能 九月定例公演 源氏供養・鱗形 | 翡翠のブログ

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昨日に続いて今日の名古屋能楽堂へ。能 九月定例公演

「能楽普及公演」となっているからか?充実、てんこ盛りです。

 

能 源氏供養 (金剛流)加藤かおる
狂言 雷 (和泉流)鹿島俊裕
舞囃子 屋島 (観世流) 松山幸親
仕舞 三輪
仕舞 天鼓
能 鱗形 (喜多流)長田郷

 

◆能 源氏供養

最近、平家物語を読んでいたことから平家物語に関する能を調べたり観ることが多かったですが、久しぶりに源氏物語ゆかりの能。とはいえ、昨日観た「斑女」も、源氏物語の「花宴」や「夕顔」の巻から引用したり、「安達原」も葵上、夕顔、六条御息所を想起させる詞章だったりしていました。

 

安居院法印が石山寺参詣のため琵琶湖近くを通ると、里女が現れ、昔石山寺で源氏物語を書いたが、源氏供養をしなかったため成仏できないでいること、弔ってほしいことを訴え消えます。

石山寺に着いた法印が供養をしていると、紫式部の霊が現れ、報謝のため源氏物語表白をクセ舞にして舞います。法印は、紫式部は石山の観音の化身で、人の世の無常を知らせるため源氏物語を書いたのだろうと悟ります。

 

源氏物語そのものを登場人物が物語り演じる「葵上」「野宮(ののみや)」とは異なり、シテは紫式部の霊。源氏供養とは、仏教において、架空の物語を作ることが「嘘をついてはいけない」という五戒の1つ「不妄語戒」に反することから、紫式部が「源氏物語」という架空の、嘘の物語を書いた罪、好色を説いた罪で地獄に落ちたことと、その読者の罪を減じるためのものであったそう。源氏供養の場では源氏物語と決別するために源氏物語の写本を順番に火にくべていくなどされたそうで、焚書、華氏451などを連想してしまいました。

物語を読むことが好きな私としては、非常に納得のいかない教えですが、一方で、現代でも「そんな役にも立たない物語ばかり読んで」とか、文学を一段下に観る考えは一定層あるように思います。

 

銕仙会のサイトの番組解説によれば、唱導(文学により人を仏道に導く)を家業とした安居院(あぐい)家(本作のワキ)の2代目の聖覚が書いた「『源氏物語』の巻の名を織り込み救済への願いを表明した『源氏物語表白(ひょうびゃく)』という作品」を基に、能「源氏供養」のクセが書かれたのだそう。

 

葵上のような物語のエピソードを能で演じている演目に比べると、源氏物語の巻名を謡い舞う演目「源氏供養」は、能鑑賞力がまだまだつたない私にはハードル高めの演目。昨日の「斑女」と同じで、舞だけから心情を味わうことができないので。しかし、詞章に源氏物語の巻名が入っていることから、「あ、『夕顔』って今言ったな」という感じで聴いて楽しめましたし、紫地に秋花の装束が奇麗でした。シテは加藤かおるさんという女性の能楽師の方。体もお顔も少し細目で、お声も優しい柔らかい感じでした。シテが女性だからか、地謡も全員女性でした。

 

◆狂言 雷

旅の途中、武蔵野平野を通る医者(薬師)。空が暗くなり雷が落ちてきます。この雷が落ちて体が不調と言い、医者が診察することに。

最初の雷の音が、揚幕の奥の方からゴロゴロ、ドロドロと鳴り響きます。太鼓よりずっと大きな音、どうやって鳴らしているのだろう?足を皆で踏み鳴らしているのだろうか?

登場した雷は面を付けていました。舞台まで来ると前転。ところが、その面が外れて、「これは、演出? 雷が地上に落ちたから、素面になるということか?」と思っていると、切土口からすっと人が出てきて、さっと面を拾って付けて差し上げた。ということはアクシデント?

何事も無かったように進行し、医者が脈を測ることになって、むんずと頭をつかんで「頭脈」と言うのに、会場から笑いが。ここで、「あれ?観たことがある?」と。昔、子どもと頭で脈を測る場面を観たことがあるような。これだったかな?

薬を飲むことになって、鬼は手に鉄アレイの重くないようなのを両手に持っていたのを、床に置いて薬を飲みます。ところが、その置いた片方のがコロコロ転がって、このままいくと舞台から落ちるのでは?どうするのか?そのまま落として、何事もなく進行か?と、ハラハラっとしたら、これはさすがに、ワキの医者の方がぱっと取って鬼の元へ。これは?これもアクシデントだったのか?

鬼は横になり針を打つことに。これが、どこからみても木釘で、それを木槌でコンコン打ち込むと、鬼は痛い痛い、抜いてと騒ぎ、また会場が笑って。最後には、治った鬼がお礼に医者の在所には干ばつが起きないようにするとしてめでたしでしたが、この場面で、狂言師さんたちが切土口から入ってきて、ずらりと並んで唱和するという、これは初めて観ました。

 

◆能 鱗形

こちらは、今回の鑑賞にあたって初めて聞き知った演目。

家の紋が定まっていない北条四郎時政が、弁財天に祈願するため江の島を訪れる。女性が現れ、夜を待てと告げて消える。

夜になると弁財天が現れ、守りの印として三鱗の旗を授け、神楽を奏し、この旗を掲げれば加護すると神託を授けて消える。

この逸話は、『太平記』に記述がみられるのだそう。

北条時政は鎌倉幕府の初代執権で、北条政子、北条義時の父。頼朝が伊豆国へ配流されたときに監視役を務め、頼朝と政子の婚姻により引き続き頼朝の後援者となり、頼朝の死後、初代執権となって、ほぼ一代で天下第一の権力を握りながら、その前半生は明らかでないそう。

 

舞台には弁財天の社殿を表す作り物が設置され、前場が終わると、そこに女が入ります。間狂言の間に、能楽師さんらが何人か、着替えの手伝いをして、装束を入れたり受け取ったり。今回、脇正面で観ていたので、その様子が横から良く見えて面白かった。しかし、こうやって何人かの助けで着替えるのに対して、道成寺だと鐘の中で一人で着替えるわけだから大変そう。

 

着替えが終わって、作り物を覆っていた幕が引き下ろされ、弁財天が登場。すごく奇麗でした。着替えているところもうかがい見、演じている方が男性なのもわかっているのに、すごい、弁財天らしい華と気品ある美しさでした。太鼓も入って、女神が幣(ぬさ)を持って神楽舞、最後には扇に代えて舞い、囃子が、とても心地良かったです。

 

13:30から17:00まで、盛沢山でした。