編者:暮しの設計編集部
出版:中央公論社 / 1995年2月 / 文庫本
ジャンル:趣味、教養、紅茶
お茶の起源から紅茶の歴史、飲み方の変遷やブランドの紹介などなど、
おそらくこの本1冊で紅茶の基本はすべて抑えられると思います。
紅茶好きな方はもちろん、いつもは珈琲という方にも面白く読める本です。
<目次>
イギリスの「お茶を飲む」ということ 林望
紅茶を誰よりも愛した男、春山行夫さんに紅茶の蘊蓄を聞く (聞き手)黒岩喜雄
イギリス紅茶の歴史を繙けば一杯の紅茶も、さらに深く濃い味わいを醸し出す 出口保夫
ポーランドのお茶 ハニャ・レホーヴィッチ
スリランカのお茶
アンナ・パブロヴァさんのロシアンティ
紅茶の歴史を築いてきたブランド
なぜオーウェルが『紅茶を受け皿で』飲んだのかを考察するうちに、私の推理は果てしなく、霧の中に入っていく 小野二郎
徹底してこだわりたい人のための紅茶に関する専門的アプローチ
●紅茶のある風景 文学のさまざまな場面に立ち会うお茶
それは生活と文化を物語る
おいしい紅茶のいれ方と、バリエーションティのルール 岩本道代
ストレートティのゴールデンルール
ストレートホットティのいれ方
ホットティのバリエーションメニュー
アイスティのバリエーションメニュー
パリからコーヒー器具として輸入されたメリオールが、いつの間にか、日本では紅茶の器具として大人気となってしまった
紅茶の魅力を余すことなく引き出すために、ぜひ知っておきたいコツと技 下河邊章
イギリスのティタイムには欠かせない、伝統的なホームメイドスウィーツ ジェーン・ベスト・クック
気になった箇所のご紹介です。
「(つまり、)イギリスの食習慣は、大きくDRINKSとMEALSに分けられる、ということである。で、MEALSすなわち「食事」となると、これはイギリスの家庭では親しい人としか一緒にはしない。いっぽうDRINKSというのは(中略)それは簡単にワインやせいぜいビールなんぞを飲みながら、一、二時間ほど、雑談をする会合のことで、一切食事めいたものは出ない。」(10頁)
「(前略)われわれの習慣では、「お茶」→「ちょっと一杯(酒)」→「食事」という順で親密の度合いが進んでいくのに対し、イギリスでは、「酒」→「お茶」→「食事」の順ということになる。」(11頁)
「日本の喫茶店などでミルクティがまずいことの一つの理由は、牛乳を温めてしまうことに原因の一つがある。(中略)日本の喫茶店の紅茶が飲むのに堪えないまずさであることのもう一つの原因は、お茶が小さなカップに六分目ぐらいしか入れてないことにもある。紅茶は緑茶とは違うのだから、大ぶりのカップになみなみと注ぐ、というのが是非必要なことだという点も、強調しておきたい。」(16頁)
→よほど腹に据えかねているご様子(微笑)。
「このブレンドを行ない得るのは、ティエキスパートと呼ばれる専門の技術者のみである。茶のブレンドは、ウイスキー、タバコ、香水などのブレンドと同じく、長年の伝習を経てはじめて可能となる彼らの秘技であり、一種のアートでもある。」(26頁)
「空気となじませると、茶はすべて喉越しがまるくなる。抹茶にそのまま湯を加えて飲んだのでは苦い。茶筅を使って上手にたてた茶はまるく甘い。(中略)紅茶も高いところからついで、空気にタップリ触れさせると喉越しが爽やかである。」(60頁)
「紅茶の香気成分は180種類以上といわれているが、主成分はリナロールあるいはゲラニオールなどのモノテルペンアルコール系と総称される精油で・・・(後略)。」(63頁)
「英国に紅茶を広めるきっかけとなったキャサリン王妃は、輿入れの際、持参金として居留地ボンベイと砂糖をもってきた。当時、砂糖は茶と並んで貴重品であり、銀に匹敵する価値があった。」(64頁)
→キャサリン・オブ・ブラガンザ(Catherine of Braganza/1638年11月25日-1705年11月30日)は、イングランド王チャールズ2世の王妃。(Wikipediaより) ポルトガル王国から英国へ嫁いだ。
「紅茶を濃い目に120mlほどいれて、これにミルク20mlほどを加えるのが、味、色、両面から好ましい。ミルクは乳脂肪4.0~4.2パーセントぐらいが理想的。」(66頁)
「イギリスの家庭に紅茶が出廻ったのはジョージ1世(1714-1727)の治世からで、コーヒー・ハウスでコーヒーといっしょに飲ませていたが、コーヒー・ハウスは女子禁制なので、茶は家庭に普及したことで女性の日常の飲み物になった。(紅茶(17)味覚春秋)」(81頁)
