私には大切な癌友がいます…。
彼女との出逢いはアメリカ…。
子供が同じ歳と言うこともあって、お互い病気になる前から本当に仲良くさせてもらっていました。
彼女たち家族が先に日本に完全帰国をして、その約2年後ぐらいに私たちが完全帰国。
そして私は、彼女が乳がんを患っていて、一時は大変だったことを知りました…。
「連絡しようと思ったけど…、却って心配させちゃうかなと思って…」と彼女…。
その言葉を聞いて”彼女らしいな“と私は思いました…。
彼女は、がんが判ったその時の主治医から「これじゃあもう無理だよ…」と酷い言葉を投げつけられ、泣きながら診察室を出て診察室の前で人目を気にせず大泣き…。
慌てて看護師さんが出てきて…
「先生あんなこと言うけど、こう言う状態でも大丈夫な人はいくらでもいるから…」
と必死に励ましてくれたようで…、
今このことを書きながら私は正直泣きそうになるのですが…、
「あの看護師さんがいたから私はあの時本当に救われて、今の私がいるの…」と、話してくれたことを昨日のことのように想い出します…。
彼女の凄いところはここからで…
「こんな先生には自分の命は預けられない!!」と思いネットで色々調べ、
一時は遠方治療も考えたようですが、当時下の子はまだ幼稚園入園前。家の近所には気軽に頼れる実家や親戚はいなかったので、この状況から遠方での治療は無理と断念し、ならば地元で「この先生!」と思える先生を見つけようと思い直してし…、幸運にも割と近いところにいる良い先生とめぐり逢うことができてすぐに転院。
その信頼できる先生の下、必死にもっとも過酷とも言える手術不能状態の術前抗がん剤から所謂乳がんの“フルコース“と言われる治療を熟しました。
無事に一通りの治療が終わり…、今8年が過ぎますが、再発もせず元気で、今またご主人様の駐在の帯同で海外で生活しています…
私は彼女のこの話を知っていたので、
私自身しこりに気がついて2回乳腺外来へ受診するも結果はどちらも良性で、2回目の受診から1年ほど経った市の健康診断で要精密検査となり、最悪にも今まで良性腫瘍と言われていたその腫瘍ががんと判ったときには、彼女と同じく…
「自分の命を預けられる、信頼できる主治医を見つけたい…」
と思い直ぐに行動しました…。
運良く今の主治医に巡り合い、迷わず、悩まず直ぐに転院することができたのは、彼女のおかげと思っています…。
彼女からは、要精密検査の段階から色々アドバイスをもらっていました…。色々細かく調べてくれて…。
子育てに忙しく、そして日本と時差のある国に住みながらも私を気遣ってくれて何度も電話をくれたり…。
私が…、「夫に話すのが一番キツい…」(夫は強そうに見えても意外と凹む…)と話すと…、「私には泣いていいんだよ…」とまで言ってくれました。本当に有り難かった…。
でも…、それでも泣けなかったワタシですが…
彼女がそのフルコースの壮絶な治療の日々を過ごしたことを私はよく知っていたので、以前、まだ彼女が治療中であったときに…
「◯◯ちゃんは本当に凄いよ!あんな辛く長い治療をやり遂げたんだから…」
と言ったことがありました…。
その時に彼女の言った言葉が…私にとって忘れられない一言で…
「私よりもっともっと大変な治療をしている人は世の中にはたくさんいるからそんなことはないよ…」
私はこの言葉を聞いた時に深いため息と共にいつも以上に彼女の凄さを感じ、自分がどんな状況、状態であれ、他人のことを思う優しい、思いやりに満ちた心を持つ彼女に、巡り逢い、そして友人になれたことを嬉しく思うと共に、
友人になってくれたその友と、巡り合わせてくれた神様に心から感謝しました…。
私たちの合言葉は…「まだ死ねないよね!」
今では「私たち”キャンディーズ“ならぬ、”キャンサーズ”だね!」とお互い言って笑い合っています
数年前まではお互い連絡を取ると「調子はどう?大丈夫??」が第一声でしたが…、
今では何も無かったかのように…「元気〜!?忙しい??」になっています…
そう言えるようになった自分たちと…、ここまで導いてくれた両先生や携わってくれた医療関係の皆様、応援、心配してくれた家族や友人、知人にたくさんのありがとうございますを伝えたいです
これからもず〜と、お互い前だけを向いて歩いて行きましょうね
私たちまだまだ頑張れるはずだから…
このアメブロを通じていいね👍を送り合う皆様は勿論のこと、今まさに病気で頑張っておられる方、また病気と闘ってはいないけれど今何かに頑張っていらっしゃる方々にも…、
まだまだ頑張れる…頑張りましょう
と言いたいです
長文、最後までお読みいただきました方、ありがとうございました
病気の記事も書いています。。
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