衛隊を「群馬県に派遣する」って、オカシイですよね…。笑「墜落場所」がわかっているから、自衛隊を群馬県に集めたはずです。でも、そこで「待った」をかけて待機させる…、なぜ?

 

 

 2023年8月8日ブログで紹介した、日航機のニュース速報時に流れた「待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を射殺」の字幕。どうやら、森永さんが自衛隊員から聞かされた話によると、現場に入った自衛隊員に「待機命令」が下されていたのはほんとうのようです。


 それから、過去にも紹介した「  」(約12分:1994年9月25日のテレビ朝日「ニュース・ステーション」より)、わたしはあの番組を『524人の命乞い』を読んでからYoutubeで見たのですが、森永さんはそれをリアルタイムで視聴して、その内容があまりにも衝撃的だったのでしょう、森永さんは『書いてはいけない』の中で、文字起こしふうに、かなり詳細にその内容を紹介しています。

 思えば、
アントヌッチ氏の重大証言が、1995年(事件から10年)、青山透子さんの『日航123便墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る』2017年(事件から32年)、小田周二さんの『524人の命乞い』2017年(事件から32年:小田さんには2015年『日航機墜落事故真実と真相 御巣鷹の悲劇から30年正義を探し訪ねた遺族の軌跡』という著作があります)と、それぞれの証言や書籍は、その一つひとつが、ものすごく時間がかかっているのです。

 それはそうでしょう、当時の中曽根康弘総理大臣はじめ、その取り巻き、運輸省の事故調査委員会、裁判所、大手メディア…など、
あらゆる公的機関が、「上」からの命令や忖度、保身によって、圧力隔壁破壊説という、荒唐無稽なあり得ないシナリオ(まさに…シナリオです)に従って、ず~っと、ウソを流し続けて来たからです(注)

 

(注)ここで考えてもらいたいのは、「公的機関」て何…ってことです。一部の「公的機関」の人たちって、あれは…仕事しているんじゃないんです、毎日「サークル活動」にうつつを抜かし、「仕事しているふう~」を装う。要注意です。

 

 

 日航123便が墜落後、米軍の輸送機で近くを飛んでいたアントヌッチ中尉(当時)は約20分で現場上空に到達し、その墜落地点を横田基地に報告しています。そして、日本政府も同じように墜落地点は把握していたのです。なのに…どうして、ことさらに「ニセ情報」をテレビで流すのか…。そして、群馬県の山中では、自衛隊員に「待機命令」が出されていた…という事実。


 100当に、と言われるがごとく…、恥ずかしながら、わたしも小田周二さんの『524人の命乞い』を読むまでは、39年前に起きたできごとに関心を持たずに生きて来ました。だから、いま…やはり(かつてのわたしと同じく)この事件に興味を持たなかったり、事件を隠したい人たちによるプロパガンダを信じ込んだりしている人たちのことを、わたしには批判する資格はありません。

 願うのは、やはり、多くの人たちの目が、1985年8月12日に起きた、日航123便をめぐるできごとに向けられることです。


 そして、その「できごと」への隠蔽工作は、39です、その「隠蔽」に目をつぶるのか、それぞれが真実が明らかになることを願って行動を起こすのか…、わたしたち一人ひとりの生き方が問われていると思います。

 

 ( お し ま い )


小田周二さんの『永遠に許されざる者』

 2024年2月10日ブログより


 〔 参 考 〕
うずまき 三五館シンシャ
 そこの「会社概要」に、こうあります――「株式会社三五館シンシャは、日本の総合出版社(自称)。2017年10月に倒産した出版社・三五館に在籍していた残留三五館兵(1名)により、2017年12月、御茶ノ水に設立される。社名の『シンシャ』は『新社』と『深謝』を含意。出版分野は、人文書、ノンフィクション、実用書、ビジネス書、絵本と、ジャンルを横断&彷徨中。前身である三五館(1992年~2017年)の25年に、もう25年分追加して、『三五館50年史』を築くため、2042年まで活動予定」

 ガンバレ、三五館シンシャ!!!



 小田周二さん特集ブログのこと( 2023年12月12日ブログ )