「ロシアンティはジャムに小量の蜂蜜とブランデーのようなリキュールを加えて、渋みをおさえた紅茶に入れるというのが正式なのだとか。」(95頁)
「十七世紀のイギリス人で、日常生活の中で紅茶をたしなむのは、貴族とか上流階級の人びとにかぎられていた。」(98頁)
「(しかしこれらの)コーヒー・ハウスは、すべて女人禁制の店が多かった。コーヒー・ハウスのなかには、いかがわしい商売、つまり売春宿を兼ねるような店もあったので、男だけが出入りするようになったのか、あるいはそれは結果論で、男ばかりの店だから、あやしげな女性が客引きをはじめるようになったのか、そのいずれかはわからない。」(102頁)
「ロンドンのコーヒー・ハウスのなかで、はじめて女性客を入れたのは、「ゴールデン・ライオン」であった。これは今日のトワイニング紅茶のはじまりで、大勢の女性客で賑わった」(103頁)
「(ところで)紅茶に対する税金は、当時植民地であったアメリカの人びとの紅茶にまで課せられる法令が出された。これが一七七三年の歴史上有名なボストン・ティ・パーティ事件である。(中略)この事件が発端となって、植民地のアメリカはイギリスから独立を求める戦争へと発展する。今日のアメリカの自由と独立は、イギリスの紅茶税への反発に根源がある。」(107頁)
「(こうした)政府の輸出振興基調をうけてであろう、明治三十一年に三井合名会社が台湾の山林を開拓して製茶事業の経営に着手した。日東紅茶の歴史のはじまりである。」(125頁)
紅茶をカップではなく、受け皿に移して啜って飲む、という風習については、かなりのページを割いて、その事実を検証しています。この章を担当した小野氏にとっては衝撃的だったのでしょう。
中国や日本における茶の歴史に比べれば、紅茶の歴史はそれほど長くないと思います。しかし、もちろん紅茶や砂糖だけではないのですが、それらの存在が、オランダやイギリスの重商主義政策を後押しし、東インド会社をつくらしめ、アメリカ独立戦争を誘発するなど、人類の歴史に大きな跡を残しています。
今は日本中のどこでも、ボトル詰めされた珈琲や紅茶が変える時代ですが、あえて時代に逆らって、ほんの一息、「英国式午後の紅茶」を楽しんでみてはいかがでしょうか。
副題:音楽が脳を育てる
著者:茂木健一郎
発行:世界文化社/ 2009年7月 / 単行本
ジャンル:クラシック、カラヤン、脳科学
脳科学者・茂木健一郎氏が、カラヤン没20年を機に、氏がカラヤンに惹かれ続ける「理由」を探る旅に出ます。
音楽とは、指揮者とは、そしてカラヤンとは。
脳科学の見解で明らかにされる謎と、音の旅です。
<目次>
口絵
序 カラヤンという啓示
第一章 カラヤンの響き
第二章 カラヤンの美意識
第三章 カラヤンのレガート
第四章 カラヤンのミューズ
第五章 カラヤンの遺産
対談 大賀典雄 vs. 茂木健一郎
最期の日のカラヤン
終わりに そしてレガートは続く。
気になった箇所のご紹介です。
「死んでしまった人間は、もはや語りかけたり、体を動かしたりはしない。しかしだからこそ、その人の人生を「純化」するという作業が、私たちに開かれる。」(19頁)
「指揮をするということは、それ自体が高度の芸術である。指揮の本質とは何か。その核心は、解くことのできない「エニグマ」(謎)に包まれている。」(21頁)
「(しかし、実際には、)指揮とは自立した演奏家にインスピレーションを与えることである。指揮者なしで、自分たちでも演奏を続けることができるくらいの卓越した技量を持つ人たちを鼓舞することである。」(22頁)
「脳は、理由がわからずに惹き付けられる時に最も夢中になる。恋愛も音楽も同じこと。」(24頁)
「すべての人間は内なる楽器を持っている。脳である。」(32頁)
「リズムと発送。ハーモニーと感性。要するに、音を持たないリズムがあり、和音を持たないハーモニーがあるということだ。「音」には、塊として凝縮された時間と、奥行きとしての無限の空間が同時に存在し、その両方を捉えられるのが人間の聴覚だ、ともいえるだろう。音のない響き、影のない物。人はそれらも「聴く」ことができる。」
「「いい音楽だ」と感じられたなら、それは脳が快感を味わっている瞬間である。特に、自分の好きな音楽を聴くと脳は喜び、それが繰り返されることによって報酬系と呼ばれる回路が強化され、脳の自発性が動き出す。(中略)だからこそ私たちは、音楽を聴くことによって脳という内なるシンフォニーを能動的に活かすことができるのであり、好きな曲、自分にとって大切な一曲というのは、脳への贈り物であり人生の宝物に等しい。」(39頁)
