遠近法で描く中国 -2nd Season- -14ページ目

遠近法で描く中国 -2nd Season-

片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を。 

副題:知られざる掃海部隊
著者:桜林美佐
発行:並木書房 / 2008年9月 / 単行本
ジャンル:海上自衛隊、海上保安庁、掃海艇、ルポタージュ

自衛隊の保有する掃海艇の技術は世界トップレベルです。
そしてその悲しい歴史は、終戦というその日から幕開けしました。
戦争は終わった、そう日本中が安堵した瞬間、海の男たちの新たな戦いが始まったのです。

実際の日本史の中で、掃海という行動は近代的な機雷戦が展開された、日露戦争の頃から始まったとされています。
本書では現有の自衛隊の掃海部隊をテーマにしているため、帝国海軍の掃海活動については特に触れられていません。

<目次>

はじめに

1 対日飢餓作戦
2 充員招集
3 モルモット船
4 海上保安庁誕生の背景
5 悲しみと喜びと
6 朝鮮戦争への道
7 指揮官の長い夜
8 特別掃海隊出動!
9 朝鮮戦争の真実
10 忘れえぬ男
11 海上自衛隊誕生前夜
12 水中処分員の仕事とは?
13 漁業と掃海
14 遥かペルシャ湾へ!
15 最後の木造掃海艇

あとがきにかえて 掃海部隊の残したもの

気になった箇所のご紹介です。

「大都市の空襲が一段落した昭和二十年三月二十七日から米軍は、関門海峡・広島湾を皮切りに、終戦までの五ヶ月に一万千二百七十七個の機雷を敷設し、海上輸送を遮断した。「対日飢餓作戦」と呼ばれたこの作戦を、今、日本で知る人は少ない。」(2頁)

「「対日飢餓作戦」があと一年続けば、当時の国民の一割、七百万人が餓死すると言われていたのだ。」(4頁)

「原爆が落ちるより以前に、機雷によってすでに日本は敗れていたのである。この「海上封鎖」の恐ろしさを忘れさせるためにも、原爆の力は大きかった。そして戦争は終わる。」(18頁)

「(つまり、)機雷を探し、処分するという作業に何ら変わりはないのだが、昨日までは「戦争目的遂行のための掃海」であったものを、今日からは「祖国再建のための掃海」へと百八十度転換しなければならず、これは今まで以上に強い意志を必要とするのであった。「本格的な掃海隊員の仕事」をするための「覚悟」とは、もしそれで死んでも「戦死」という名誉は与えられないということを意味していた。」(22頁)

「(ところで、)この頃、米軍兵士もこの航路啓開の掃海作業にあたっていたことはあまり知られていない。」(27頁)

「海で何らかの事故が起きた場合、海上保安庁や消防、警察で間に合わない場合は、必ず海上自衛隊の掃海部隊に救援を求めるのが通例だという。機雷を掃海する人たちが、今でも数々の海難事故に対峙していることは、あまり知られていない。」(32頁)

「多くの日本人が、自己の幸福のみを追求し始めた時代、ひたすら機雷原の上を走り続けた試航船とその乗組員たち。(中略)ただ一途に、ただ明日の日本のために、危険覚悟の「海の大掃除」に乗り出したのだ。」(61頁)

「引き上げ輸送が行われるようになり、シベリア抑留者の中には革命教育を受け、日本赤化のため帰国させられた者も多く含まれていた。」(63頁)

「(これと同様に、)戦後、船舶の触雷事故は後を絶たなかった。しかし、それらの事実はほとんど大きく報じられることがなかったのだ。なぜか。理由は、米軍による対日機雷敷設行為が国際条約に違反していたからである。(中略)日本が機雷により八方ふさがりになり、掃海作業に奔走していたその頃、極東国際軍事裁判いわゆる「東京裁判」が行われ、日本の「国際法違反」が厳しく問われていたこともあり、GHQが必死で、この機雷による事故を秘匿したのは当然であろう。」(74頁)

「ソ連の狙いは何か。日本である。日本を狙うがために釜山を占領する。ここが共産主義の手に落ちれば、日本にとって、また米国にとっても最大の驚異となるのだ。ソ連は終戦間際、北海道の分割占領を狙っていたものの、これに失敗。ならば朝鮮半島から、ということなのだ。いずれにせよ、あらゆる手を尽くし、米国の太平洋戦略最大の要塞である日本へ近づくことを狙ったのは、確かなのだ。」
→特に触れられていませんが、帝国海軍が日清戦争に続き日露戦争に勝利したことは、大国ロシア(ソ連)にとって、今も近代史における「汚点」となっているのでしょう。

