遠近法で描く中国 -2nd Season- -25ページ目

遠近法で描く中国 -2nd Season-

片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を。 

著者:湯山玲子
挿絵:しりあがり寿
出版:新潮社 / 2008年 / 新書
ジャンル:評論

まずはWikipediaより、著者湯山玲子氏の紹介です。
「東京都出身。学習院大学法学部卒。雑誌や単行本の編集、執筆に加え、広告のディレクション、プロデュースなど、出版分野で活躍。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッションなど、文化全般に通じる。自らが寿司を握るユニット「美人寿司」も主宰。有限会社ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。」

<目次>

はじめに

1章 女装する女
2章 スピリチュアルな女
3章 和風の女
4章 ノスタルジー・ニッポンに遊ぶ女
5章 ロハス、エコ女
6章 デイリーエクササイズな女
7章 大人の女になりたい女
8章 表現する女
9章 子供化する女
10章 バーター親子な女

おわりに

気になった個所の紹介です。
「要約すれば、女性である彼女たちが、彼女たちの通常着であり、ほぼユニセックスである会社スーツや、カジュアルウェアを脱ぎ捨て、女らしいフェミニンな服装、メイクそして立ち振る舞いまで身につけることの気分を、総じて”女装”といっているのだ。」(12頁)

「特に当の女性ははっきり自覚した方がいいと思うのだが、多くの女性は頭の中が”女性”ではない。一日の心の動きをすべて記録する装置があったとして、女性という根拠でモノを考えている時間がいったいどれほど存在するかといえば、ほとんどゼロに近いというのが現状だろう。」(13頁)

「女の仕事人たちが、女らしい服装をし、ネイルサロンでツメを光らせるのは、だから、抑圧された女性性の発露や取戻しなんかではない。男と別段変わらぬ内面が、あえて女性の記号をふんだんに身にまとい着飾ること。それこそが女が女装することの意味なのだ。」(16頁)
→原文そのままで引用しています、ご了承のほど。

「ネイルのよろこびとは、仕事において全く必要のない装飾が、真剣勝負の指先にキラキラ踊っているという”遊び”が精神的に心地よく、一種のガス抜きになっているからに他ならない。」(24頁)

「かくて、女の”女装”は、そのワザを同性同士が評価し、楽しむという方向に進んだ。方法が目的となり、先鋭化していき、ついには男不在の女子高感覚に突入している。」(32頁)

「女性はマッチョ的に男性化しているというわけではない。むしろ、両者の差が男性側から積極的に縮められていると見た方が正確であろう。」(38頁)

「アメリカ人は精神分析医に、日本人は占い師に悩みを相談するという。」(70頁)

「「自分のことだけが100パーセント話題になり、他人が自分のことだけを考えてくれる占い時間」というものは、考えてみれば贅沢で甘い蜜の味である。」(72頁)

ここまでで第2章が終わるのですが、インパクトのある文章は第1章のみ、後は惰性と凡例集の羅列といった印象です。凡例の中には、有名人や芸能人が登場していて、そういう部分はなるほどなぁと感じるところもあります。
また、新書という特性なのか、タイムリーな話題をいち早く取り上げていても、時間の経過とともに色褪せてしまう部分は仕方ないことと思います。

文章そのものは、体言止めを含めて口話に近い文体になっていて、読みやすく且つ読者へ伝わりやすいという長所がある一方、全体を通して、軽く感じてしまうという短所は否めません。個人的には、1冊丸々この文章とは付き合いづらかったです。興味のある方は、著作のメインである第1章のみを閲覧することをお勧めします。

女装する女 (新潮新書)/湯山 玲子

¥735
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副題:怒れ!! 日本の若者たちよ
著者:落合信彦
出版:集英社 / 1995年 / 文庫本
ジャンル 評論

落合信彦氏の印象はハードボイルド・タイプの作家・小説家でしたが、このように若者指南のような著作も多いようです。
この作品は、1991年に雑誌などに掲載された内容を編集したものです。

<目次>

序章 私にとっての祖国
第1章 わが宰相論
第2章 天皇制
第3章 醜い日本人
第4章 日の丸・君が代
第5章 千坪の知事室
第6章 名画漁り
第7章 経済成長至上主義
第8章 天才の出ない国
第9章 砂漠の論理
第10章 愛国心
第11章 去勢された国家
第12章 コメ自由化
第13章 新々宗教
第14章 サッチャー、シュワルナゼ
第15章 荒廃する教育
第16章 石原慎太郎氏への疑問
第17章 証券スキャンダル
第18章 CIA文書
第19章 大人になれない国家
第20章 ”核の時代”の終焉

共感した、または気になった個所の紹介です。
「つまり私がどう思おうが、一般のアメリカ人は、私を日本という国家に属する人間の一人だと考え、そして日本人とは、こういう物事の考え方をし、こういう行為をとるらしいと判断する、という事実を、彼は私に教えようとしてくれていたのだ。」(12頁)
→中国に私がいて感じたのは、今、この考え方をできない、しないという日本人も多いということ。

「祖国という言葉は、この国では死語となりつつある。だが、祖国があるということは、何にも代えがたいことなのだ。」(14頁)