「創造性は、決して、孤立した個人に宿るものではない。人と人とが出会い、理解し合い、気持ちを見せ合い、言葉を重ねるうちに新たなものが生み出されていく。「創造性」=「独創性」と捉えてしまうと、私たちは数多くのものを見落としてしまう。むしろ、「創造性」=「共創性」だと私は確信している。」(42頁)
「私は「頭のいい人」とは、美しく機知に富んだ音楽を頭の中で奏でられる人だと思っているが。カラヤンのような人物は、作曲家の頭の中に響いている音楽を的確に捉えることができ、それを演奏する方法がわかり、他社に伝える術さえ持っている。いわば感性と理性の融合体のような人物だったのだろう。」(45頁)
「(つまり、)オーケストラにとっては「耳」であり、観客にとっては「目」を支配する存在。偉大な耳や目となりながら、第三の存在を伝道する立場 - それが、指揮者というものか。」(47頁)
「山は地球の彫刻だ。」(56頁)
「「今、ここ」に生きている人間とは、次に何を仕出すかわからない不確実な生き物だ。だからこそ、人は人から学び、生を得る。音楽においても、脳が最も「真剣に」なるのはライヴ演奏を聴くときだというのは、こうした理由からだ。」(63頁)
「「これが私の聴きたい音なのだ」「これこそ音楽のあるべき姿なのだ」という純然たる意志を感じさせる点において、カラヤンが遺した録音は生身の人間に近い。(中略)意志を持った芸術には、「人間性」いわば「偶有性」が、奇蹟のように降臨する。」(64頁)
「(むしろ、)毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人物だったからこそ、カリスマになり得たのではないだろうか。人間臭い面と、「美」への奉仕という現実から逸脱する面の双方があったからこそ、私たちは共感を抱けるのではないだろうか。」(72頁)
「私は訊ねた。この二つのオーケストラの違いは何だと思われますか。「ウィーン・フィルは『心の響き(a song with heart)』で、ベルリン・フィルは『頭脳の響き(a sound with brain)』です。」愉快そうに笑うゼルトル氏。」(74頁)
→オットー・ゼルトル氏へのインタビューで。
「人間の能に本来備わる「美」への欲求。何を美しいと感じるかは、人それぞれ違うだろう。皆違って、それでいい。ただ、カラヤンの存在が稀有なのは、その美意識を具象化させる確かな術を持っていたということである。」(78頁)
「レガートだと響きが変わってきます(中略) 実はそこには、「音をつないでなめらかに」というだけではなく、音楽の流れ自体に「決して不自然な断絶があってはならない」というカラヤン自身の堅固な意思や、音楽において奏者たちの有機的な生命運動を止めてはならないという哲学が、多分に込められていたのではないだろうか。」(87頁)
「作曲家の脳。演奏家の脳。そして指揮者の脳。これら別々の脳内から生まれた意識の融合が演奏だとするならば、音楽におけるレガートには、ニューロンとニューロンをつなぐシナプスのような役割があるともいえるだろう。」(93頁)
→ニューロン(neuron):神経細胞 / シナプス(synapse):神経細胞間あるいは筋繊維(筋線維)、ないし神経細胞と他種細胞間に形成される、シグナル伝達などの神経活動に関わる接合部位とその構造 【共にWikipediaより】
「本来、「利己的」といわれる脳の働きが、例外的に「利他的」になるもの、それが「愛」だと科学者たちは考えている。いわば、愛とは「他」への働きかけであり、衝動であり、その源は「知りたい」「わかりたい」と思わせる空白、すなわち「脳の中の不在」である。(中略)つまり、愛とは脳の中の「無」から「有」を創り出す営みであり、自分で働きかけを続ける限り、無限の能動性を持つ精神運動である。愛が命の根本だといわれる所以である。」(104頁)
「心に触れるもの、それがミューズである。ミューズ(Muse)とは、ギリシャ神話の文芸の女神である。(中略)周知のように、ミューズから生まれたのが「music(ミュージック)」という英語である。」(111頁)
「「音楽」という日本語からは、どうしても音やリズムや音程といった具象が連想されるが、本来「music」の語に音の意味はない。つまり、音として聞こえるものだけでなく、私たちの知覚の背後に存在するインスピレーションの源も、「music=音楽」といえるのだ。たとえ、それは耳に聞こえていなくても、私たちはどこかで感じているに違いない。」(111頁)
「指揮者とは、演奏家にとっては偉大な耳。作曲家にとっては、伝道者。聴取者にとっては、ミューズを呼び寄せる司祭的な媒介者。」(120頁)