「「対日飢餓作戦」の事実を多くの人に知ってもらおうとしたのは、米国を非難するための試みではない。「戦争という歴史に学ぶこと」とは、いたずらに敵の行為を責めたり、あるいは自国の行いや当時の指導者を蔑んだりすることだけなのだろうか。」(101頁)

「掃海艇は十数人の乗組員しかいない小さな所帯であり、とりわけチームワークを必要とする職場である。部下の気持ち、体調、家族のこと、さまざまに思いを致すことは指揮官として欠かせないことなのだ。」(121頁)

「日本の掃海艇によって一度掃海された区域は、他の掃海艇によるやり直しの必要はなかった。国連軍の掃海は、とてもそうは言えなかったというから、いかに日本の掃海部隊が訓練され、また誠実に取り組んでいたかがわかる。」(146頁)

「(つまり、)どんなに頑張っても、そこに機雷がある限り触雷を避ける完全な方法はないのだ。」(171頁)

「(ゆえに、)仮に神社として「この人をお祀りしたい」と考えたとしても、国がそれと認定しない限り、勝手にはできないというのが靖国神社の立場なのである。」(195頁)
→逆説的になりますが、国民の代表である国会議員が参拝する意義はここにある、と考えています。

「今こそ、日本は、国のために命を落とした場合の、国としての処遇(それは遺族に対しての補償という問題だけではない、顕彰という意味での)を、はっきりとさせるべきであろう。」(199頁)

「昭和二十六年三月三十一日、対日講和条約草案が示された。それは、外務省などが予想したよりも遥かに日本に有利なものであった。(中略)日本の掃海部隊の活躍が、サンフランシスコ講和条約を想像以上に有利に運ばせたことは間違いないと言える。」(203頁)
→既出ですが、朝鮮戦争に於ける、日本の掃海部隊の活躍、ということを補足しておきます。

「EOD員が機雷を処理し、一刻も早くその場を離れるために猛スピードで泳いでいる訓練の姿を見た時は驚いた。数々の護衛艦や航空機などの、最新鋭の装備を誇る海上自衛隊において、最小にして最強の戦力は「人」であったのだと教えられた気がしたからだ。」(222頁)
→EOD:Explosive Ordnance Disposal / 爆発性武器処分(221頁)

「毎日続く訓練が、一体何のためなのか、誰のためなのか、どこで感謝してもらえるのかがはっきりしないのは、いくら頑強な彼らにとっても辛い。しかし、こうした国際貢献の活動に貢献することで、それまでひたむきにやってきたことの意味が明確になったのだ。」(228頁)
→国際貢献:湾岸戦争直後の、自衛隊掃海部隊のペルシャ湾派遣(1991年)を指しています。

「EOD員には頭の回転も求められる。しかし、三十メートルも潜ればまったく「馬鹿」になってしまうというほど、水中では思考能力が低下するのだ。そのため、陸上でとことんミーティングをすることが肝要となる。」(230頁)

「各国のEOD員はまず知識から入り、潜るのはあくまでも手段でしかないが、日本人は、機雷や爆発物などをなるべく発見しやすくするため、海をなるべく濁さないよう、きめ細かい神経を使い、水の中で作業をするという。精神を研ぎ澄まし、気高く、美しく、黒いウエットスーツに全身を包んだ屈強なその姿からはとても想像つかないが、洗練された彼らの心の中は、海のように青く透明なのだ。」(232頁)

「その四十人の人生、家族、恋人、忠誠心・・・、そんなこと全てを重ね合わせたら、彼らを失った時の損失はあまりにも大きい。何億円あっても足りないのだ。一人一人が紛れもなく、この国の誰かにとって最も大切な人であり、またこの国の宝なのだ。それを死んだ時に出る金がいくらか、などと画策していることそれ自体が虚しくもなる。」(258頁)

「繰り返しになるが、自衛官はその担う任務に命を縣けるのである。それなのに「憲法違反」と言われて死んでいく、その悲劇を、我々はあの朝鮮特別掃海隊派遣の際にすでに経験しているのである。あれから四十年以上が過ぎたこのペルシャ湾派遣でも、そしてペルシャ湾から二十年近く経った現在に至っても、何も変わっていないということは、政治の怠慢と言う以外ない。」(260頁)
→この書の発行は2008年です。

