おはようございます
先日NHKBSで『A.I.』を観ました。

2001年公開
監督 スティーヴン・スピルバーグ
原案 スタンリー・キューブリック
あらすじを主人公のA.I.ディビットの視点で書きますと【ネタバレなし】
ぼくは“愛するようにプログラムされた”ロボットとして、モニカの家にやってきた。
彼女がぼくの名前を呼び、微笑んでくれた瞬間、胸の奥にあたたかいものが灯った。
「ぼくはモニカの子どもだ」そう信じていた。
けれど本物の息子マーティンが病院から帰ってきた日から、ぼくの居場所は揺らぎ始める。(ぼくもママもまだまだ帰ってこないと思っていた)
誤解や事故が重なり、モニカはぼくを守るため(廃棄処分を避けるため)に森へ置いていった。
あの時の彼女の涙を、ぼくは忘れられない。
「本物の子どもになれば、またママに抱きしめてもらえる」
その願いだけを胸に、ぼくはブルー・フェアリーを探して旅をはじめた・・・

夫は昔に観たことがあって、悲しいからもう観ないと言いましたが
私はそこまで悲しいとは思いませんでした。
日本人なら感想としては「ピノキオ」と「鉄腕アトム」の部分取りみたいな感触があったのではないでしょうか。
ピノキオを「うそをついたら鼻が伸びる話」という部分だけで覚えているなら(夫がそう)ピンとこないかも知れないですね。
ピノキオのお話は・・木で作られた操り人形ピノキオは、ゼペット爺さんに作られた“子ども”です。
けれど彼は、ただの人形ではなく、「本物の人間の子どもになりたい」という強い願いを持っています。
その願いを叶えるために、ピノキオは嘘をついたり、誘惑に負けたり、失敗を重ねながらも、「正しい心を持つこと」を学んでいきます。
最後には、ピノキオの勇気や優しさが認められ、青い妖精によって本物の人間の子どもへと生まれ変わるというものです。
鉄腕アトムも、天馬博士は、事故で亡くした最愛の息子トビオを忘れられず、
「息子の代わり」としてアトムを作りました。
アトムは外見も性格もトビオそっくりに作られ、博士は“失った子どもを取り戻す”つもりだったのです。
しかし、どれほど精巧でもアトムは本物のトビオではなく、成長もしない。
その事実に博士は耐えられず、アトムをロボットサーカスに売り飛ばしました。
その後、お茶の水博士に引き取られるのです。
アトムは「亡くした息子の代わり」として作られ、
ピノキオは「人形から人間になりたい」と願い、
ディビッドは「愛される子どもになりたい」と求めた。
それぞれ生まれた理由も、求めた“本物”も違うけれど、
どの物語も「存在」と「本物への憧れ」が根に流れています。
野暮な私はアトムとピノキオ、どちらかの終わり方に寄せた感じで終わるのかな~などと思いながら観てしまいましたが、アメリカ映画らしくない、しんみりとしたエンディングでした。
母(親)を慕う子供の心がどれもとても切ない作品ですね。
※今回、ウィキペディアを参照しながらこの記事を書いていて、自分の間違いに気がついたのですが
映画の最後の最後に出てくる宇宙人(のように見える物体)は人類が滅ぶ前に作り上げていた最後の超高性能ロボットだそうです。私の他にも宇宙人だと思った方がいるのでは~?え?私だけ
?
あ~、もう1こ!映画A.I.のA.I.とは「人工知能」のことで、現在私たちが使っているAIと同じ意味ですが、映画のA.I.は「理想化された未来の人工知能」で、現在のAIは「高度な計算と学習をするツール止まり」ということで、同じではありません。
もう25年前の映画ですが、あまり違和感なく面白かったです。
ただ、電話は家電
だけでした、スマホがまだなかった~~~
これも過去のSFあるあるですね。