「今を生きる私たちとしては、自分の置かれた状況のさまざまを引き受け、そのうえで自分の歌を歌うしかない。彼の精神性から普遍的なものを受け継いでいくしかないのである。カラヤンの精神。それは「美への賛美」を超えていた。むしろそれは、意欲であり、献身であった。」(126頁)
「人間の脳細胞の本質は、いわば、植物に近い。手足の動きなどは動物に相違ないが、脳内ニューロンの網目が育っていく様は、植物のごとき伸び方を観せるのだ。根を張り、ゆっくりと葉を伸ばしていく木のように、年輪に年輪を重ねて成長するもの、それが人間の脳細胞なのである。」(129頁)
「私たちの命のあり方自体が、レガートである。私たちの身体をつくっているさまざまな有機分子。もともとはお互いに関係のない素粒子が、結び合い、関係しあって私たちの細胞をつくる。細胞がお互いにくっつきあって私たちができあがる。分子の間のハーモニーがなかったら、私たちは一瞬たりとも存在しない。(中略)この人生において、もっとレガートを大切にしたい。まるで、音楽そのものを生きるように。経験の間をつなぐ目に見えない架け橋を思う。偶然出会った人を、世界に無数にいる人の中の一人だと片付けないこと。遭遇したことを自らの人生の運命だと思い、受け入れる。」(161頁)
クラシックというと堅苦しい、古い音楽だと思う人もいるかもしれません。
ただ、私たちの日常の中に、相当量のクラシック音楽はすでに溶け込んでいます。
顕著なものはテレビ・コマーシャルです。
無粋なので一々列挙はしませんけど。
音楽というものも常に変化を続け、その時代、その地域の人々に受け入れられるものが、これからもどんどんと生まれてくるのでしょう。
しかし、時間と空間を超えて、ずっと愛し続けられる音楽というものもきっとあるはずです。
それが一般に「クラシック」と呼ばれるジャンルであり、その中でもカラヤンという偉大な指揮者は、それまであまり馴染みのなかった日本人へクラシックの楽しさと素晴らしさを紹介してくれた人だと、私は感じています。
最後に、この本には茂木氏が選んだ、カラヤン指揮の「脳を育てる11曲」が収録されたCDがついています。子供の教育にもよさそうですね。
著者:茂木健一郎
発行:世界文化社/ 2009年7月 / 単行本
ジャンル:クラシック、カラヤン、脳科学
脳科学者・茂木健一郎氏が、カラヤン没20年を機に、氏がカラヤンに惹かれ続ける「理由」を探る旅に出ます。
音楽とは、指揮者とは、そしてカラヤンとは。
脳科学の見解で明らかにされる謎と、音の旅です。
<目次>
口絵
序 カラヤンという啓示
第一章 カラヤンの響き
第二章 カラヤンの美意識
第三章 カラヤンのレガート
第四章 カラヤンのミューズ
第五章 カラヤンの遺産
対談 大賀典雄 vs. 茂木健一郎
最期の日のカラヤン
終わりに そしてレガートは続く。
気になった箇所のご紹介です。
「死んでしまった人間は、もはや語りかけたり、体を動かしたりはしない。しかしだからこそ、その人の人生を「純化」するという作業が、私たちに開かれる。」(19頁)
「指揮をするということは、それ自体が高度の芸術である。指揮の本質とは何か。その核心は、解くことのできない「エニグマ」(謎)に包まれている。」(21頁)
「(しかし、実際には、)指揮とは自立した演奏家にインスピレーションを与えることである。指揮者なしで、自分たちでも演奏を続けることができるくらいの卓越した技量を持つ人たちを鼓舞することである。」(22頁)
「脳は、理由がわからずに惹き付けられる時に最も夢中になる。恋愛も音楽も同じこと。」(24頁)
「すべての人間は内なる楽器を持っている。脳である。」(32頁)
「リズムと発送。ハーモニーと感性。要するに、音を持たないリズムがあり、和音を持たないハーモニーがあるということだ。「音」には、塊として凝縮された時間と、奥行きとしての無限の空間が同時に存在し、その両方を捉えられるのが人間の聴覚だ、ともいえるだろう。音のない響き、影のない物。人はそれらも「聴く」ことができる。」
「「いい音楽だ」と感じられたなら、それは脳が快感を味わっている瞬間である。特に、自分の好きな音楽を聴くと脳は喜び、それが繰り返されることによって報酬系と呼ばれる回路が強化され、脳の自発性が動き出す。(中略)だからこそ私たちは、音楽を聴くことによって脳という内なるシンフォニーを能動的に活かすことができるのであり、好きな曲、自分にとって大切な一曲というのは、脳への贈り物であり人生の宝物に等しい。」(39頁)
