「小さいおうち」 ~タキちゃんの罪悪感~ | 「安心」と「共感」がひらく、子どものこころの扉

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関わりの迷い・イライラ・すれ違いを減らし、親子関係が自然と整うヒントが詰まっています

山田洋次監督の「小さいおうち」を観ました。

 

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 山田洋次監督の前作「東京家族」のときと

同じキャストがいっぱいいるな~と思いながら

見ていました。

 

 

映画の中で

こんなセリフが心に残りました。

 

「あぁ、もし会えたら言ってあげたかったなあ。

タキちゃん、そんなに苦しまなくていいんだよ。

君の小さな小さな罪は

もうとっくに許されているんだからね。」

 

 

 

他人が聞いたら罪とは思えないようなことでも、

タキちゃんは、

決して許されない罪を犯してしまったと感じて

自分を罰し続けて一生を過ごしたのだろうなあと

感じました。

 

 

口に出してしまうと

「なんだそれ?そんなこと気にしてたの?」

と周りから言われるようなちっぽけなことでも、

本人にしてみたら

自分は大変なことをしてしまった悪者だと

死ぬほど自分を責めていることがあります。

 

 

もし自分の罪が全部許されるとしたらどう感じますか?

 

もし自分は何も悪くないと言われたらどうでしょうか?

 

 

自分を許すということを知っていたら

タキちゃんの人生も違ったものになっていたかもしれません。

 

 

ACIMではこう言っています。

 

「私の有罪判決だけが私を傷つけます」

「私自身のゆるしだけが私を自由にします」

 

他人が許してくれないのではなくて

自分が自分を許してないだけなんですね。

 

自分の中にある罪悪感はもう捨てて

自分を許してあげたいですね。

 

 

 

 

また、映画の中では

こんなセリフも印象的でした。

 

「あの時代(戦争中)は

誰もが何かしら不本意な選択を強いられていたんだ。

強いられてする人もいれば自ら望む人もいて

それが不本意だったということすら気がつかない」

 

これは映画の主眼となるセリフだと思いましたが、

今の時代の教育にもつながることだと感じました。

 

もしも、全ての子どもと親が、

自分に合っていれば

学校へ行かなくても

どこでどのように成長してもいいと

制度的にも意識の中でも許されたとしたら、

どれだけの子どもが、今の学校に行くでしょうか?

 

 

自分が行きたくて学校に行ってるわけではなく

イヤイヤ通っている子どもたちも

「不本意な選択を強いられている。

そして、不本意なことにも気づいていない。」

ということになるかもしれませんね。


第143回直木賞を受賞した
中島京子の原作も読んでみたいと思いました。


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