ヒーリングとオーラ・リーディングを

仕事としてやり始めたのは

 

下記のブログに書いた通り

2010年に

それらを習得する学校に通った後のこと

 

 

 

 

10年前の記事です

 

 

常連さんもできて

楽しく仕事ができており

自分なりに満足していたのですが

 

いくつかの出来事があって

オーラの読み取りにも

ヒーリング施術にも

意欲がわかなくなっていきました。

 

そうして、いつの間にか

仕事を受けること自体やめていました。

 

もう、ヒーリングをやることはないだろう

 

そう思っていた私が

 

アメリカまで

ヒーリング研修を受けに行くことになる

までの話を

 

これから少しずつ

書いてみようと思います。

 

 

 

 

 こちらも10年前の記事


ヒーリング施術をやめた

理由のひとつは
友達を救えなかったこと。

その友達と久しぶりに再会したのは

母のために

病院で入院受付をしていた時。

 

たまたま、母と同じ時間に

彼女も同じ癌病棟に入院したんです!

 

大きな総合病院なので

癌病棟といっても方角ごとに

迷路みたいな廊下で隔離されています。

入院受付の時間が違っていたら

彼女と出会うことはなかったでしょう。

 

一日に二回ほど母を訪ねていた私は

彼女の部屋にも時々、顔を出すように。

 

彼女とは

幼稚園から中学まで一緒だったため

共通の友人がいっぱいいました。

 

 

みんなに心配をかけたくないから

病気のことは言わないように、と。

 

お母さんは既に他界されていて

残された家族はお父さんだけなのに

そのお父さんにすら内緒だったんです。

 

 

 

 

担任(メガネ)も一緒に温泉で同窓会。

右端の白い服、ショートヘアが私

その隣の黄色シャツが彼女。当時20代

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彼女の肺ガンは、発見された時点で

既にあちこちに転移していて
医者からは余命3ヶ月の宣告。


彼女は、子供たちのために

1日でも長く生きたい!」
大量のキャベツ、漢方、

水素水、温泉、岩盤浴など

良いと思ったものを何でも試していました。

 

昔から健康に良いものに目がない私は

彼女と一緒に、あれが良いとか

これはこうだったとか情報交換、

健康サークルみたいになってましたにんじん

 

図書館に通って

癌に関する本を読みあさり

それまで知らなかった知識を仕入れては

彼女に(母にも)伝えてた。
 

治療中、時々は自宅に帰る期間もあり

そういう時にはお互いの家を行き来

一緒にご飯を食べたりもサラダカレーナイフとフォーク

 

私のぬか漬けのぬか床を分けてあげたら

次に彼女の家に行ったときには

美味しいぬか漬けが

食卓に出てきたんですよー爆  笑OK気づき

 

私の能面打ちの師匠の個展

私も作品を出品したと伝えると
彼女は、大きな花束を抱えて花束赤薔薇

初日の朝いちばんに見に来てくれました。

 

癌に効くという温泉に行った時は

温泉地で美味しいランチを食べたり

お土産屋さんをのぞいたりしながら

「病気が良くなったら今度は皆で

また温泉同窓会しよーニコニコびっくりマーク

って、今後の計画も立ててた。

 

 

 

彼女は後ろから2列目左端でピースチョキ

私は最後列の中央で写真立てを持ってる

4組のみんな、最後まで隠しててごめん汗

image

 

 

余命3ヶ月をまるで感じない

楽しい交流の中

ヒーリングを施術したこともあります。

 

その際、亡くなったお母さんのことを

思い出した彼女。

 

お母さんに質問したかったことがある

って教えてくれたんです。

返事を聞くのが怖くて

聞けなかったタラーって涙してた

 

お母さんに先立たれた後は

悪い返事を恐れる気持ちだけが残り

心の傷になっていたようです。

 

 

彼女は、癌の原因は

大きなストレスだったと言っていました。

 

母も

ショックな出来事があったからだと

同じようなことを言います。

 

皆さん、ストレス対策は早めにね。

 

大げさなぐらいに自分を大事に愛

してあげてくださいよー照れ

 

 

 

 

