こんにちは雲

 

今日はふくの日ですが夫にとっては楽しい「スーパーボウル」の日です。

有給をとって朝からじっくりみてましたニヤニヤ

 

ふくの日(2月9日 )

 

協同組合・下関ふく連盟が1980年(昭和55年)に制定。

日付は「ふ(2)く(9)」と読む語呂合わせから。

本場下関では河豚(ふぐ)を「福」と同じ発音で縁起がいいことから「ふく」と言う。フグの普及と宣伝が目的。

フグについて
フグ(河豚・鰒)は、フグ目、特にフグ科に属する魚の総称である。

およそ120種の魚がフグ科に分類される。

そのうち食用とする種として、トラフグ、マフグなどが有名。

フグ科に属さないフグとして、ハコフグ、ハリセンボンなどがある。

多くの種において、内臓や皮膚、血液、筋肉の全部または一部に毒性のあるテトロドトキシンを持つ。

食用可能な部位はフグの種類や漁獲場所によって異なるため、素人によるフグの取扱いや調理は危険である。

実際、日本における食中毒の原因のほとんどがキノコとフグであり、フグによる事故の多くは素人調理とされる。

 

下関は、日本で水揚げされる天然のトラフグやクサフグなど8割近くが集まり、また長崎県や熊本県で、主に生産される養殖トラフグも大部分が集まる一大集積地である。

下関に集まったフグはここで売買され、毒を持つ内臓部分などが除去する加工が成されたあと、東京や大阪の消費地へと運ばれる。

 

この日には下関市内の恵比寿神社で豊漁と航海安全を祈願し、「ふくの日祈願祭」が行われ、 三重・志摩市の安乗漁港では水揚げされた「トラフグ」を伊勢神宮に奉納し、 大漁と海の安全祈願する日になっている。

 

魚の骨ふぐの語源は?

ふぐ(フグ)の語源は、敵を威嚇する際に腹を大きく膨らませる様子から「膨(ふく)るる」が転じた説や、海底の砂を「吹く(ふく)」習性から名付けられた説が有力です。

古くは「ふく」と呼ばれ、江戸時代以降に濁って「ふぐ」が定着しました。

おはようございます太陽
 
題名の通り、未だに両奥歯が不安定で、固い物がたべられないんですよ
でもTVとか見ていたら、美味しい物がいつも出てくるので
ニヤニヤ「食べたい~~~」ってなっています。
 
そんなとき、こんなSNS投稿を見つけました

 

ニヤニヤあんまり見栄えはよくないですが、中身が何かわかりますか?

 

上段右が「551の豚まん」その右下は同じく「551の甘酢肉団子」です。

上段真ん中は「御座候」、関西で回転焼きと言えば御座候です。

下段、真ん中は阪神百貨店名物の「イカ焼き」

そして左下は「とん蝶」です。

 

とん蝶はおいしいおこわなんですけど持ち歩けるように竹の皮でつつんであるんです。

 


ね~デレデレおいしそうでしょ~、おいしいんですよ飛び出すハート

 

みなさんも大阪に来られたら食べてみて、といいたいけれど

売り切れになるのが早くてなかなか手に入らない~あせる

 

ニヤニヤみなさんどれが好きですか?それかほかの大阪名物でお好きなものがあったら教えてくださいね。

たとえば~「りくろーおじさんのチーズケーキ」とか

 

おはようございます太陽

 

今、両鼻の穴にティッシュ詰めています。

歯も、下段の奥歯が両方痛くなってしまい

そこから強い肩こりで困ってます。

歯医者も行ったし(レントゲンで異常なし)

カーブスもいったけど、良くならないの

 

笑ってもらっていいんだけど

私娘の頃、60代で亡くなるような気がしてたんだけど

こんなに調子がわるいと、もしかして本当にそうなのかな~とか思っちゃう。

 

でも多分60代で亡くなると、犬猫を見送れないから

何が何でも頑張って生きるつもりですよ。

 

 

真顔今日は母に想うことだけを書いたので、興味が無い方はまた次回お越し下さいね。

 

 

60代の頃の母を思い出すと、お金持ちじゃなかったけど3B体操とか詩吟とか習ってエンジョイしてたな。

夕刊に載ってる日帰り旅行とか、夫婦でたくさん行ってたな。

バブルの頃は海外にも行ってた。

 

今の自分にはまったくできないことばかり、母は恵まれていたんだな

時代も、良い時代だったんだな。母は美人でした、私は全くの父似で、母がうらやましかった。

 

私は一人っ子で、ネグレクト気味に育ったので

寂しくて

その裏返しで思春期からは母が嫌いでたまらなかった。

 

思春期になったら、母の人として、女としての部分も見えるようになってくるから

余計に嫌いになったのかもしれない。

 

母はいつも自由を感じる人だったから。

別にキテレツな動きをする訳ではないし

父の重圧からは逃げられない人だったけど

父が母をかわいがって、いろんな物を与えたり、好きにさせているところがあったので、母はそれを享受してた感じ。

 

母が自由人であることは孫達(私の息子)が大きくなってきたら

息子達も気がついて、よく母の面白いところが話題になった。

 

実家の冷蔵庫の中が魔窟すぎて開けるのがコワイこととか

使い方もよくわからず台所のコンロを電気に変えて、その後コンロを爆破させたこととか(火事にはならなかった)

父に隠れて一室で猫を飼ったり

私が「前髪を少し切って欲しい」と言ったら、母がおでこの上までジグザグに切ってしまったこととか(私は30代)

自分が嫌いな家事はいつも私を呼んでこき使っていたこととか(汚くしてると父が怒るから)

あげればキリががないほど。

それでもいつもケラケラ笑っていた。

私は「きらい」と思いながらも、子供が私しかいないから、仕方なく実家と付き合っていた。(息子達にもそんな姿見せられないから淡々とね)

 

父が逝ってすぐ、そんな母が認知症になって

いろんなトラブルから、うちで引き取るしかないと思った時、嫌だなあと一番に思った。

 

だから同居のはじめは母が認知症なのにもかかわらず、衝突しまくった、だっていつまでも身勝手なんだもの。たばこもやめられないしね。

 

途中軽い脳梗塞をおこして入院したり。脳出血で朝見に行くと床で倒れたり

治療してなんとか家に戻ってきたときにはもうひどい認知症になってた。

私は入院中は毎日病院に通った。

 

認知症が進んで不安そうな母をみてようやく私のわだかまりは溶けた。

毎日すすむ症状に驚かされたり悲しくなったけど

母を看てあげたいという気持ちになっていた。

 

他人から見て、気の毒なほどの認知症になったけど

私は母がす~っと夢の中にいる気がして

とくにうちにいる最後らへんは

「旅館に泊まっている」とずっと思ってた、私は仲居さんと思われていた。

だから「いつ帰るのですか?もう帰りたいです」と顔を合わすごとに言われてた。

私は仲居さんとしてあれこれ理由をつけて家にいてもらった。

 

脳に良いかもと思う、家でできることはいろいろ試したけど、何も良くはならなかった。

 

だけど、母はずっと自由なまま、天に帰って、またかわいがってくれる父とあちこち美味しい料理旅館にとまりに行ってるんだと思う。

 

お仏壇に母の好きなコーヒーを供えながら、いつもそんなことを思う。

 

来月祥月命日だと思うと、こんなことを思い返してしまいました。