著者:藤本義一
出版:青春出版社 / 1998年 / 単行本
ジャンル:エッセイ
月刊誌に連載された記事を再構成したエッセイ集です。
私たちの世代にとって藤本氏は『11PM』の司会者のイメージなのですが、第71回直木賞受賞の作家でもあります。
本書は氏ならではの大阪弁を交えながら、主に20~40歳頃までの青年(男性)へ向けた、人生指南の内容となっています。
<目次>
1 人生のスケッチ
2 焦らず、引かず、休まず
3 こころ愉しく迷う
4 自分のねかせ方
5 孤独の豊かさ
6 ツキにはのってみる
7 夢はこう紡ぐ
8 先を見る眼
9 はみ出しの美学
10 自分のヘソに触れる
11 人生という器
12 信頼のかたち
13 嘘つきのすすめ
14 不安という幸福
15 隙間を埋める工夫
16 女とは何か
17 人生を全うする心得
気になった箇所のご紹介です。
「かなり乱暴だけれども、人間をふたつのタイプに分けるとしたら、職人タイプと芸術家タイプがありますな。」(13頁)
「何が言いたいかというたら、会社のなかで人生を変える出会いはあるかという問題。(中略) すぐれた上司もおるやろな。ユニークな同僚もおると思いますわ。しかし、その個性的な人間も、いつしかみんな小さな職人になっていくのと違うかな。」(14頁)
「人間も同じですよ。大きなセレモニーとかイベントでいろんな人と出会うのは、写真と同じじゃないですか。フィルムで10本、20本の人と会ってるけど、心にしみるような出会いがない。名刺の数だけは増えていくけど、時間のムダですな。」(16頁)
「なぜでしょう。人生をきちんと話すような場面がなくなってしまったのかもしれないな。生きるとは何か。人生とは、生命とはと、大マジメに話すと浮いてしまうと思っているのと違うか。職場でも学校でも。徹夜で人生哲学をしゃべって、夜明けを待って分かれていくという友人がいないわな。」(22頁)
「管理されることに慣れてしまったら危ない。最近、繰り返し言うてるけども、携帯電話ちゅうヤツな、あれは持ったらあかんぞ。『俺は管理されているぞ!』と世間に叫んでいるようなもんやで、アレ。」(27頁)
「行き詰まったとき、どうしたら出口がみつかるのか。結論から言えば、人間は一人じゃ生きていけないということですな。」(32頁)
「人間が原則として選択できないものが三つあるんですね。自分の生まれた土地と生まれた日、そして親やな。これは選びようがない。」(38頁)
「自信と過信は全然違うのな。過信というのは、自分がこうだろうと思っていたのに、うまくいかない。それですぐに自己の喪失につながっていくようなものです。自信喪失ではなく自己喪失な。」(42頁)
「若い頃の自信喪失は立ち直りが遅いんですよ。ずっと引きずる。しかし、引きずったほうがエネルギーになるんですよね、マグマみたいに。」(42頁)
「自信喪失は酒と同じですな。じっと寝かせておくことで、個性的でいい味が出てくる。宮沢賢治、ゴッホはその典型ですわ。物語を手帳に書き留めて、公表しないうちに死んでいった宮沢賢治、生前はたった一枚しか売れなかったにもかかわらず、絵を描き続けたゴッホ。いずれも持続力、継続力やないですか。」(44頁)
「謙虚さ、素朴さ、これが自信喪失とつき合い、エネルギーを育てて、本物の自信を得るための栄養素やないですか。」(49頁)
「孤独というのは、本来、精神的に余裕があって、ものごとを集中的に考えたり、創造できる時間であって、すべての文化の源泉だと思うんやけどね・・・・・。」(53頁)
「自ら孤独を選択し、絶望を味わい、そして生を選択してきた人間は、強いぞ。魅力的やしな。だから本当の孤独を知った人間は、精神的に豊かで優しいですな。」(59頁)
「孤独を怖がることはないぞ。繰り返すようやけども、人間、生まれたときから孤独やねん。その自分を個性豊かな人間にするには、孤独と向き合う勇気があるかどうか。その一点に尽きるんやないですか。」(63頁)
「道化の本質は何かと言うたら、知性ですよ。知識でなく知性がなければ人を楽しませることができないからな。それと、人に笑われることに耐えうる精神力、度胸やろな。」(69頁)
→今のテレビがつまらない原因を、一言でズバリ。
「(だから)ツキというのは、ある程度は読めると僕は思うな。種をまいて観察し、反省しつつ分析して、よりよい方法を考え、実行する。これでツキは読めるのと違う。」
→おそらくこの文末は、「ツキは読めるのと違う(の?)」ではないかと想像します。
