今日、ひさしぶりに“憲法の伝道師”こと、伊藤真(いとうまこと)さんの話を聴く機会がありました。その話そのものも…またわたしには新たに勉強することが多かったのですが、その資料のはじめに掲げられていた伊藤真さんの一文にも、わたしは非常に感銘を受けました。

 

 今日はまず…その一文の紹介から ―― 。

 

  適宜(てきぎ)〔注〕と“ふりがな”をつけました。

 

 

 

 

戦争法9条改憲阻止けて

                                伊 藤 真

 

 戦争法〔注:2015年強行採決〕や9条改憲という事柄(ことがら)が日本国内にとどまる問題ならば、主権者である国民が自らの投票で決定することも許されよう。しかし、世界に大きな影響を与えることであるとしたら、単に日本人が自分たちのことだけを考えて判断することは許されないと思う。

 

 これらの動きは、世界の戦争違法化への流れを止めてしまうと危惧(きぐ)している。私は全世界が、できるだけ戦争をなくす方向へ進むことが人類の進歩であると考えている。少なくとも戦争の世紀と呼ばれる20世紀なかばからそのような努力を国際社会は積み重ねてきた。ジャングルの中のように強い力をもった者が他をねじ伏せる。つまり、強国の価値観が唯一の価値で、それに従わない者は暴力によって鎮圧(ちんあつ)されるというような世界は健全ではない。多様な価値観の併存(へいぞん)を認め、仮(かり)に価値の衝突があったとしても、暴力によって優劣を決めるのではなく、対話と外交努力によって紛争を解決しようとすることが国際社会の進むべき道であると信じる。その方向をまさに日本国憲法は先取(さきどり)していたのである。その憲法が自らの独自性を放棄することは、日本一国の問題にとどまらず、いま再び国際法無視の暴力万能の国際社会に後戻りしようとしている世界がその重要な歯止めを失うことになる。非暴力主義への世界の進歩を止め、逆行する方向に弾(はず)みをつけることになりかねない。それは日本が国際社会からの尊敬を失い、平和国家としてのブランド価値を毀損(きそん)する行為だと考える。

 

 確かに20世紀は戦争の世紀であった。 2つの世界大戦、そして多くの独立戦争や内戦などで幼い命や弱い者たちの命が失われていった。だが、人はこうして殺し合いを続けながらも、他方ではまた新たな命を生み出している。この命の連鎖(れんさ)は驚異的である。戦争が永久に続くように見えても、この命の鎖もまた永遠に続く。私たち人間には生き続けようとする根元的な欲求とそれを実現する力が備わっているようだ。そしてその生きるという意欲を権力に対して主張することこそが人権の本質である。平和的生存権だ。私はこの平和的生存権こそがあらゆる人権の中でもっとも根元的で重要なものと考えている。人は殺し合いもするけれど、やはり平和の中で生きたいと願い続けるものなのである。

 

 そうして人は立ちあがることができる。人類の生命の連鎖の中で自分の一生はほんのわずかだが、その鎖の輪の貴重なひとつであることもまた間違いない。人類という大きな長い鎖の中での役割を自覚することが必要だと思っている。

 

 私たちは単に死ぬために生まれてきたのか、そうではないだろう。やはりよりよく生きるために、多くの人がより幸せを感じて生きることができる世界をつくるために、多くの新しい命は生まれてくるのだと思う。憎しみを持つために生まれてくるのではなく、人を愛するために生まれてくるのだと信じている。

 

 人には想像力と理想を追い求める力がある。この2つの力で、現実に妥協し目先の利益だけを追い求めようとする自分に歯止めをかけることができる。そして人には何よりも愛の力が備わっている。自分を愛する力、人を愛するカである。何が起ころうと自分を見捨てず大切にし、そして周りの人を思いやる力を発揮できるはずだ。人はそうして命の鎖をつなげてきたのだから。私はこの力を信じたい。

 

 皆さんの人生が世界の人々の幸せづくりに貢献(こうけん)し、そのことによって価値ある生であることが実感できることを願ってやまない。そして、世界の子どもたちの笑顔が少しでも増えることを心から祈っている。私も微力(びりょく)を尽くす覚悟である。

 

以 上 

 

チューリップ 

 

1 冒頭の1段落…わたしは〈目からウロコ〉でした。「9条改憲」ということを、ややもすると…“わたしたちの暮らし”という(国内的な)視点からとらえがちですが、伊藤真さんは「世界の人々」、あるいは「平和を希求する世界の人たちへの影響」ということも考えて、安倍政権のもくろむ改憲に異議を唱えるわけです…。その視点、とても大事でした。

 

2 「多様な価値観の併存を認め、仮に価値の衝突があったとしても、暴力によって優劣を決めるのではなく、が国際社会の進むべき道であると信じる」――まさに、その通り。

  

3 わたしが気がつかなかったのは「その方向をまさに日本国憲法は先取(さきどり)していた」というところ。「その憲法が自らの独自性を放棄することは、日本一国の問題にとどまらず、いま再び国際法無視の暴力万能の国際社会に後戻りしようとしている世界がその重要な歯止めを失うことになる」と伊藤真さんは書いていますが、わたしはそれを読んで日本国憲法の前文を思い出しました。

 

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

(憲法・前文より)

 

 わたしたちは…これまでの70年以上にわたって守って来た〈平和〉の理念を次代に継承することで、「国際社会において、名誉ある地位」を得ることが出来るのだと思います。わたしたちが、憲法9条を守り抜くことで「全世界の人たちが、ひとしく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生きていくこと」が可能になるのです…よね…?

 

4 「生きるという意欲を権力に対して主張することこそが人権の本質である」、ここは…わたしは伊藤真さんにちょっと言いたい(笑)。

 

 「権力」って何? その部分…人は「国家権力」なんていう言い方をするかもしれないけど…、わたしたちは「権力」とか「国家」とか「国家権力」等という言い方に対して、十分な注意が必要です。「国家」なんてものは、わたしたちの“幻想”や思い込みだから、できるだけ実体(注:「実態」ではない)に即して「霞が関周辺でサークル活動をしているオジさんたち」に自分たちの思っていることを主張したり要求したりする…という言い方にしたほうがいいと思います。

 

 ただね…大学の法学部の教科書などで「霞が関周辺でサークル活動をしているオジさんたち」と書くと…どうしても間(ま)が抜けている感じがしますよね…。「国家権力!」と書いたほうが、ビシッと決まる感じがする(笑)。でも…「国家権力」の本質って「サークル活動」なんだから…(わたし的には)仕方ない。

 

5 「多くの人がより幸せを感じて生きることができる世界をつくるために、多くの新しい命は生まれてくるのだと思う」。ここと、その次のフレーズ、素敵ですね。わたし…伊藤真さんも、本当にヒューマニストという感じがします。法律って、形式的で無味乾燥…というイメージもありますが、伊藤真さんの語る憲法って、熱い血が流れているように感じられますし、人類の英知が詰まっている気がします。

 

6 そして…最後の「世界の子どもたちの笑顔が少しでも増えることを心から祈っている」のところ…、そうなんですよね。わたしたちが〈9条〉を護ることで、世界の子どもたちの笑顔を増やすことができるのです…。この視点、とっても大事だと思いました。

 

 今日聴いた…伊藤真さんの憲法にまつわる話は、また日を改めてこのブログで紹介して行きます。

 

 

 

  伊藤真さんが読み解く“共謀罪”の本質(2017年2月21日ブログ

  日本国憲法でいちばん大事な条文は…?(2017年5月20日ブログ