ぽってりフラワー中学卒業ぽってりフラワー
後ろから2列目右から3番目が彼女

同列右から6番目が私

颯爽としたリーダータイプで人気者の彼女

ぼーっとした私には憧れの存在でした。

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人に気を遣わせることを良しとせず
弱音も吐かない彼女。

お隣、石川県の温泉に行ったときも

運転はほとんど彼女がやったんです。


しんどそうな様子がまるで見えないせいで
わたしは時々

彼女が病気であることを忘れていました。

苦しんでいる様子が伺われたのは
亡くなる前夜にくれたLINEだけ。


みず(私のこと)、つらいよー。

会いに来て。


初めての弱気な言葉

ただならぬものを感じ
すぐに病室に駆け付けると
他に2人の友達が来ていました。

既に、自立呼吸ができない状態

だったので、筆談をしました。


か弱い筆圧で

ひょろひょろと消え入りそうな文字。

 

かつての

堂々とした美しい文字を思い出し

切ない気持ちになりました。


彼女の許可をもらってから

肺のエネルギー状態をみてみると


淡黄色に近いオフホワイトの

綿のような球状のものがたくさんあり
それらがギュウギュウに

肺に押し込まれていて苦しそうでした。

 

私の捉え方でイメージ化しており

医学的映像の実際はわかりません。


そんな状態でも 

彼女は明るく振舞っていました。
どんな時でも、周囲を気遣う人だから。


今夜でお別れだとわかっていても
皆で可笑しなことを言って笑い合った。

 

お別れの言葉に近いことすら

だれも、言わなかった。

 

 

 

心の底から悲しいお別れのときは

さよなら、って言えないものです。

 

 

 

 


翌日、彼女は

あっけなく、この世を去りました。

 

 

 

 


やめた理由のふたつめは

お客さんのエネルギー状態をみた際に

不穏な影やくもり、濁り、粘度など

良くない種類のエネルギーを
みたり感じたりすること。

お客さんに聞くと
やはりそこには何かしらの病気や不具合が。


でも私には医学的知識がない。
医療ヒーリングを習ったこともない。


前述の友達が癌の治療中

医療ヒーリングを習得しようと

日本中を探しました。

そのとき見つけたのは

九州での長期間の学習が必要なもの。

 

移住も考えましたが

当時まだ小さかった子供2人との3人家庭で

実家の母も癌闘病中とあって、断念。

 

 

 

身体の不具合が見えるだけ

なす術がないという状況では
なんの意味もない。
ただただ、

自分の無力さを思い知るだけ。
 

 

自分にひどくがっかりした私は

ヒーリング施術に意欲をなくし

徐々にその世界から離れていきました。

 

 

ヒーリングを学んだ学校の同期生からは

 

かおりんは映像でみえるタイプだから

羨ましいって思ってたよ。

あんなに上手に読み取ることができるのに

それを使わないなんてもったいない!

 

と言われました。

 

でも、わかる方が辛いってことは

病気に限らず多いしもやもやもはや

エネルギーを感じ取ることの良い面

わからなくなっていた気がします。

 

 

 

 

下矢印その同期生は、過去世では私の姉

 

 

彼女は映像で見るよりも

音で聞くほうが得意なタイプ。

 

お客さんのエネルギーを読み取ったとき

おばあちゃんがそこにいたとしたら

 

「私は父方の祖母です。」

のように、声が聞こえるのが彼女で


映画のワンシーンみたいに映像が見えて

その場の雰囲気ごと感じ取るのが私。

 

解説付きだなんて羨ましいびっくりマーク

私のほうこそ思っていたけど、

彼女はそうは思わないようで

彼女が主宰するスピリチュアル学校の

講師の仕事をオファーされました。

 

「先生なんて柄じゃないから」と断る私に

「お給料はずむからさ~爆笑」とまで

言ってくれたんです。

 

講師はやらなかったけど

 

自分が無価値な人間に思えていた私は

彼女からの優しく、熱心な声かけに

大いに励まされましたキラキラ

改めてお礼を言ったことはなかったけど

本当にありがたく思っています照れ飛び出すハート

 

 

 

その数年後、まだ停滞から脱せず

やる気を失ったままの私。

 

中学時代の同級生が

とうとう、こう言いました。

 

 

いつまでも沈みこんでるお前をみて

あいつは喜んでると思うか?