「運とツキはどうも違うようですね。運とは「運ぶ」と書く。だから、自分で能動的に手さぐりしながらつかんでいくのが、運のような気がする。一方、ツキは向こうからやってくる感じですね。」(77頁)
「外国の地でツキを呼び込めるのは、だいたい驕りや高ぶりを捨てられる人間ですね。中国人にしたって、華僑はすべてを捨てる覚悟で外国へ行き、一から始める。」(82頁)
「つまり、メンテナンスです。若いうちは難解な問題から挑戦して、少しずつメンテナンスしながら成長していく。これがツキを落とさない生き方じゃないかと。」(88頁)
「(したがって、)一般的な形で洞察力について言うなら、まずは”観・考・推・洞”という形で考えたらいいんですね。つまり、観察、考察、推察、洞察の順。これを繰り返していくうちに、洞察力が身についていくのが、凡人というか、人間の成長過程やと思いますな。」(91頁)
「会社に依存している人間には、洞察力がないんです。」(93頁)
「つまり、洞察力と言うと、人を見抜いたり世の中を見通すような力と思うかもしれんけども、もっと大事なのは自分自身を見抜くことやな。」(98頁)
「自分のプライドを傷つけられたとき、心に傷は残るわけでしょう。だけど学歴とか、資格、職業なんてものにプライドを持っても、そんなのは浅い。そこを傷つけられところで、どうってことはない。」(110頁)
「同じように漂泊の俳人は、トラウマの権化みたいな人やないですか。松尾芭蕉、山頭火、西行、いずれもトラウマを活用してエネルギーにした。音楽家も同じですな。シューマンの哀しさ、バッハの怒り、モーツァルトの道化、みんな自分のトラウマをため込まないで闘ったうえで、飼いならし、表現能力を磨きながら外に出してきた。」(120頁)
「自己主義に方程式はないけれども、自分の信じるものがあるかないか、そこが重要なところですね。自分は絶対正しいと思うこと。その根っこの部分があやふやだったら、すぐにつぶされてしまう。」(125頁)
「物事を善悪だけでとらえる人の自己主張には深みがないですね。なぜかというと、人間は善悪だけではとらえられない生き物なんです。矛盾の束みたいなものであって、それこそ竹を割ったような人間はひとりもいないと思うていいですな。」(133頁)
「人の言葉を信じるか信じないかというのは、あくまでも個人の意識が問われているんです。自分が信じるか、信じないかの問題であって、相手が嘘を言う、本当のことを言うという話と違いますな。」(140頁)
「言葉を尽くして「お前を信じてる」とか「お互いに信じ合ってやろうよ」と言う必要はないですね。むしろ、そう言っている人間の言葉は嘘だと思いますな。」(143頁)
「虚構ですな。と言うてる小説家自身、いかに虚構を作りあげるかに頭を悩ませてるんやけれども、我々の場合、最初から”ウソツキ”やからな。」(156頁)
「壁の向こうの将来の自分の姿を意識できる人は、壁という限界を乗り越えようとする。でも、壁の向こうが見えない人は、壁の前で楽なことをして遊んどるのや。それが目先の金で動く人間の姿と違いますか?」(168頁)
「古典と言われる文学でも、生の喜びだけではなく、死を見つめる姿勢で描かれたものが多いでしょう。ダンテの『組曲』、ミルトンの『失楽園』はその典型ですな。日本でも文学の分類からちょっとはずれるけども、親鸞の『歎異抄』がある。死は、人類の永遠のテーマなんですね。」(201頁)
たいへん、長くなりました。
関西弁(大阪弁)に抵抗がある方もいるかもしれませんが、基本的に平易な口語体で書かれています。
そして、内容は誰にでも一度は経験して、あるいは知っているようなことばかりなのです。
知っているはずの事柄が、それが藤本氏の言葉によって、崩れたジグソーパズルを埋め込むように再構築され、自分の心に戻ってきます。
誰にでもわかる言葉を使って簡潔に、物事を対象に届けるという行為は、話し手に相当高度な知的レベルが求められます。
藤本氏の語りは正に、これだと言えます。
紹介した言葉が端的すぎて、わかりにくい部分もあったかもしれません。興味を持たれた方は、実際に本を手に取ってみてください。
最後に本書で、藤本氏は自身の「死ぬ日」を決めたと語ります。その日付は「2023年1月26日」。そしてこうも述べています。「その前に死んでしもうたら負けや。それ以上生きたら勝ちになる。そのていどでいいやんか。」(205頁)と。
ご存知の方も多いと思いますが、2012年10月30日、藤本氏は永眠されました。
楽しい本を、本当にありがとうございました。
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