昨年暮れに受けた人間ドックの結果は、じつに不健全なものだった。
あれこれ挙げつらうとキリがないのだが、こと中年疾患のバロメーターである「コレステロール」「中性脂肪」は要治療の領域で、脂肪肝のオマケまでついてきた。(苦笑)
私の体型は身長175cm、体重65kg。
この数値を見る限り、一般的にはメタボの指摘を免れる程度の肥満度であり、本来であれば脂肪肝などそうそう縁のない症状に思える。
しかし。
この事態に関する原因と結果について、じつは明確な心当たりがある。
むしろ自分的には「なるほど」の納得感すらあるといっていい。
そう。
ラーメン、だ。
一にも二にもラーメン。
すべては非常識なほど過剰なラーメン摂食に拠るものと考えてまず間違いあるまい。
実際、
過去20年以上にわたり、週に3日ラーメンを食べない日があると、それが原因でストレスが高まった。
1日3食ラーメンでも飽きることはなく、むしろバリエーションの比較を楽しめた。
麺がのびぬうちに完食するのは食べ手の作法であり、丼のスープは完飲することが作り手への礼儀と心得ていた。
そもそもが肉好きの私のこと。
学生の時分から「脂身の甘さこそ肉の魅力」と言い切って憚らない嗜好を貫いてきた。
そこへラーメン食の強烈な味覚刺激を持ち込めば、おのず向かう方角はわかりやすい。
『`濃厚’=`美’』
この公式が当初より不動の軸として私の価値観を席巻し、支配した。
濃厚なラーメンとの出会いは、その蠱惑性・快楽性において、最も甘美かつ危険な記憶の筆頭だ。
私の場合、耽溺の道筋は`ラーショ’に始まり`ホープ軒’`芳蘭’`じゃんがら’等への傾斜を経て`家系’に至る。
無論、現行の華やかなラーメンブームの黎明期にあっては、探求の矛先も濃厚一辺倒で納まろうはずがなかった。
貪欲な食指は、`青葉’から爆発的に展開するWスープや次々派生する数多の新系譜にまで当然のように伸びた。
15年ほど前だろうか、まだ行列店ではなかった新宿‘麺屋武蔵’の未知なる衝撃的な味わいにヤラれ、つい月~金の5日間連食してしまった。
こういった体験が、今も新味発掘のディープな快感として心理の奥深くへ刷り込まれている。(笑)
完全に習慣化し、生活の一部となったラーメン。
もはや立派な中毒だ。
かつて健康診断を受けるたび、「止める試み」を何度も繰り返した。
しかし、タバコを止めることが出来ても、ラーメンは止められなかった。
そしてこの「止められない姿」を礼賛する自分が傍らに居続けたことも、紛れもない事実だった。
**
長文になった。
先を急ごう。
じつは今、この病的なラーメン中毒を脱する糸口を掴みつつある。
実際、昼夜の食事でラーメンを口にする頻度は10日に一度程度まで抑えることに成功している。
さらに、スープを丼の半分残したままにすることさえ可能になった。(爆)
そのコツはズバリ、「イメージ戦法」。
ラーメンのスープといえば、まさに脂分・塩分・コレステロールの塊。
冷えたスープの表面は、たちまち白く凝固した動物脂に厚く覆われる。
そう。
ラーメンを口にする際、この危険な液体がダイレクトに血管へ流入し、まるで漆喰でも塗りつけるかのように血管の内壁へ白い脂がこびり付いてゆく様を、リアルに想像するのだ。
このとんでもなくネガティヴな想像は確実に食事をマズくするが、効き目は意外なほどに高い。
手にとった丼のラーメンを食べ進み、満腹が近づくと、後悔のレバレッジが効いた鮮明なイメージが眼前に甦る。
不安が強力なブレーキの役目を果たし、箸が止まるのだ。(苦笑)
無論、スープ云々の件はあくまで勝手なイメージの話であって、実態と異なることくらいは承知している。
が、ここではあえて想像力を逞しくし、甘えた自分を脅しつけるのだ。
同じ理屈は、焼肉にして然り。トンカツにして然り。
欲望に負けそうになる精神に、一撃のクサビを打ち込むシュアな効果を期待したい。
まあ、正直「不安を糧に健康を手にする」、というネジレた手法が何処まで通用するかは甚だ怪しい。
怪しくはあるが、強力な中毒症状から脱出するためには多少のマヤカシ・荒療治にすがることも已む無いと判断した次第。
20年来、合法的旨味中毒の私。
果たして麗しき旨味の結晶体・ラーメンとの決別は成せるのか?
いささか小声での決意表明にはなるが・・・
乞うご期待。(笑)
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