「(そして、)送り出す妻にとっては、夫のため子供のためにも簡単に弱音は吐けない。歯をくいしばるのは現場の隊員だけではない、妻たちも同じなのだ。」(264頁)

「中東から日本に向かうタンカーの通り道であるペルシャ湾の機雷を除去し、安全な環境をつくることが、日本のためでなくて何であろう。日本の生命の源を運ぶ彼らを、不安な海で航行させてはなるものか。彼ら掃海部隊の隊員たちは、はっきりとその目的を認識したのである。日本のシーレーンを守ることは、そのまま日本を守ることでもあるのだ、と。」(274頁)

「「EODが潜って機雷の種類を確認し、状況により爆破作業もする」(中略)情報を持たない「遅れてきた海軍」の「遅れている装備」では、結局、人が努力するしかなかったのだ。」(288頁)
→これもペルシャ湾での自衛隊掃海艇の実情でした。(※引用は原文そのままにしています)

「バーレーンは、日本の企業や金融機関が多く進出していたが、湾岸戦争が始まって以来、中東の地には、各国が軍隊を次々に派遣したにもかかわらず、日本からの派遣がなかったことから、何もしない国、日本への信用は急激に崩れ、日本企業には商談も持ち込まれなくなるという厳しい現実の中にいたのだ。肩身の狭い思いをしてきたバーレーン駐在の人々にとって、掃海部隊は救世主のようだった。」(295頁)

「思い出して欲しい。戦後、掃海部隊が必死に取り組んだ相手は、米軍によってばら撒かれた機雷と、そして「自国防護のため」の機雷であったということを。現在、「専守防衛」を謳うわが国にとって、敵の侵攻から国民を守る装備は不可欠だ。ところが、その当事者である国民の多くが、対人地雷もクラスター弾も、そんな物騒な物を日本は持つべきでないという風潮である。これは、つまり「人の命は地球より重い」と言っておきながら、有事には何の備えもせず、みすみす国民を見殺しにして良いと言っているようなもので、矛盾以外のなにものでもない。」(319頁)

著者の文章はたいへん男性的だと思うのですが、やはり男性に比べて「感情」が前面に出る箇所もあることは読み進めて感じました。
最後に引用した箇所も含め、完全に同意ということではありませんが、「敵から侵攻されないために必要な装備」というものはあると思いますし、必要だと思います。

新聞やメディアで目まぐるしく流れていくニュースの殆どは、振り返られることもまとめられることもありません。ジャーナリストという肩書きを持つ方の役割というのは、世に必要とされるこのようなレポートを、埋もれることなく世に出し続けてくれることなのだと思います。


海をひらく/並木書房
¥1,995
Amazon.co.jp
副題:ここが面白くなる分岐点
著者:藤本義一
出版:青春出版社 / 1998年 / 単行本
ジャンル:エッセイ

月刊誌に連載された記事を再構成したエッセイ集です。
私たちの世代にとって藤本氏は『11PM』の司会者のイメージなのですが、第71回直木賞受賞の作家でもあります。
本書は氏ならではの大阪弁を交えながら、主に20~40歳頃までの青年(男性)へ向けた、人生指南の内容となっています。

<目次>

1 人生のスケッチ
2 焦らず、引かず、休まず
3 こころ愉しく迷う
4 自分のねかせ方
5 孤独の豊かさ
6 ツキにはのってみる
7 夢はこう紡ぐ
8 先を見る眼
9 はみ出しの美学
10 自分のヘソに触れる
11 人生という器
12 信頼のかたち
13 嘘つきのすすめ
14 不安という幸福
15 隙間を埋める工夫
16 女とは何か
17 人生を全うする心得

気になった箇所のご紹介です。

「かなり乱暴だけれども、人間をふたつのタイプに分けるとしたら、職人タイプと芸術家タイプがありますな。」(13頁)

「何が言いたいかというたら、会社のなかで人生を変える出会いはあるかという問題。(中略) すぐれた上司もおるやろな。ユニークな同僚もおると思いますわ。しかし、その個性的な人間も、いつしかみんな小さな職人になっていくのと違うかな。」(14頁)

「人間も同じですよ。大きなセレモニーとかイベントでいろんな人と出会うのは、写真と同じじゃないですか。フィルムで10本、20本の人と会ってるけど、心にしみるような出会いがない。名刺の数だけは増えていくけど、時間のムダですな。」(16頁)

