ぼくの住む山東省は、古く戦国の世は「魯」と呼ばれていた地域です。
今でもこの名は使われていて、自動車のナンバー・プレートの頭文字には「魯」が使われます。
この地は多くの思想家を生んだ場所でもあります。
孔子(儒家/紀元前551年‐紀元前479年)
孟子(儒家/紀元前372年?-紀元前289年)
諸葛亮(三国蜀の宰相/181年-234年8月23日)
王羲之(書道家/生没年不詳)
(資料:Wikipediaより)
思想家以外も含んでいますが、中でもぼくが興味を持ったのが孔子です。
現在の高校生が、学校で漢文を学ぶのかどうかは知りませんが、
ぼく自身が中国に興味を持つきっかけに、漢文の授業の楽しさがあったのは事実です。
もちろん論語だけが漢語ではないし、漢文で論語しか読まなかったわけではありません。
しかし、今は簡体字という日本以上の略式漢字を使う中国人は、原文のままの論語を読めないのです。
略式漢字に直した論語は、すでに文化大革命に汚された文学となり、原文とは言えないでしょう。
今原文で読めるのは、台湾人と香港人(?)、そして知識のある日本人だけとなってしまったのです。
さて先日読み終えた本が、『渋沢栄一「論語」の読み方』です。
「日本資本主義の父」とまで言われた渋沢氏が、論語について解説した本であり、
またご本人の体験も交えて、その生き方を説いている内容です。
目次
学而篇―人生いちばんの楽しみをどこに求めるか
為政篇―心に“北極星”を抱く人の生き方
八〓(いつ)篇―自分の資質にさらに磨きをかける
里仁篇―この心意気、この覚悟が人生の道を開く
公冶長篇―“一時の恥”にこだわって自分を小さくするな
雍也篇―成功のカギ「先憂後楽」の生き方
述而篇―これぞ沈勇、大勇の人
泰伯篇―孔子の恐ろしいまでの“現実主義”
子罕・先進篇―男子一生の“本懐”をどこに求めるか
顔淵・子路篇―ともに生きるに足る友、切り捨てる友
憲問篇―自分への“厳しさ”に自信がもてるか
衛霊公・李氏・陽貨・子張篇―孔子流の最高の“自己実現”法
(amazon.co.jpから引用)
このような内容の本は、さらっと読んで終えるものではなく、
何度も何度も繰り返して、噛みしめてみるものだと思っています。
儒教という宗教として捉えるよりも、いかに生きるかという指針が、
神ではなく、人の言葉によって語られ記されたもの、
それが「論語」なのでしょう。
論語に関して、ぼくはこれから他の本も読まなければならないでしょう。
原文と英文訳は、以下のサイトでも読むことができます。
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/e-lib/ron/head.htm
重要なのはどう解釈し、人生に活かすか。
2500年の時を超え、今を見失った日本民族の人生への指針が、
論語に示されているのではという、信念を確かめてみたい。
人間の生きる原理原則や哲学というものは、どんな高度技術社会でも、不変なのでしょう。
(参考:1元=約15.5円)
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