「創造性は、決して、孤立した個人に宿るものではない。人と人とが出会い、理解し合い、気持ちを見せ合い、言葉を重ねるうちに新たなものが生み出されていく。「創造性」=「独創性」と捉えてしまうと、私たちは数多くのものを見落としてしまう。むしろ、「創造性」=「共創性」だと私は確信している。」(42頁)
「私は「頭のいい人」とは、美しく機知に富んだ音楽を頭の中で奏でられる人だと思っているが。カラヤンのような人物は、作曲家の頭の中に響いている音楽を的確に捉えることができ、それを演奏する方法がわかり、他社に伝える術さえ持っている。いわば感性と理性の融合体のような人物だったのだろう。」(45頁)
「(つまり、)オーケストラにとっては「耳」であり、観客にとっては「目」を支配する存在。偉大な耳や目となりながら、第三の存在を伝道する立場 - それが、指揮者というものか。」(47頁)
「山は地球の彫刻だ。」(56頁)
「「今、ここ」に生きている人間とは、次に何を仕出すかわからない不確実な生き物だ。だからこそ、人は人から学び、生を得る。音楽においても、脳が最も「真剣に」なるのはライヴ演奏を聴くときだというのは、こうした理由からだ。」(63頁)
「「これが私の聴きたい音なのだ」「これこそ音楽のあるべき姿なのだ」という純然たる意志を感じさせる点において、カラヤンが遺した録音は生身の人間に近い。(中略)意志を持った芸術には、「人間性」いわば「偶有性」が、奇蹟のように降臨する。」(64頁)
「(むしろ、)毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人物だったからこそ、カリスマになり得たのではないだろうか。人間臭い面と、「美」への奉仕という現実から逸脱する面の双方があったからこそ、私たちは共感を抱けるのではないだろうか。」(72頁)
「私は訊ねた。この二つのオーケストラの違いは何だと思われますか。「ウィーン・フィルは『心の響き(a song with heart)』で、ベルリン・フィルは『頭脳の響き(a sound with brain)』です。」愉快そうに笑うゼルトル氏。」(74頁)
→オットー・ゼルトル氏へのインタビューで。
「人間の能に本来備わる「美」への欲求。何を美しいと感じるかは、人それぞれ違うだろう。皆違って、それでいい。ただ、カラヤンの存在が稀有なのは、その美意識を具象化させる確かな術を持っていたということである。」(78頁)
「レガートだと響きが変わってきます(中略) 実はそこには、「音をつないでなめらかに」というだけではなく、音楽の流れ自体に「決して不自然な断絶があってはならない」というカラヤン自身の堅固な意思や、音楽において奏者たちの有機的な生命運動を止めてはならないという哲学が、多分に込められていたのではないだろうか。」(87頁)
「作曲家の脳。演奏家の脳。そして指揮者の脳。これら別々の脳内から生まれた意識の融合が演奏だとするならば、音楽におけるレガートには、ニューロンとニューロンをつなぐシナプスのような役割があるともいえるだろう。」(93頁)
→ニューロン(neuron):神経細胞 / シナプス(synapse):神経細胞間あるいは筋繊維(筋線維)、ないし神経細胞と他種細胞間に形成される、シグナル伝達などの神経活動に関わる接合部位とその構造 【共にWikipediaより】
「本来、「利己的」といわれる脳の働きが、例外的に「利他的」になるもの、それが「愛」だと科学者たちは考えている。いわば、愛とは「他」への働きかけであり、衝動であり、その源は「知りたい」「わかりたい」と思わせる空白、すなわち「脳の中の不在」である。(中略)つまり、愛とは脳の中の「無」から「有」を創り出す営みであり、自分で働きかけを続ける限り、無限の能動性を持つ精神運動である。愛が命の根本だといわれる所以である。」(104頁)
「心に触れるもの、それがミューズである。ミューズ(Muse)とは、ギリシャ神話の文芸の女神である。(中略)周知のように、ミューズから生まれたのが「music(ミュージック)」という英語である。」(111頁)
「「音楽」という日本語からは、どうしても音やリズムや音程といった具象が連想されるが、本来「music」の語に音の意味はない。つまり、音として聞こえるものだけでなく、私たちの知覚の背後に存在するインスピレーションの源も、「music=音楽」といえるのだ。たとえ、それは耳に聞こえていなくても、私たちはどこかで感じているに違いない。」(111頁)
「指揮者とは、演奏家にとっては偉大な耳。作曲家にとっては、伝道者。聴取者にとっては、ミューズを呼び寄せる司祭的な媒介者。」(120頁)
