再会
先週、通っているギター教室の親睦会があり、たくさんの人と思う存分、弾きまくり、久しぶりにめちゃくちゃ楽しい時間だった。
それともう一つ、感動的だったのが、その親睦会に、小学生の頃の同級生と高校のころのバンドメンバーとの思いもよらぬ再会があった。
もう会った瞬間は、声もでないくらい嬉しかったなぁ。
その二人とは最後に会ったのが、高校の頃だから、もう13年ぶりだ。
30歳のいいオッサンが3人で、はしゃぎまくった。
二人ともそれぞれ独立して、個人事業主として経営しているとのこと。
高校の頃は二人とも筋金入りのヤンキーだったが、今はホントに大人の男前になっていた。
一人は彼女を連れてきていた。どこの国の人だろう…金髪の白人だった。
片言のデタラメ英語でもなんとか通じたけど、あたふたしたなぁ。
やっぱり英語は勉強しないとダメだなと思った。
本当に幸せな時間だった。
彼らとはこれからも仲良くしていこうと思う。
今週は、中小企業の経営者を対象とした、大学教授のセミナーがあるし、その後は某ホテルにて、親睦会があるから、たくさん勉強して、名刺交換もたくさんしておこうと思う。
とにかく勉強、勉強。
何事も勉強だ。
この実り多き五月を最後まで、無事故で過ごそう。
それともう一つ、感動的だったのが、その親睦会に、小学生の頃の同級生と高校のころのバンドメンバーとの思いもよらぬ再会があった。
もう会った瞬間は、声もでないくらい嬉しかったなぁ。
その二人とは最後に会ったのが、高校の頃だから、もう13年ぶりだ。
30歳のいいオッサンが3人で、はしゃぎまくった。
二人ともそれぞれ独立して、個人事業主として経営しているとのこと。
高校の頃は二人とも筋金入りのヤンキーだったが、今はホントに大人の男前になっていた。
一人は彼女を連れてきていた。どこの国の人だろう…金髪の白人だった。
片言のデタラメ英語でもなんとか通じたけど、あたふたしたなぁ。
やっぱり英語は勉強しないとダメだなと思った。
本当に幸せな時間だった。
彼らとはこれからも仲良くしていこうと思う。
今週は、中小企業の経営者を対象とした、大学教授のセミナーがあるし、その後は某ホテルにて、親睦会があるから、たくさん勉強して、名刺交換もたくさんしておこうと思う。
とにかく勉強、勉強。
何事も勉強だ。
この実り多き五月を最後まで、無事故で過ごそう。
祖母
日曜日、父方の祖母が死んだ。
享年84。
オレは小さい頃は、本当におじいちゃん子、おばあちゃん子だった。
これで父方の祖父母共に亡くした。
うちは両親が離婚してより、父とも父方の祖父母とも連絡を断絶していたため、とうとう10年間、会うことも声を聞くこともなかった。
親戚から、祖母が危篤だと聞いて、見舞いに行くべきか悩んでいたら、あっという間に死んでしまった。
自分は不孝者だと思う。
危篤で、生命維持装置を取り付けていた時は、口から機械をいれて、無理矢理、肺を動かしていたため、顔は凄い形相だった様だが、亡くなって、機械を取り外し、お化粧をしてもらったら、びっくりするくらい綺麗で穏やかな顔だったそうだ。
親戚のおばちゃんが言うには、「誰も悲しませない顔」、「あぁ、この人はちゃんと成仏したんだなと思える顔」だったそうだ。
オレの両親が離婚するとき、父方と母方の家族同士で揉めた。
父の実家で話し合いをして、離婚が決まった。
そんな辛い辛い話し合いの後、家に帰ろうと父の実家を出た時、祖母は玄関から飛び出してきて、泣きながら、オレの手を握って言った。
「離れて暮らす事になっても、お父さんはいつでもここにおるんよ、おじいちゃんも、おばちゃんもいつでもここにおる。やから、アンタは一つも寂しい気持ちにならんでええんよ。」
18歳のオレはその時、その言葉にどれだけの愛情や、優しさがこもっているのか、わからなかったけど、大人になった今は胸いっぱいにその言葉を受け止める事ができます。
今は位牌は叔父さんの家にあるそうだ。
この日曜日、もう骨壺の中に入っちゃったけど、祖母に会いにいきます。
ばあちゃん、本当にごめんね、ホンマに大好きやったのに。
ありがとう。
ごめんなさい。
享年84。
オレは小さい頃は、本当におじいちゃん子、おばあちゃん子だった。
これで父方の祖父母共に亡くした。
うちは両親が離婚してより、父とも父方の祖父母とも連絡を断絶していたため、とうとう10年間、会うことも声を聞くこともなかった。
親戚から、祖母が危篤だと聞いて、見舞いに行くべきか悩んでいたら、あっという間に死んでしまった。
自分は不孝者だと思う。
危篤で、生命維持装置を取り付けていた時は、口から機械をいれて、無理矢理、肺を動かしていたため、顔は凄い形相だった様だが、亡くなって、機械を取り外し、お化粧をしてもらったら、びっくりするくらい綺麗で穏やかな顔だったそうだ。
親戚のおばちゃんが言うには、「誰も悲しませない顔」、「あぁ、この人はちゃんと成仏したんだなと思える顔」だったそうだ。
オレの両親が離婚するとき、父方と母方の家族同士で揉めた。
父の実家で話し合いをして、離婚が決まった。
そんな辛い辛い話し合いの後、家に帰ろうと父の実家を出た時、祖母は玄関から飛び出してきて、泣きながら、オレの手を握って言った。
「離れて暮らす事になっても、お父さんはいつでもここにおるんよ、おじいちゃんも、おばちゃんもいつでもここにおる。やから、アンタは一つも寂しい気持ちにならんでええんよ。」
18歳のオレはその時、その言葉にどれだけの愛情や、優しさがこもっているのか、わからなかったけど、大人になった今は胸いっぱいにその言葉を受け止める事ができます。
今は位牌は叔父さんの家にあるそうだ。
この日曜日、もう骨壺の中に入っちゃったけど、祖母に会いにいきます。
ばあちゃん、本当にごめんね、ホンマに大好きやったのに。
ありがとう。
ごめんなさい。