京都観世会例会 3月 養老/碁 | 翡翠のブログ

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今日は京都へ。京都観世会例会3月 養老/碁

 

演目:
(能)  養 老  松野 浩行
(狂言) 土 筆 茂山忠三郎
(復曲能)碁   片山九郎右衛門

 

今年は大河に関連してか、源氏物語に縁のある演目を公演してくださっている京都観世会館。今回は、空蝉がシテの復曲能「碁」が上演されるという点で楽しみでした。前回の2月の初京都観世会館例会の「浮舟」鑑賞に続いて2度目の訪問です。

 

「養老」は、神の舞もある、おめでたい演目。これまでにも何度か観たことがあります。地元近くの岐阜県養老が演目の舞台という点でも親しみを感じます。今日の後半の神の舞は、以前に観たものよりも力強く勇壮に感じました。

 

「碁」は復曲能。長らく上演が途絶えていたものを1962年に金剛流が復曲し所演曲としたのち、観世流では2001年に復曲されたのだそう。そのためか能の解説本や解説サイトに詞章や解説がなく、今回の会場で檜書店さんが金剛流の謡本を販売してくださっていました。

 

題材としているのは源氏物語の「帚木」「空蝉」の巻で、シテは空蝉。源氏物語では、空蝉と継娘軒端の荻が碁を打っている所を光源氏が垣間し、源氏は空蝉に惹かれますが空蝉は源氏を拒み、衣を残して逃げ出します。源氏は残された軒端の萩を空蝉と間違え、そのまま関係を持つも、自分から逃げた空蝉に想いを残し続けます。空蝉は源氏を拒みますが、夫を亡くし尼になってから源氏の庇護を受けています。

 

空蝉をシテとした演目には「空蝉」という題の能があり、そちらはよくある夢幻能のように空蝉の霊が現れ、執着の苦しみを訴え回向を頼み成仏するという、他の演目と似た流れらしい。一方、こちらの「碁」では、空蝉と軒端の萩という二人の女の霊が現れ、碁を打つという点が大きく異なり、面白い演出の演目でした。後場では碁の台も作り物として登場しました。

女性の役が二人登場するので舞台が華やかでした。空蝉が上衣を脱いで、碁台の上に残して逃げる場面で、てっきりここで終わるのかと思ったのですが、軒端の萩が華やかな赤い衣装から白い薄い衣に着替え、空蝉も水色の薄い衣に着替えて、さらに二人で舞って終わりで、その薄衣をまとっての舞は、とても美しい舞でした。

 

またシテの謡の台詞に、「恨めしや」「世の聴こえ恥ずかし」「夢は破れて覚め」とあるところが印象的でした。中流階級の女性にも、思いも哀しみもあるということ、少なくともこの時点の源氏にはあまり思い描けなかったろうなあ。

それと最後まで軒端の荻が一緒に舞っていることで、原作を読んだ時には、このあたり空蝉だけ感情移入して読みましたが、軒端の萩もまた被害者なのですよね、本当は。

 

哀しい曲ですが謡の中に源氏物語の各巻名が何度も登場する点は、最近、源氏物語を読み返した身には嬉しい気持ちでした。演じられていた当時にも源氏物語をよく知っていた観客にも味わい深かったろうとも思いました。

 

今回も早めに会館に到着したので、2階に展示されているという衣装など観に行ってみました。今回の演目に縁ある品だそう。

 

特に良かったのがこちら、鬘帯。四季の花が刺繍されていて美しい。前から鬘帯を観るたびに、もう少しコンパクトサイズのものを欲しいなあと憧れています。