「今を生きる私たちとしては、自分の置かれた状況のさまざまを引き受け、そのうえで自分の歌を歌うしかない。彼の精神性から普遍的なものを受け継いでいくしかないのである。カラヤンの精神。それは「美への賛美」を超えていた。むしろそれは、意欲であり、献身であった。」(126頁)
「人間の脳細胞の本質は、いわば、植物に近い。手足の動きなどは動物に相違ないが、脳内ニューロンの網目が育っていく様は、植物のごとき伸び方を観せるのだ。根を張り、ゆっくりと葉を伸ばしていく木のように、年輪に年輪を重ねて成長するもの、それが人間の脳細胞なのである。」(129頁)
「私たちの命のあり方自体が、レガートである。私たちの身体をつくっているさまざまな有機分子。もともとはお互いに関係のない素粒子が、結び合い、関係しあって私たちの細胞をつくる。細胞がお互いにくっつきあって私たちができあがる。分子の間のハーモニーがなかったら、私たちは一瞬たりとも存在しない。(中略)この人生において、もっとレガートを大切にしたい。まるで、音楽そのものを生きるように。経験の間をつなぐ目に見えない架け橋を思う。偶然出会った人を、世界に無数にいる人の中の一人だと片付けないこと。遭遇したことを自らの人生の運命だと思い、受け入れる。」(161頁)
クラシックというと堅苦しい、古い音楽だと思う人もいるかもしれません。
ただ、私たちの日常の中に、相当量のクラシック音楽はすでに溶け込んでいます。
顕著なものはテレビ・コマーシャルです。
無粋なので一々列挙はしませんけど。
音楽というものも常に変化を続け、その時代、その地域の人々に受け入れられるものが、これからもどんどんと生まれてくるのでしょう。
しかし、時間と空間を超えて、ずっと愛し続けられる音楽というものもきっとあるはずです。
それが一般に「クラシック」と呼ばれるジャンルであり、その中でもカラヤンという偉大な指揮者は、それまであまり馴染みのなかった日本人へクラシックの楽しさと素晴らしさを紹介してくれた人だと、私は感じています。
最後に、この本には茂木氏が選んだ、カラヤン指揮の「脳を育てる11曲」が収録されたCDがついています。子供の教育にもよさそうですね。
- カラヤン Herbert von Karajan ―音楽が脳を育てる (CD付き:茂木健一郎選.../茂木 健一郎(もぎ けんいちろう)

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副題:街道をゆく40
著者:司馬遼太郎
発行:朝日新聞社 / 1997年5月 / 文庫本(朝日文芸文庫)
ジャンル:紀行、台湾、李登輝
司馬先生の街道をゆくシリーズから、台湾紀行の紹介です。
発行当時、台湾総統であった李登輝氏との対談も巻末に収められています。
<目次>
台湾紀行
流民と栄光
葉盛吉・伝
長老
でこぼこの歩道
歴史の木霊
二隻の船
李登輝さん
続・李登輝さん
南の俳人たち
老台北
馬のたとえ
児玉・後藤・新渡戸
潜水艦を食べる話
客家の人たち
看板
魂魄
沈乃霖先生
伊沢修二の末裔
海の城
海獠の貴公子
八田與一のこと
珊瑚譚のほとり
鬼
山川草木
嘉義で思ったこと
山中の老人
日本丸が迎えに
浦島太郎たち
大恐慌と動乱
寓意の文化
山人の怒り
大野さん
千金の小姐
花蓮の小石
太魯閣の雨
対談・場所の悲哀 李登輝/司馬遼太郎
気になった箇所のご紹介です。
「身もふたもなくいえば、歴朝の中国皇帝は私(し)で、公であったことがない。その股肱の官僚もまた私で、たとえば地方官の場合、ふんだんに賄賂をとることは自然な営みだった。」(43頁)
「中国ではふるくから漢字という表意文字がゆきわたることによって、同一文化・同一民族という意識がつちかわれた。」(52頁)
「そのグループで共有される言語、しぐさ、歩き方、倫理観などを「文化」と言い、文化を共有するひとたちが「民族」であるとすれば、この人は日本人の典型でもある。」(59頁)
→補足:神戸生まれの陳舜臣氏を指しています。「歩き方」を含むのがユニークですね。
「(つまり、)私とは、古代の小作農民が収穫の何割かを地主にさしだしたあと、残った自分の取りぶんをかこっておくというさまである。」(78頁)
「(ともかくも)公とは、私の上にあるもの、私のむれのとりきめ、私がこぞって奉仕すべきもの、ときに万人の幸福のために私を殺すべきもの、ということである。」(79頁)
「香港や東南アジアの華僑は工業を好まず、手っとり早く金もうけができる金融業や不動産業、相場を好むのである。台湾人が、無骨にも製造業を好むというのは -邱永漢氏は日本人の影響だというが- きわだった特徴といえる。」(106頁)