「なぜでしょう。人生をきちんと話すような場面がなくなってしまったのかもしれないな。生きるとは何か。人生とは、生命とはと、大マジメに話すと浮いてしまうと思っているのと違うか。職場でも学校でも。徹夜で人生哲学をしゃべって、夜明けを待って分かれていくという友人がいないわな。」(22頁)

「管理されることに慣れてしまったら危ない。最近、繰り返し言うてるけども、携帯電話ちゅうヤツな、あれは持ったらあかんぞ。『俺は管理されているぞ!』と世間に叫んでいるようなもんやで、アレ。」(27頁)

「行き詰まったとき、どうしたら出口がみつかるのか。結論から言えば、人間は一人じゃ生きていけないということですな。」(32頁)

「人間が原則として選択できないものが三つあるんですね。自分の生まれた土地と生まれた日、そして親やな。これは選びようがない。」(38頁)

「自信と過信は全然違うのな。過信というのは、自分がこうだろうと思っていたのに、うまくいかない。それですぐに自己の喪失につながっていくようなものです。自信喪失ではなく自己喪失な。」(42頁)

「若い頃の自信喪失は立ち直りが遅いんですよ。ずっと引きずる。しかし、引きずったほうがエネルギーになるんですよね、マグマみたいに。」(42頁)

「自信喪失は酒と同じですな。じっと寝かせておくことで、個性的でいい味が出てくる。宮沢賢治、ゴッホはその典型ですわ。物語を手帳に書き留めて、公表しないうちに死んでいった宮沢賢治、生前はたった一枚しか売れなかったにもかかわらず、絵を描き続けたゴッホ。いずれも持続力、継続力やないですか。」(44頁)

「謙虚さ、素朴さ、これが自信喪失とつき合い、エネルギーを育てて、本物の自信を得るための栄養素やないですか。」(49頁)

「孤独というのは、本来、精神的に余裕があって、ものごとを集中的に考えたり、創造できる時間であって、すべての文化の源泉だと思うんやけどね・・・・・。」(53頁)

「自ら孤独を選択し、絶望を味わい、そして生を選択してきた人間は、強いぞ。魅力的やしな。だから本当の孤独を知った人間は、精神的に豊かで優しいですな。」(59頁)

「孤独を怖がることはないぞ。繰り返すようやけども、人間、生まれたときから孤独やねん。その自分を個性豊かな人間にするには、孤独と向き合う勇気があるかどうか。その一点に尽きるんやないですか。」(63頁)

「道化の本質は何かと言うたら、知性ですよ。知識でなく知性がなければ人を楽しませることができないからな。それと、人に笑われることに耐えうる精神力、度胸やろな。」(69頁)
→今のテレビがつまらない原因を、一言でズバリ。

「(だから)ツキというのは、ある程度は読めると僕は思うな。種をまいて観察し、反省しつつ分析して、よりよい方法を考え、実行する。これでツキは読めるのと違う。」
→おそらくこの文末は、「ツキは読めるのと違う(の?)」ではないかと想像します。

「運とツキはどうも違うようですね。運とは「運ぶ」と書く。だから、自分で能動的に手さぐりしながらつかんでいくのが、運のような気がする。一方、ツキは向こうからやってくる感じですね。」(77頁)

「外国の地でツキを呼び込めるのは、だいたい驕りや高ぶりを捨てられる人間ですね。中国人にしたって、華僑はすべてを捨てる覚悟で外国へ行き、一から始める。」(82頁)

「つまり、メンテナンスです。若いうちは難解な問題から挑戦して、少しずつメンテナンスしながら成長していく。これがツキを落とさない生き方じゃないかと。」(88頁)

「(したがって、)一般的な形で洞察力について言うなら、まずは”観・考・推・洞”という形で考えたらいいんですね。つまり、観察、考察、推察、洞察の順。これを繰り返していくうちに、洞察力が身についていくのが、凡人というか、人間の成長過程やと思いますな。」(91頁)

「会社に依存している人間には、洞察力がないんです。」(93頁)

「つまり、洞察力と言うと、人を見抜いたり世の中を見通すような力と思うかもしれんけども、もっと大事なのは自分自身を見抜くことやな。」(98頁)

「自分のプライドを傷つけられたとき、心に傷は残るわけでしょう。だけど学歴とか、資格、職業なんてものにプライドを持っても、そんなのは浅い。そこを傷つけられところで、どうってことはない。」(110頁)