「大事なのは、国が何をしてくれるかのではないのだ。国に対して、国民のひとりである自分が何をなし得るか、なのだ。」(17頁)

「ゴルバチョフほどケンカが上手く、国家の代表として行動力に富み、リーダーシップを発揮している人物は、他にイギリスのサッチャーぐらいしかいない。」(27頁)

「政治家というのは、その10年先、20年先を見るだけのキャパシティーを持たなければならない。それが、理念であり、ビジョンである。」(29頁)
「確固とした世界観と歴史観、そしてビジョン。リーダーのリーダーたり得る資格は、それだ。(中略) 国家の10年先、20年先を見据えて国際政治のなかで、日本がどうやって生き残り、主導権を握っていくか。それを具体的に政策としてあげられる政治家が必要だ。」(31頁)

「一流を理解するには教養がいる。教養を得るためには努力が必要だ。札ビラだけでどうにかなる問題ではない。札ビラだけで一流を手に入れようとする行為が、逆に、以前にも増してどんどんと自らの精神を貶めているということに、そろそろ気づいてもいいころだ。」(88頁)

「いまさらいうまでもないが、この日本という国はいつだってそうだ。常に外に背を向け、内側を軸にしてしか物事の展開を考えようとしない。世界に対する責任を忘れ、無意味な枝葉末節に逃げ込む。そこには、世界における日本をいかに存続させ、戦後45年を経て手にした豊かさをどうやって持続させるかという理念もビジョンもない。」(134頁)
→90年12月初出の文章です。

「そして、愛というのは、口はばった言い方をすれば、奉仕と犠牲の心だ。相手が女性であれ、国家であれ、愛は莫大な精神のエネルギーを必要とする。」(136頁)

「だが、ブランド品はもともと、何十年、何百年をかけて確立された個性の集まりだった。(中略) 従って、価格はリーズナブルでも、合理的でもなく、ただその商品のコンセプトを理解できる人間が、ある意味では、法外な価格を支払う、そういうものであったはずだ。」(149頁)

「そのシュワルナゼ氏は、私にこう言った。「政治家は血の通った人間であり続けなければならない。清い人間、物事が見通せる人間、そういう人間であって初めて政治家になれる。そして信念をどうしても曲げなければならない場合には、潔く辞めるのが政治家です。」」(194頁)

「戦後46年、日本は経済成長を遂げる中で、確実に何かを失ってしまった。「何か」とは「恥を知る心」であり、「倫理」であり、また「良心」や「正義」をあてはめてもいい。」(249頁)
→91年8月初出の文章です。

さて、序章にこのように書かれているので紹介します。
「日本にいる限り、やはりこの国を批判し続けることが、私にできる最大の貢献なのだ。それが私にとっての「祖国への愛」に他ならない。」(18頁)
正直、誰が望んでいるのでしょうか。この本は、その通り、全章批判ばかりで成立しています。
副題では、若者たちに怒れ!!と呼びかけていますが、著者の怒りを正当化したいためとも考えられます。
著作のタイトルですが、『そしてわが祖国』のそしてという接続詞は、何を受けているのかも、説明がありません。

また、落合氏を調べてみると、氏個人のサイトが見つかりました。
タイトルが、『勝ち組クラブ』。
繋ぐことばが見つかりません。

約20年前に書かれた本と縁あって読むことになったわけですが、こうして文章が、どんな形であれ、時を超えて残されていくことは、ある意味残酷だと思います。
落合氏は、小説家で充分だったのではないでしょうか。

そしてわが祖国 怒れ!!日本の若者たちよ (集英社文庫)/落合 信彦

¥570
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著者:片岡義男
出版:角川書店 / 昭和62(1987)年 / 文庫本
ジャンル:短編小説

書名のとおり、バラッドと称された短編が30篇、収録されています。
主人公はほとんどが、美しい女性で、愛と男性がたまに登場します。

<目次>

ベッドが三つある部屋
これはメロドラマ
ブルーの選び方
理想的な窓
窓にカーテン
昼寝
思い出の夏
彼女と彼1
彼女と彼2
電話をかけるだけ
コパトーン
彼と別れた彼女
ケチャップはあまりかけない
セーターを脱ぐ
飽きたら言って
海の香りと電話ブース
ふたりでいても淋しい
切り花
いつも小道具
交差点の横断歩道
桜前線
雪が降る
小さな花
林檎が燃える、あるいは飛ぶ
来てくれた彼女
日曜日の白い月
縛られてみないか
ベッドに戻れ
微笑の研究
雨の夜

1987年の出版ですから、そういう時代だと言えばそれまでですが、
電話ブース、ないし電話ボックスが舞台として何度か登場します。
公衆電話のある場所や電話ブースは、恋愛の舞台になりますが、
携帯電話は、ひとつの器械なわけですから、舞台にはなりえないのですね。

一節だけ引用しましょう。
「私は、ふられたわ」
「ふられるのは、台本どおりだ。おまえが主役で、こういう店が大道具で、男はいつも小道具だ」(いつも小道具 / 170頁)


バラッド30曲で1冊 (角川文庫)/片岡 義男

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