「「日本」といっても土地の人達はよく知らない。そこで、前記の吉田庫三あて、日本を説明するために錦絵を各種とりまぜて五、六十枚送ってもらえまいか、とたのんだのである。このあたり、乃木には教育者の風貌がある。」(116頁)
→乃木希典将軍のことです。
「『都市の医師』(水道産業新聞社)という題の本がある。児玉・後藤時代、台湾に上下水道をつくった土木技師浜野弥四郎の伝記である。」(142頁)
「以前、台湾で本を読む家なら、『聊斎志異』は必ず蔵されているという話をきいたことがある。いまは大陸ではほろびつつあるといわれる漢民族特有の倫理感情が、台湾では豊富に残っている。恩を知るという、この民族がなにより大切にしている倫理だが、『聊斎志異』は、そういう倫理感情に適(あ)っているのかと思える。」(247頁)
→『聊齋志異』(りょうさいしい)は、中国の清代の短編小説集。作者は蒲松齢(1640年(崇禎13年)-1715年(康熙54年))。【Wikipediaより引用】
「この中華民国という国名は、一個の空想と一個の現実からなりたっている。空想とは中国大陸のすべてとモンゴルやチベットまでこの台湾(中華民国)のものだということである。むろん、世界中のたれもが -むろん台湾人もふくめて- こんなばかなことを信じていない。その国家が、現実としては台湾本島に縮んだまま存在している。国家が空想している。だから、歴史が教えられないのである。」(263頁)
「伊藤潔氏の『台湾』(中公新書)である。副題は「四百年の歴史と展望」という。」(264頁)
「視力のいい本で、たとえば、台湾が日本領になったとき(一八五九年)、日本は台湾住民に対し、二年間の猶予つきで国籍の選択の自由をあたえた、ということなど、私ははじめて知った。」(265頁)
「山地人は、若い人はともかく、諸族間では言語が通じない。だから、諸族間での交渉はいまなお日本語が用いられるという。この地球上で、日本語が”国際公用語”(?)である唯一の例は、台湾山地人のあいだでしかない。」(275頁)
「一九八八年に前総統の蒋経国が病死すると、憲法の規定によってこの台北県三芝郷の農民の子は総統に昇格し、翌々年、国民党臨時中央委員会全体会議が、農業経済学者でもあるこの人を第八代総統に選出した。この間、一発の銃声もなかった。」(368頁)
→もちろん、李登輝氏のことです。
「司馬:政治学の学者は李登輝さんをテーマにするといいですね。つまり、李登輝さんがおっしゃったように派閥も持たない、金もない、欲もない。ただひとり李登輝博士がいるだけです。政治は書生論ではできない、もっときたないものだ、と政治学者は言いますけれど。」(392頁)
司馬先生と「元」日本人の台湾の方々との魂の交流を綴った紀行文です。
ですが普通の旅物語ではなく、司馬先生の豊富な中国史の知識や見解、または考察が、随所で展開されています。
そして当時現役の台湾総統であった李登輝氏との交流、そして巻末の対談。
台湾に興味がある「日本人」が知りたいこと、知っておかなければならないことが、全て詰め込まれています。
まさしく、台湾を理解するための「バイブル」です。
著者:司馬遼太郎
発行:朝日新聞社 / 1997年5月 / 文庫本(朝日文芸文庫)
ジャンル:紀行、台湾、李登輝
司馬先生の街道をゆくシリーズから、台湾紀行の紹介です。
発行当時、台湾総統であった李登輝氏との対談も巻末に収められています。
<目次>
台湾紀行
流民と栄光
葉盛吉・伝
長老
でこぼこの歩道
歴史の木霊
二隻の船
李登輝さん
続・李登輝さん
南の俳人たち
老台北
馬のたとえ
児玉・後藤・新渡戸
潜水艦を食べる話
客家の人たち
看板
魂魄
沈乃霖先生
伊沢修二の末裔
海の城
海獠の貴公子
八田與一のこと
珊瑚譚のほとり
鬼
山川草木
嘉義で思ったこと
山中の老人
日本丸が迎えに
浦島太郎たち
大恐慌と動乱
寓意の文化
山人の怒り
大野さん
千金の小姐
花蓮の小石
太魯閣の雨
対談・場所の悲哀 李登輝/司馬遼太郎
気になった箇所のご紹介です。
「身もふたもなくいえば、歴朝の中国皇帝は私(し)で、公であったことがない。その股肱の官僚もまた私で、たとえば地方官の場合、ふんだんに賄賂をとることは自然な営みだった。」(43頁)
「中国ではふるくから漢字という表意文字がゆきわたることによって、同一文化・同一民族という意識がつちかわれた。」(52頁)
「そのグループで共有される言語、しぐさ、歩き方、倫理観などを「文化」と言い、文化を共有するひとたちが「民族」であるとすれば、この人は日本人の典型でもある。」(59頁)