「同じように漂泊の俳人は、トラウマの権化みたいな人やないですか。松尾芭蕉、山頭火、西行、いずれもトラウマを活用してエネルギーにした。音楽家も同じですな。シューマンの哀しさ、バッハの怒り、モーツァルトの道化、みんな自分のトラウマをため込まないで闘ったうえで、飼いならし、表現能力を磨きながら外に出してきた。」(120頁)

「自己主義に方程式はないけれども、自分の信じるものがあるかないか、そこが重要なところですね。自分は絶対正しいと思うこと。その根っこの部分があやふやだったら、すぐにつぶされてしまう。」(125頁)

「物事を善悪だけでとらえる人の自己主張には深みがないですね。なぜかというと、人間は善悪だけではとらえられない生き物なんです。矛盾の束みたいなものであって、それこそ竹を割ったような人間はひとりもいないと思うていいですな。」(133頁)

「人の言葉を信じるか信じないかというのは、あくまでも個人の意識が問われているんです。自分が信じるか、信じないかの問題であって、相手が嘘を言う、本当のことを言うという話と違いますな。」(140頁)

「言葉を尽くして「お前を信じてる」とか「お互いに信じ合ってやろうよ」と言う必要はないですね。むしろ、そう言っている人間の言葉は嘘だと思いますな。」(143頁)

「虚構ですな。と言うてる小説家自身、いかに虚構を作りあげるかに頭を悩ませてるんやけれども、我々の場合、最初から”ウソツキ”やからな。」(156頁)

「壁の向こうの将来の自分の姿を意識できる人は、壁という限界を乗り越えようとする。でも、壁の向こうが見えない人は、壁の前で楽なことをして遊んどるのや。それが目先の金で動く人間の姿と違いますか?」(168頁)

「古典と言われる文学でも、生の喜びだけではなく、死を見つめる姿勢で描かれたものが多いでしょう。ダンテの『組曲』、ミルトンの『失楽園』はその典型ですな。日本でも文学の分類からちょっとはずれるけども、親鸞の『歎異抄』がある。死は、人類の永遠のテーマなんですね。」(201頁)

たいへん、長くなりました。
関西弁(大阪弁)に抵抗がある方もいるかもしれませんが、基本的に平易な口語体で書かれています。
そして、内容は誰にでも一度は経験して、あるいは知っているようなことばかりなのです。
知っているはずの事柄が、それが藤本氏の言葉によって、崩れたジグソーパズルを埋め込むように再構築され、自分の心に戻ってきます。
誰にでもわかる言葉を使って簡潔に、物事を対象に届けるという行為は、話し手に相当高度な知的レベルが求められます。
藤本氏の語りは正に、これだと言えます。
紹介した言葉が端的すぎて、わかりにくい部分もあったかもしれません。興味を持たれた方は、実際に本を手に取ってみてください。

最後に本書で、藤本氏は自身の「死ぬ日」を決めたと語ります。その日付は「2023年1月26日」。そしてこうも述べています。「その前に死んでしもうたら負けや。それ以上生きたら勝ちになる。そのていどでいいやんか。」(205頁)と。
ご存知の方も多いと思いますが、2012年10月30日、藤本氏は永眠されました。

楽しい本を、本当にありがとうございました。


人生を愉しむ心得―ここが面白くなる分岐点/藤本 義一
¥1,365
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副題:獣の女医のどたばたアフリカン・ライフ!
著者:滝田明日香
発行:幻冬舎 / 2006年12月 / 単行本
ジャンル:アフリカ

母なる大きな自然の中で、獣医になることを夢見てアフリカに渡り、ケニアで「獣の女医」として人生を送っている、滝田氏のエッセイ集です。実際はWEBサイトで掲載されているブログ等を加筆・編集した内容となっています。
前半部分は、彼女と動物との関わり方や、実際サバンナの現場でどんなことが起きているのかの、ほんの一部を語ってくれています。
後半部分では、「日記」そのものが掲載されていて、笑いあり涙ありの、文字通り「どたばたライフ」が展開していきます。

<目次>

プロローグ

アフリカ大学生活
ワンちゃんとの生活
はちゃめちゃアフリカ生活
獣の女医のアフリカ日記

エピローグ


気になった箇所のご紹介です。

「獣医学を学べば、病気の動物の状態については教えてくれるけど、正常状態の動物については教えてくれない。元気な動物が毎日どのような一日を過ごすのか、どうやって嬉しい気持ちを伝えるのか、そして、病気になった時にどのようになるのか、うちの動物たちが教えてくれた。」(35頁)

