非常口-blog版- -16ページ目

考え過ぎてみよう!

人と人がいて、コミュニティを形成する文明があるという事は
そのコミュニティ以外の人間はすべからく他者であると言う事である。

他者とは敵であるか味方であるか解らないもの。
自分にとって害あるものなら関係するべきではない。
関係したのならば排除するしかない。
ただし、社会的事情等を考慮した場合関係せざるを得ない時もある。

それらを踏まえた上でだ。

見知らぬ相手に話しかけるというのには一種の覚悟が必要になる。

他者である自分が相手にとって他者で終わらないようにするために
コミュニケーションをとらなければならない。
一番簡単なのが「話しかける」や「メールをする」といった所か。

しかし、それはすなわち相手から判断されるという事である。
敵か味方か、どういう人間なのかを見られる。

見られるのは手の内を見抜こうとしている事にも等しい。
手の内を見られるとは自分の弱点にもなりうる。
だから大抵の人は極端に拒絶する。
中には何も考えてないのもいるが。

他者である以上、他者に期待を求めてはいけない。
貴方にとって彼らは味方ではないのだ。
害なく過ごしていてもいつ敵になるかわからない。

だから他者と気安く関係するのは覚悟をしたほうがいい。

さて、ちょっと上を踏まえて自分を振り返ってみる。

あ、俺がそれできてねぇやw
自分の手の内を晒しまくってますがな。

それでウザがられたり重いと思われて排除される、と。

こういうケースもさもありなん。

夜回り先生。

彼じゃないけれどもさ。
子供達を救うんだ!見たいな清らかで立派な気持ちもねぇけどさ。
それでも死にたいと思う人がいるならなんとかしたいってのは解る。

別に自分が他人を助けられるなんて思ってはいないんだけれども
おこがましさも独善的なのも解っているんだけれども
悲しい思いをしたり、辛い気持ちを抱えたりして死のうとする人を見て
無視したり突き放したりはできないし、したいとは思わない。

毎日繰り返される人が死んだニュースで悲しくなる。
虐待や殺人はもっと悲しくなる。

顔も知らないどこかの誰かの死で悲しくなればきりはないと解ってても
それでも悲しくなってしまう。

きっと今も何処かで誰かが死のうとしてるでしょう。
もしかしたら今頃死んでいるかもしれません。

あぁ、それが酷く憂鬱だ。

何も出来なかったとしても、何にもならなかったとしても
死に行く彼らと最後に話をしたかった。

願わくば、死んで欲しくなんてなかった。

真剣にそう思う自分は確実におかしい。
そして独善的でおこがましく、差別をしている。

どうしたいんだよ、俺。

不睡夜

眠らない夜、眠れない夜。
何をしても集中できず煩悶としながら布団に包まる。

眠れやしない。
脳味噌に浮かぶのは嫌な事。
楽しい事なんて浮かばない。

小さい頃の恐怖が思い出される。
幼い日の悲しみが身を包む。
若い時の絶望を刻み込む。

胃が痛く、頭が痛くなる。

一人で答えの出ない質問を繰り返す。

「生きている事に意味は?」
「自分の存在価値は?」
「善と悪って?」

脳味噌を消費するだけの行為。
答えを出す気も真剣に考えるつもりすらない。

誰かと喋りたい。
でも相手なんているわけもない。
誰かに触れたい。
でも相手なんているわけもない。

それを望んでいたのは確かに自分。
だからこの状況が悲しくても辛くても嫌だと思わない。

なぁに、人生なんてまだまだうんざりする程ながい。
我慢すればいいだけの、話。

そんな夜。