→補足:神戸生まれの陳舜臣氏を指しています。「歩き方」を含むのがユニークですね。
「(つまり、)私とは、古代の小作農民が収穫の何割かを地主にさしだしたあと、残った自分の取りぶんをかこっておくというさまである。」(78頁)
「(ともかくも)公とは、私の上にあるもの、私のむれのとりきめ、私がこぞって奉仕すべきもの、ときに万人の幸福のために私を殺すべきもの、ということである。」(79頁)
「香港や東南アジアの華僑は工業を好まず、手っとり早く金もうけができる金融業や不動産業、相場を好むのである。台湾人が、無骨にも製造業を好むというのは -邱永漢氏は日本人の影響だというが- きわだった特徴といえる。」(106頁)
「「日本」といっても土地の人達はよく知らない。そこで、前記の吉田庫三あて、日本を説明するために錦絵を各種とりまぜて五、六十枚送ってもらえまいか、とたのんだのである。このあたり、乃木には教育者の風貌がある。」(116頁)
→乃木希典将軍のことです。
「『都市の医師』(水道産業新聞社)という題の本がある。児玉・後藤時代、台湾に上下水道をつくった土木技師浜野弥四郎の伝記である。」(142頁)
「以前、台湾で本を読む家なら、『聊斎志異』は必ず蔵されているという話をきいたことがある。いまは大陸ではほろびつつあるといわれる漢民族特有の倫理感情が、台湾では豊富に残っている。恩を知るという、この民族がなにより大切にしている倫理だが、『聊斎志異』は、そういう倫理感情に適(あ)っているのかと思える。」(247頁)
→『聊齋志異』(りょうさいしい)は、中国の清代の短編小説集。作者は蒲松齢(1640年(崇禎13年)-1715年(康熙54年))。【Wikipediaより引用】
「この中華民国という国名は、一個の空想と一個の現実からなりたっている。空想とは中国大陸のすべてとモンゴルやチベットまでこの台湾(中華民国)のものだということである。むろん、世界中のたれもが -むろん台湾人もふくめて- こんなばかなことを信じていない。その国家が、現実としては台湾本島に縮んだまま存在している。国家が空想している。だから、歴史が教えられないのである。」(263頁)
「伊藤潔氏の『台湾』(中公新書)である。副題は「四百年の歴史と展望」という。」(264頁)
「視力のいい本で、たとえば、台湾が日本領になったとき(一八五九年)、日本は台湾住民に対し、二年間の猶予つきで国籍の選択の自由をあたえた、ということなど、私ははじめて知った。」(265頁)
「山地人は、若い人はともかく、諸族間では言語が通じない。だから、諸族間での交渉はいまなお日本語が用いられるという。この地球上で、日本語が”国際公用語”(?)である唯一の例は、台湾山地人のあいだでしかない。」(275頁)
「一九八八年に前総統の蒋経国が病死すると、憲法の規定によってこの台北県三芝郷の農民の子は総統に昇格し、翌々年、国民党臨時中央委員会全体会議が、農業経済学者でもあるこの人を第八代総統に選出した。この間、一発の銃声もなかった。」(368頁)
→もちろん、李登輝氏のことです。
「司馬:政治学の学者は李登輝さんをテーマにするといいですね。つまり、李登輝さんがおっしゃったように派閥も持たない、金もない、欲もない。ただひとり李登輝博士がいるだけです。政治は書生論ではできない、もっときたないものだ、と政治学者は言いますけれど。」(392頁)
司馬先生と「元」日本人の台湾の方々との魂の交流を綴った紀行文です。
ですが普通の旅物語ではなく、司馬先生の豊富な中国史の知識や見解、または考察が、随所で展開されています。
そして当時現役の台湾総統であった李登輝氏との交流、そして巻末の対談。
台湾に興味がある「日本人」が知りたいこと、知っておかなければならないことが、全て詰め込まれています。
まさしく、台湾を理解するための「バイブル」です。
- 街道をゆく (40) (朝日文芸文庫)/朝日新聞社

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この本を読むのは、十数年ぶりです。
恐らく、社会人になってすぐに読んだはずなのですが、すっかりその内容は消えていました。
そしてこの数年、やはり台湾への興味が再び湧いてきて、読みあさった他の本の内容が、基礎的なことばかりであるとしても、すべて書かれてあるのです。
改めて、この本の凄さと素晴らしさを感じ取りました。
今では二十年以上前に書かれた本となっていますが、台湾を理解するための全ては、この本から始まるのです。