「野生動物は人間に飼われると、彼ら本来の威厳や美しさをなくしてしまうのだ。アフリカの大地で生き生きとした野生動物の姿を見てきた私は、飼育下におかれた動物の目は野性味がなく、見ていて心が痛む。(中略) 私にとっての野生動物の真の美しさ、それは荒々しく、威厳たっぷりに弱肉強食の世界を強く生きる姿だと思っている。雄々しさとでもいうのであろうか、人間なんかに屈しないぞという姿勢にすごく惹かれてしまうのである。」(36頁)

「人間に飼われる動物の幸せとはいったい何なのだろうか?」(39頁)

「狂犬病は犬や人間も含む哺乳類に感染する病気で、発病したら致死率100%!(中略) 感染経路は狂犬病にかかった犬に噛まれるか、その他はあまり主流ではないが、狂犬病ウイルス濃度の濃い空気を吸ったりしても感染する。」(47頁)

「獣医学をやっていると、やたら日常生活の中に普通にウンコの話が出るようになってくる。ウンコは健康のバロメーター。言葉で病状が説明できない動物の調子が悪い時、ウンコやオシッコを観て健康状態がチェックできる。」(61頁)

「私は強くならなきゃ生きていけない環境にいた。強くならなきゃつぶされてしまう。自分のアイデンティティや存在さえも、強くアピールしなければ存在しないも同然の社会に連れて来られてしまったのだから。「自分の意見を持て。じゃないと白人社会につぶされるぞ」アメリカでの12年間に、嫌っていうほど父から聞かされた言葉。」(73頁)

「アメリカの生活ですっかり卑屈になってしまった私の心の中に、アフリカの大地や動物たちは突然飛び込んできた。その壮大な生命エネルギーで、意地を張ることや人を攻撃することばかりの生活の中でねじくれてしまった心の中に、忘れていた何かを思い出させてくれた。」(74頁)

「野生動物が生息し、公園や保護区に指定されてきた土地の多くは、もともと遊牧民の土地である。野生動物を保護するために、地域住民がその土地から追いやられ、そのおかげで今の野生動物はアフリカの大地に生き延びてきたといっても過言ではない。」(77頁)

「今まで、欧米方式の保護対策では野生動物のみを保護し、その周りに住む地域住民の存在を無視し続けてきた。近年になり、その方針が間違っているのではないかという考えがでてきて、地域密着型の保護対策の重要さが重視され始めている。」(78頁)

「国境なき医師団とかに参加した先進国の医者がまずぶつかるのが、その問題。機械ばかりに頼っているから、難民キャンプなどの過酷な環境での治療に戸惑うと聞く。何もない場所の人が便利な場所に行くのはすぐ対応できるんだけど、便利な物に溢れ返っている場所の人が何もない場所に行くと、何もできなくなる。」(128頁)

「発展途上国の汚染、それは先進国の汚染のレベルではない。そして、アフリカはまさに環境汚染の無法地帯。(中略) 「アフリカ=大自然」ってなイメージがあるけれど、それは田舎のことであって、アフリカ諸国の首都では汚染がすごい。それは「汚染に関する規則がほとんどない」「規則があっても規則を守る人が少ない」「国としてそのような問題を重視していない」のような理由から起こる。」(149頁)

「一般に狂犬病と聞いて人が連想するのは、「凶暴な犬」。でも、狂犬病は凶暴性狂犬病と麻痺性狂犬病(ボェーっとするやつ)がある。そしてどちらにも共通するのが、ヨダレがダラダラ垂れるという症状。」(156頁)

引用部分にも多少ありましたが、食事中に読むのはお勧めしない本です(微笑)。
あと、電車内なども避けることをお勧めします。
笑えるところはとことん、楽しめますから。

異国で暮らす、働くということは私にも経験がありますので、慣れてくれば多少のことが起きても驚かなくなることもあるのですが、滝田氏の環境は、我々からみると、想像以上です。
それでも、彼女が愛する自然と、動物たちを守りたいという真剣な想いには、尊敬するばかりです。

お時間のある方には、以下のフェイスブックも見ていただければと思います。
何を感じ、どうアクションされるかは、皆さまにお任せします。
「アフリカゾウの涙」 http://www.facebook.com/tearsofelephants


サバンナの宝箱―獣の女医のどたばたアフリカン・ライフ! (幻冬舎文庫)/滝田 明日香
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