悲観的になってるだけじゃ

あいつが浮かばれないだろ。

何もやらないでいることを

人のせいにして

甘えてんじゃねーよ

 

 

 

 

チーンガーンガーン

 

 

 

 

 中学の頃は俺、

だいぶ悪かったから

お前にはいつも怒られてたなグラサン

って笑う彼に

痛いところをつかれました。

 

 

 

 2013年の同窓会。右端が上記セリフの主。

左端が私。それを言われるのはこの何年も後

 

 

彼は中学2年時の東京からの転校生。

2年から3年へのクラス替えはなかったので

2年間を共にした仲間です。

 

友達が他校の生徒に殴られたと聞くと

ひとりで他校まで仕返しに行くような

仲間思いの熱血漢だったから、

(ケンカの是非は今は問わないでお願い滝汗

うちの中学校の中でももちろん

卑怯な弱い者いじめは許さなかった。

 

怖くて自分では止められないイジメの

現場を見つけると

見つけた人は彼に助けを求めに筋肉

皆にとって居心地の良い学校生活を

つくり出す一役を担ってた。

 

だからこそ、大人なってからも

皆が仲良くしていられるんじゃないかな

って、今になって思う。

 

 

登校したくない時は学校に来ない

 

毎週恒例の漢字テストのときに

すぐそばの席の私に

なぁ、ちょっと見せて

って、フツーに声かけ汗うさぎ

してきたこともあったりと

 

いつでも自由奔放でしたけど

 

根本的に愛情(友情)の器の大きな人

それを周囲に気前よく与えるので

男女問わず皆に好かれていました。

(今も相変わらず

 

 

だーいぶ好き勝手やってたけど

明るく素直な性格は

先生にも好かれていたんですよ爆  笑笑い

 

だから、座席的に彼の周囲に

真面目でお堅いタイプを1人は配置した。

生徒同士の良好な関係性をわかった上の

担任の粋な計らいでした。

 

おかげで私に関する思い出といば

「お前には怒られてばかりいた」

なんていう、不憫なものにアセアセ

 

まぁ、

私は漢字テストを見せる程度でしたけど

 

男子たちは大事なテスト前になると

彼の家まで行って勉強を

みてあげたりもしていましたキラキラ

 

(脅されたわけじゃない。念のため滝汗

 

 

 

 

 

 

右奥で立ってるのが彼。

 

そんなふうに、

友情や人情や家族愛に満ちた

愛と正義のヒーローでしたが

何十年たっても、ほんっと熱い男炎

 

おかげでちょっと目が覚めました。

ちょっとなんかいニヤニヤ

 

 

医療ヒーリングの存在を知っているくせに

彼女のいなくなった世界でそれを学ぶ意味を

感じることすらできなくなっていた私。

彼女を失った喪失感に圧倒されたまま

ひとりで心を閉ざしてしまってた。

 

 

世の中には彼女以外の人間もいて

その人たちは皆まだ生きてる!

まだ間に合う人たちのために

私がこれからやれることはある!

 

そんなシンプルなことに

ようやく気が付きました。

 

 

 

ありがとう照れ気づき

最後列右から3人目が彼

後ろから2列目右から2人目が私

温泉同窓会写真ではメガネの担任が

前列で白い服とニット帽。

 

 

 

「See you again」

 

亡くなった友人に贈った歌です。

私なりの解釈で簡略化しました。

 

 

 

ここよりも良い場所に行った君に

いつかまた会えたとき

話すことがいっぱいあるよ

 

君がいなくなった後に

僕がどんなふうに生きてきたか

 

再会の時にぜんぶ話すから

 

 

 

 

亡くなった彼女に再会したときには

 

彼女に

喜んでもえらえるような話がしたいな照れ

 

 

 

 

キラキラ追記キラキラ

 

最後に登場した中学の同級生に

先に記事を読んでもらったところ

すぐに電話をくれました。

 

文字では伝わらないかもしれない

大事なことを言うからな!

と、まずは、きっちり前置き

 

なに言われるんだろ、の緊張感汗うさぎ

何か気に入らない内容があったかと

焦りつつじっと言葉を待つ私

 

前置き後の ため  

えらく長かったよーアセアセ

 

 

かおりちゃんが優しさとか癒しの力を

持っている人だから

普通は見えないものが見えたり

いろいろ感じたりしてるんだと思う。

 

そういう人は、きっと

他人のためにそれを使う使命があるんだ。

かおりちゃんはそういう運命なんだから

自分の持っているその

もっともっと大きくしていって!

 

って、熱くアドバイスされました

よかったー苦情じゃなかった泣くうさぎ

 

それどころか

今後はもっと俺の面白い話

ブログに書いてくれと・・・滝汗!!

 

昔からオレオレな人ですが、

そういうとこも相変わらず

 

中学の頃の口癖

「俺の話を聴いてくれ」が

大人になって

「俺の話を書いてくれ」になったのね汗うさぎ

面白い・・・。

実に貴重なキラキラ

愛すべきキャラクターでしょ爆笑?